第三十四話
聖都を取り囲む外壁の上にて。
混乱する聖都の様を眺める者がいた。
「わーお。思った以上に大惨事で我輩もびっくり」
その者、シュトリは普段通りの軽い調子で手を叩く。
「数はそれなりに送り込んだとは言え、所詮は雑兵。あっと言う間に全滅するかと思ったけど、案外善戦しているじゃないかね」
聖都への襲撃はこれが初めてではない。
聖都が生まれてから四百年、法王を討ち取ろうと幾度となく七柱は聖都を襲撃してきた。
その度にそれは法王や使徒達に阻止され、七柱は敗北し続けた。
聖都は悪魔にとって難攻不落の要塞なのだ。
「難攻不落…だった。あっさりとバフォメットを送り込めたことと言い、ドラスちゃんの推測は確定かな?」
シュトリは未だ混乱の収まらない聖都を見下ろしながら、笑みを浮かべる。
大陸中に使徒を派遣し、聖都に駐在する使徒が少ないとは言え、聖都の守りは以前よりも弱くなった。
聖都が成立してから四百年間、法王は自身の権能で聖都を護り続けてきた。
四百年は人間には長い時間だ。
例え使徒になって精神が人間を超えようと、精神の摩耗は耐えられない。
「法王は老いた。狭量な神の時代は終わった。これから自由の時代だ。人も悪魔も、分け隔てなく生きられる時代が…」
言いかけて、シュトリは自身の真横に視線を向けた。
シュトリから数メートル離れた場所に光の陣が浮かび上がり、その中から人間が現れる。
それは転移。
セーレの悪法とは性質の異なる、上位法術だ。
「誰が老いたと言いましたか?」
赤み掛がった金色の長髪を流しながら、ヴェラは笑みを浮かべた。
「…なるほど。バフォメット達を無視して、元を絶ちに来た…と言う訳であるな」
「ええ。聖都で暴れているバフォメットを退治してもあなたがいる限り、キリが無いですから」
淡い光を纏いながら構えるヴェラを見て、シュトリは訝し気な表情を浮かべた。
「昔より丸くなったと言うのは本当であるな。以前は出合い頭に上位法術をぶつけて来た筈だが」
「…そうでしたかね?」
「カナンが死に、悪魔を全て滅ぼすと意気込んでいた復讐者はどこへ行ったのか…」
「………」
「もしかして、恋でもしたのかな?」
からかうような表情でシュトリはウィンクした。
その眼が、黒く濁り怪しい光を放つ。
「『魅了』…精神汚染ですか。私には通用しませんよ」
「それは残念。だが、本命はこっちだよ」
手にしたステッキでシュトリはヴェラの足下を示す。
そこから黒い霧が噴き出し、生物のようにヴェラの足に纏わり付いた。
「時間よ、戻れ! 無垢で純粋だったあの頃に! 幼女になーれ!」
「………」
自身の身体を侵食していく魔性を見ても、ヴェラは表情を変えなかった。
慌てず、人差し指に法力を集中させる。
「天罰の章。第一節展開」
バチッと青い火花が放たれた。
それは小さな雷光。
破壊力は無くとも、ヴェラを包む闇を払い、シュトリの眼を眩ますには十分だった。
「ぐっ…! 対悪魔用の法術か…」
片目を閉じながら前を向くシュトリ。
その目の前の空間に、巨大な光の陣が浮かび上がった。
「天罰の章。第五節展開!」
砲身を思わせる模様の陣の中心に、光が収束していく。
込められた法力を感じ取り、シュトリの身体に鳥肌が立つ。
「あ、やば…!」
「『聖撃』…放て!」
ヴェラが合図を出した瞬間、光の砲撃が放たれる。
形を持った光の塊はシュトリに触れた途端に炸裂。
爆発的な光と音を放って、シュトリの身体を消し飛ばした。
「…丸くなったと言うのは撤回するよ」
熱と光に包まれ、両腕と片足を失ったシュトリが地面に転がる。
咄嗟に魔性で防御出来たと言うのに、このダメージだ。
防御が間に合わなければ、流石のシュトリも今の一撃で死滅していた。
「本当に容赦ないね。我輩一人では、とても敵わない…」
シュトリは手足を再生させながら、立ち上がった。
身体はヴェラの方を向きつつ、地面を蹴る。
「なので、逃げようと思う」
「ッ! 待ちなさい!」
シュトリの狙いを悟り、追いかけるヴェラ。
それを笑いながらシュトリは外壁の端まで一息に飛んだ。
「…ここまで。ここまでが聖都。つまり、君の支配領域だ」
芝居がかった仕草でシュトリは再生した両手を広げる。
何らかの法術を放とうとするヴェラに、ウィンクした。
「残念。遅いよ」
両手を広げた状態のまま、シュトリは後ろ向きに外壁の外へと落ちていく。
顔には悪戯が成功した子供のような無邪気な笑みを浮かべながら。
「聖都の外まで追いかけてくるかね? それは出来ないだろう? 聖都の守護が薄くなる」
「くっ、答えなさい! 一体何が目的で、今更聖都を襲撃したのですか…!」
「君をこの場に引き付けること。それが我輩の役目だよ」
それだけ言うと、シュトリは地上へと落ちて行った。
「役目…?」
ヴェラはシュトリの残した言葉を繰り返す。
そして、聖都へと目を向けた。
「まさか、他にも悪魔が…?」
「疲れてはいないか? サロメ」
「大丈夫です。運動は得意な方です」
セシールは隣を走るサロメを心配そうに見た。
それに心配要らないとでも言うように、サロメは小さな胸を張る。
「とてもそうは見えないが…?」
身体のあちこちに包帯を巻いた見るからに病弱そうなサロメを見て、セシールは改めて言った。
「人を見かけで判断してはいけませんよ。コレはよく転んで怪我しただけです。身体は健康です」
「………」
可愛らしい握り拳を作るサロメに、セシールは何とも言えない顔になる。
確かに健康そうだが、どうやら運動音痴のようだ。
本人にあまり自覚は無さそうだが…
「ところで、どこへ向かっているのですか?」
「ああ、一先ず大聖堂に行こうと思っている。緊急時はあの辺が避難場所になっているから、サロメのお姉さんもいるかもしれない」
「…そうですか。姉さんは私と違ってどん臭いから心配です」
少しだけ気落ちしたようにサロメは言った。
「お姉さんは運動が出来ないのか?」
「そうです。姉さんはもやしっ子です。全力で走ったら一分でダウンするくらい貧弱です」
「そ、そうなのか…」
「ええ。私は三分は持ちます。だから私の方が凄いのです」
「それは、凄いな…」
どちらもあまり変わらないと思ったが、セシールは口に出さなかった。
また微妙な表情を浮かべたセシールには気付かず、サロメは嬉しそうに言葉を続ける。
「それで………従士さん!」
唐突に何かに気付き、サロメは前を指差す。
恐怖に震えるサロメの指先には、バフォメットが立っていた。
一体ではない。
その数は六体。
獰猛な息を吐きながら、真っ直ぐセシール達を見ている。
「あ、あれ…は…」
「見るな!」
サロメを守るように、セシールはその背に庇う。
バフォメット達はもごもごと口を動かし、何かを咀嚼していた。
その口からはみ出ていたのは、人間の足。
(低級の悪魔は魂だけでなく、血肉まで喰らうと聞いていたが…!)
セシールはベルトから全てのナイフを取る。
敵は多いが、それでもやるしかない。
セシールが負ければ、後ろにいるサロメも悪魔の餌食になってしまう。
「ぐ…む…?」
鼻を動かしながらバフォメットはゆっくりと二人の下へ近付いてくる。
新たな餌が現れたと、その顔が喜悦に歪んだように見えた。
(マナ様やあの男に頼り切りでは駄目だ。私一人でも、戦える…!)
「ぐぐ…」
嘲笑に似た声を漏らしながら、バフォメットの一体が右腕を振り上げる。
それに合わせて銀のナイフが投擲され、バフォメットの眼に突き刺さった。
「ぐるァ!?」
怯んだ隙に、手にしたナイフで喉を切り裂く。
法力で強化されたナイフは、分厚い筋肉を紙のように切断し、鮮血が迸った。
「「ぐるァァァ!」」
仲間の危機に気付いたのか、別のバフォメット達もセシールへ迫る。
「来い…! 何体だろうと私が地獄に送ってやる!」
セシールは少しもそれに怯えることなく、新しいナイフを構えた。
今度は不意打ちで法術を放とうと、詠唱を始める。
瞬間、バフォメット達はピタリと動きを止めた。
「…何だ?」
何かの罠かと思ったが、バフォメット達の様子がおかしい。
完全に身動きを止めたバフォメットの身体から色が消え、硬直。
否、足下から石化していく。
「勇気があるのは結構ですが、無理をすると早死にしますよ」
全てのバフォメットが石に変わった後、呆れたような声が聞こえた。
「マナさんもそうですが、あなたも大概ですね。主従揃って無茶ばかり。あんまり年長者を心配させないで下さいよ」
「ヴェラ…?」
その顔を見て、セシールは怪訝な表情で呟く。
思わず怪訝な顔になったのは、古書店で会った時とはヴェラの雰囲気が違ったからだ。
「今のは、権能…? あなたは一体?」
「ふふふ、古書店の美人店主は仮の姿。本当の私は…『法王』ヴェロニカ=アポートルです」
ヴェラを思わせる茶目っ気のある笑みを浮かべて、法王は言った。
「はい…? えと、その、はい…?」
混乱のあまり、言葉にならないセシール。
無理もない。
ヴェラが法王どころか、法王のことを男だと思っていた時もあったくらいだ。
目の前に法王がいると言う状況を頭が受け入れられないのだろう。
「あ、ちなみにコレはマナさんには秘密でお願いします。故意にバラしたら私の全権力を使って意地悪しますからそのつもりで」
「ええ!?」
「冗談ですよ」
人差し指を口に当てて、笑みを浮かべるヴェラ。
立場が立場故に、冗談でも心臓に悪い。
「さて、私が見た所、マナさんやセーレさん、テレジアさん達の活躍で悪魔は粗方片付いたみたいですね」
「そ、そうですか」
「…シュトリの言っていた言葉が少し気になる所ですが、他に悪魔の気配はありませんね」
「え? シュトリが来てたのですか!」
「ええ。(物理的に)半殺しにしたのですが、逃げられてしまいました…相変わらずゴキブリのように生き汚い男です」
悪魔嫌いと言う風評通り、不機嫌そうな表情で吐き捨てる法王様。
なら、セーレに対する普段の態度は何なのかと思ったが、それを聞く勇気はなかった。
権力もそうだが、実力にも差があり過ぎて機嫌を損ねたくない。
「と、とにかく、混乱が収まったなら良かった」
安堵の息を吐き、セシールは背に庇っていたサロメの方を向く。
しかし、そこには誰もいなかった。
「あれ?………あ、あの! 法王様!」
「ヴェラで良いですよ。何ですか、セシールさん」
「女の子を見ませんでしたか! マナ様みたいな蜂蜜色の髪の小さな女の子を!」
「女の子?」
セシールの言葉に、ヴェラは不思議そうに首を傾げた。
「見ていませんね。私が現れた時には、あなた以外誰もいませんでしたよ?」




