第三十六話
「あぐ…!」
光の陣から解放されたセシールは、薄暗い空間に投げ出された。
広い空間は元々何らかの建物だったと思われる瓦礫に埋め尽くされている。
日の光も差し込まない空間だが、瓦礫に巻き付いた白い糸のような物がぼんやりと光っているので、周囲の状況を見渡すことは出来た。
「こ、ここは…」
「廃都ゴモラ。名前を聞いたことぐらいあるでしょう」
混乱するセシールに、サロメは淡々と答えた。
もう演技する気も無いのか、その表情は子供とは思えない程に冷ややかだ。
「君…いや、お前は本当にマナ様の妹なのか?」
「私が偽者だとでも言う気ですか? 残念ながら、私は本当にサロメ=グラースです。ちなみに十三歳です」
左足に包帯を巻き直しながら、サロメはどうでも良さそうに言った。
「…どうして、マナ様を」
「親兄弟でも仲が良好であるとは限らない。あなたもそれは理解しているでしょう?」
そう言われ、渋い顔をするセシールにサロメは嗜虐的な笑みを浮かべた。
「キャハハハ! ほら、そこに待ち人が」
言いながら、サロメは小さな指でセシールの背後を指差す。
「お前は…!」
そこには、笑みを浮かべたシュトリが立っていた。
「…う」
マナは見知らぬベッドの上で目を覚ました。
ここはどこなのか。何で自分が眠っていたのか。
そう考えた所で、思い出した。
「あ…」
生きていた妹。
その妹から向けられる憎悪の眼と、怨嗟の言葉。
訳が分からなかった。
どうして、あの子は…
「目が覚めたようだな」
「…ガルグイユさん、ですか?」
ぼんやりとした目を凝らして見ると、部屋の隅にオズワルドが腕を組んで立っていた。
「特に外傷は無かったようだが、具合は大丈夫か?」
「は、はい。えと…」
「君はあのサロメと言う娘が消えてから、ずっと気絶していた」
オズワルドは特に表情を変えることなく、事実のみを告げた。
そのことを聞いて先程の状況を思い出し、マナはハッとなる。
「そ、そうだ! セシール! セシールはどうなったのですか!」
「…セシール=トリステスは誘拐された。現在、行方不明だ」
「なっ…!」
確かサロメはシュトリの名前を出していた。
恐らく、サロメがセシールを連れ去ったのはシュトリに引き渡す為だろう。
シュトリはセシールに執着していた。
一度捕えられれば、二度と解放するとは思えない。
「ゴモラ…サロメはゴモラへ向かうと言っていました!」
「ゴモラ? 廃都ゴモラのことか?」
その名を聞いてオズワルドは険しい顔をますます険しい物に変えた。
廃都ゴモラ。
その都市の名は、ケイナン教徒なら誰でも知っている。
そこはかつての七柱の本拠地であり、百三十年前に大きな戦争のあった場所だ。
法王率いる使徒の軍団との戦いで七柱は敗走し、現在では廃墟となっているが、それでも危険な場所には違いない。
ゴモラを訪れた者は生きて帰ることは出来ない、と言う噂もある程だ。
「場所がゴモラだと言うなら、使徒を派遣することは出来ないな」
「そんな…! セシールは、セシールはどうなるんですか!」
「…一人の信徒の為に、使徒を危険に晒す訳にはいかない」
感情を抑えるように普段よりも低い声でオズワルドは言った。
その眼を真っ直ぐに見つめた後、マナは拳を握り締める。
「…分かりました。では、私一人で行きます。ゴモラの場所を教えて下さい」
「それも出来ない。君は使徒だ。君をみすみす死なす訳にはいかない」
「…ッ」
反対されるのは、薄々理解していた。
オズワルドの言うことは当然のことだ。
使徒は希少な存在。
驕る訳では無いが、マナもそれを多少は自覚している。
それを危険な場所に一人で行かせるなど、許される筈がない。
「…誰だって選びたくない選択肢を取る時が来る。君はそれが早かっただけだ」
子供に言い聞かせるように言うと、オズワルドは部屋から出て行った。
恐らく、オズワルドはコレを言う為に待っていたのだろう。
マナがセシールを助けに行くと言い出すことを予想して、それを思い止まらせる為に。
「………」
そもそも、一人でゴモラへ向かって何が出来る。
シュトリとの戦いで何一つ役に立たなかったマナがどうやって、セシールを助け出す?
セシールを助けると言うなら、サロメと敵対することになるかもしれない。
実の妹と戦うことが自分に出来るのか。
「どう、すれば…」
無力感。混乱。絶望。
様々な感情が溢れ、マナの眼から涙が零れ落ちる。
「ぷ、くく。くはははは! 何だ何だ、泣いているのかよ聖女様!」
「せ、セーレ…?」
青白い粒子と共に現れたセーレは、マナを指差して笑った。
「何故泣く? 貴様は笑うべきだろう? 死んじまってた妹が生きていたんだ。普通ここは笑う所だろう! それはもう、ゲラゲラと!」
涙を流すマナに構うことなく、むしろ普段よりも高いテンションでセーレは笑い続ける。
「で、でも…あの子は私を憎んでて、セシールが誘拐されて…!」
「憎んでるゥ? ぶん殴って矯正すれば良い! 誘拐だァ? 奪い返せば良い! 悪魔的にな!」
「え…?」
堂々と宣言するセーレに、マナは泣いていることも忘れて言葉を失う。
「反対、しないの?」
「は? 何が?」
「だ、だから。危険だから助けに行くなって、反対しないの?」
恐る恐る言ったマナの言葉に、セーレは吹き出した。
目元に涙すら浮かべる程、腹を抱えて笑う。
「くはははははは! この俺がそんなことを言う訳ないだろう! 俺は貴様を否定しない。貴様の望む全てを肯定してやる」
悪辣な笑みを浮かべて、セーレは告げる。
「何故なら俺は、強欲の悪魔だからな!」
「セーレ…」
「何に遠慮することもない。貴様は貴様の望む全てを口にしろ」
促すような言葉にマナはベッドから立ち上がった。
涙を拭き、決意の込められた目でセーレを見る。
「私はセシールを助けたい!」
「それだけか?」
「…サロメのことも放ってはおけない。だから、サロメも聖都に連れ帰って詳しい話を聞かせて貰う!」
それはきっとサロメの望まないことだろう。
だが、嫌われても憎まれてもマナはサロメの言葉が聞きたい。
自分が憎まれている理由。自分が犯してしまった罪が知りたい。
「ぷ、くく。それでこそ俺の契約者だ! 貴様も段々と分かってきたじゃないか!」
無茶なことを言っていると言うのに、セーレは嬉しそうに笑った。
「くははは! そうだ、それでいい! どちらか選ぶ必要などない。シュトリの野郎から全てを掻っ攫って凱旋と行こうじゃねえか!」
笑いながらセーレの周囲に青白い粒子が噴き出す。
ゴモラはかつての七柱の本拠地。
現役の七柱であるセーレがその場所を知らない筈がない。
「準備もせずに向かうつもりか?」
その時、セーレの興奮に水を差すような冷淡な声が聞こえた。
いつの間に戻ってきていたのか、オズワルドが部屋の入口から二人を覗いていた。
「が、ガルグイユさん、コレは…」
「………はぁ」
思わず言い訳を口にしようとするマナを見て、オズワルドは魂を吐き出しそうな深いため息をついた。
そのため息に身を震わせるマナに対し、懐から出した物を投げる。
「…? コレは?」
「法王様に、説得出来ないようならコレを渡せと命じられていた」
それは、小さな貝殻が付いたペンダントだった。
手作りのように見えるが、僅かに発光しており、何らかの力を感じる。
「法王様お手製のお守りだ。ゴモラは魔性が濃いと言うから身に着けておけ」
ぶっきらぼうにそう言うと、オズワルドは返事を待たずに出て行った。
(法王はコイツの我儘すらお見通しだったみたいだな…)
ペンダント握ったまま固まるマナを見ながら、セーレは少しだけヴェラの評価を上げた。
「先生! 先生ー!」
同じ頃、古書店は騒がしい三人組の襲撃を受けていた。
テレジア、セルジオ、レミジオの三人をバジリオは煩わしそうに眺めている。
「…久しぶりだな。お前が僕の教え子だった時以来だから………十年ぶりか?」
「久しぶり! 十年ぶりであっているよ…って、それより大変なのよ!」
椅子に座るバジリオの肩を掴むテレジア。
「さっき聞いたんだけど、セシール=トリステスって子が悪魔に誘拐されたみたいなの!」
「………そうか。忠告を聞かないからだ、愚か者め」
誘拐されたセシールに対してか、バジリオは吐き捨てる。
「だから早く助けに行かないと! 先生、シュバリエの皆はどこ!?」
肩を揺らしながら叫ぶテレジアをバジリオは冷めた目で見ていた。
「何故僕がそんなことをしなければならない?」
「え…? だ、だって!」
「トリステスの娘が誘拐されたなら、十中八九シュトリが関わっている。助けるなら、七柱と交戦することは避けられないだろう」
バジリオは、肩に置かれたテレジアの手を振り払う。
首から下げた銀貨に触れながら、テレジアの眼を見つめる。
「お前も行かない方が良い。死に急ぐような物だ」
「………」
テレジアは何かを堪えるように拳を握り締めた。
「…シュバリエはもういない。お前の憧れた騎士達は、十年前、お前が聖都を離れてすぐに壊滅した。七柱の悪魔によってな」
その言葉にテレジアはハッとなって、バジリオの首から下げられた銀貨を見た。
自分の首からも下げられている同じ物に触れ、僅かに震える。
「それでも…」
例えようのない感情を抑えながら、テレジアは言う。
「それでも、私は使徒としてあなたの教えを果たします」
そう言って、テレジアは古書店から出て行った。
黙って様子を見守っていた弟達も後に続く。
「聞き分けの悪い姉で、すいません」
店を出る寸前に、セルジオが苦笑しながら言った。
「セルジオ。お前は弟で、従士だろう? アイツを説得してくれ」
「…いえ、私では姉上を止めることは出来ませんよ」
言いながら、セルジオは僅かに嬉しそうな笑みを浮かべた。
「それに、そんな聞き分けの悪い姉が私は好きですから」
「―――――」
今度こそ、バジリオはかける言葉を失った。
何故、死地へ向かおうとする姉を見てそんな顔をするのか。
何故、見知らぬ他人の為に危険を冒そうとするのか。
(どいつもこいつも、死に急ぐ馬鹿ばかりだ…!)
バジリオの脳裏に、遠い過去が過る。
『バジリオさん! 早く行って下さい!』
『この悪魔は強い! このままでは全滅する! だからせめてお前だけでも…!』
『俺達の代わりなんて幾らでもいる。お前が生き残って、また新しいシュバリエを作ってくれ…!』
バジリオの盾となって散っていく仲間達。
それを見ながら、何も出来ず逃げる自分。
(どいつも、こいつも…!)




