第三十二話
「何度も言うけど、私は別にそう言った願望は無いからね…」
「了解了解。分かってますよー」
本屋を出てからもしつこく言うマナに、セーレはひらひらと手を振った。
恥じるように顔を赤らめているが、例の本は革の鞄にしっかりと仕舞っている。
「コレはそう、知識欲なの。本は私の知らないことを沢山教えてくれるの」
「知識欲…」
ずっとからかうような笑みを浮かべていたセーレは、繰り返すように呟いた。
「どうしたの?」
「知識欲か。その気持ちはまあ、分からなくもないな。学ぶことは良いことだ」
とても悪魔とは思えない勤勉そうなことを言いながら、セーレは笑みを浮かべた。
身に纏うローブの中から真新しい本を取り出す。
「ん? セーレ。それさっきの店の本じゃない? 盗んだら駄目だよ?」
「阿呆。この俺がそんな情けないことするか。ちゃんと金を払って購入した物だ」
セーレは心外と言いたげな表情を浮かべて、本を開く。
内容はケイナン教の使徒を記した本のようだ。
チラッと使徒コマンダンの名前も見える。
「あの百合娘が俺達の本を読んでいたのを見て、俺も貴様らに興味を持ってな。最近はどんな使徒がいるのか気になったのだ」
セーレは興味深そうに本に顔を並べる使徒を眺めている。
五十年以上も引き篭もっていたので世情に疎くなっているのだろうか。
「チッ、流石に権能や弱点までは載っていないか。まあ、殺り合うつもりもないのだが」
パラパラとページを捲るセーレは、何かを見つけたようにふと手を止めた。
「お? 貴様のことも載っているぞ。聖女様」
「え。本当に?」
「何々…最年少の使徒でありながら、現在最も人気のある聖女? 清廉潔白で人当たりも良い。趣味は読書で本を開いて物憂げな表情を浮かべている様は絵画のようで…」
「や、やめて。何か恥ずかしいから、口に出して読み上げるのはやめて…」
みるみるうちに赤くなっていくマナが蚊の鳴くような声で呟く。
続けても良かったが、マナを褒め続けるのも癪だった為、セーレはページを捲る。
「んん?」
「今度は何?」
「いや、コイツなんだけど…」
コツコツとセーレは本を指で叩く。
そこには子供のような笑みを浮かべた女の絵が描かれていた。
「アイツじゃねえか?」
セーレは本を叩いていた指をそのまま前に向ける。
指差す先にいたのは、掻かれた絵と瓜二つの女性が立っていた。
「あ…」
その時、指差されていたことに気付いたのか、その女性が声を上げた。
視線が交わり、女性も同じように指をこちらに向ける。
「あああああー! いた! いた! 見つけたわよ!」
「え…?」
何故かその女性は自身を指差していたセーレではなく、マナを見ていた。
後ろに連れた男二人が引き留めようとするのも振り払って、ズンズンとマナの前へ近付いてくる。
白鳥を思わせる純白のドレスを纏った派手な格好の女だ。
「マナ=グラース! あなた、マナ=グラースでしょう! 顔は調べたから知っているわよ!」
「え、えと…?」
顔立ちは落ち着いて見えるのに、子供のように騒がしい。
あまりの剣幕にマナは思わず、近くにいたセーレの後ろに隠れた。
「姉上。姉上が馬鹿みたいに叫ぶから、相手が怯えてますよ」
「まずは自己紹介をしたらどうでしょうか? 挨拶は相互理解の第一歩ですよ」
「む。それもそうね。私はテレジア=フレール! はじめまして!」
追い付いた双子の男にフォローされ、テレジアは大声で自己紹介を口にした。
「こっちは弟のセルジオとレミジオ! 顔はそっくりだけど、口が悪い方がレミジオよ!」
「お、弟ですか?」
どう見ても二十歳前後にしか見えないテレジアより年上に見えるセルジオとレミジオを見て、マナは訝し気な表情を浮かべた。
「戸惑うのも無理はありません。姉上は使徒に覚醒した二十歳の時から成長していないので」
双子の内、どこか優し気な雰囲気を持つセルジオがフォローするように言った。
「精神年齢の方は十歳の頃から成長しませんがね。多少の癇癪は大目に見て下さい」
双子の内、どこか意地の悪い雰囲気を持つレミジオが呆れながら言った。
「なるほど、使徒の姉と従士の弟か。使徒と従士にも色々いるんだな」
そう呟きながらセーレは背に隠れたマナを生贄のように前に突き出す。
「さて、自己紹介は終わったから本題に移るわよ!」
「な、何の要件でしょうか? そんなに恨まれる覚えなんて、無いのですが…?」
「恨んではいないわ! 私はただ確かめに来ただけだから!」
ガシッと逃げられないようにマナの肩を掴むテレジア。
テンションの高いテレジアが怖いのか、マナは僅かに震えている。
「先生が…バジリオ=コマンダンが異教の村で罪を犯したと言うのは、嘘なんでしょう?」
「…え?」
「だから、先生がケイナン教を破門されたのは先生を妬む人達がついた嘘なんでしょう?」
そう言うテレジアの眼には、少しも曇りが無かった。
本気でバジリオが破門されたのは、不当な理由だと思い込んでいる。
自分の信頼する『先生』が罪など侵す筈がない、と信じている。
「それは…」
テレジアの眼を真っ直ぐ見返し、マナは真実を告げようと口を開く。
その瞬間だった。
「きゃあああああああ!」
誰かの悲鳴が聞こえた。
一つや二つではない。
聖都のあちこちで次々と悲鳴が上がる。
「ぐるァァァァァ!」
同時に、聞き覚えのある獣のような声が聞こえた。
思わずテレジアとマナの二人は、そちらを振り向く。
「バフォメット! どうやって聖都に…!」
「あの草食兵はシュトリの眷属だ。恐らく、奴の能力で人間に化けていたのだろうよ」
驚くマナに対し、セーレは冷静に呟いた。
人の皮を破ったバフォメットは荒々しい息を吐きながら、強靭な拳を振り上げる。
その眼前には、逃げ遅れた女性が立っていた。
「危な…」
「権能『神の光輝』」
助け出そうと動くマナを追い越すように、光の輪がバフォメットへ飛んで行った。
段々と大きくなる光の輪は、まるで円月輪のように回転し、バフォメットの腕をあっさりと斬り飛ばした。
「ほう、光を操る権能か。少し親近感を感じるな」
「今のって…」
マナとセーレの視線の先では、テレジアが新たに光の輪を生み出す所だった。
「あなたとの話は後で! まずはこの悪魔達を倒さないとね! レミ! セル!」
「「分かってる。姉上」」
同時に言いながら法術でテレジアが討ち漏らした敵を滅ぼしていく二人。
「セーレ、私達も…!」
「はいよ。戦力は十分だろうから、怪我人の手当てでもするかね」
怪我人の下へ走っていくマナの後をやる気なさそうに追いかけながら、セーレはそう呟いた。
(それにしても…)
聖都を襲うバフォメットを眺めつつ、セーレは考える。
(聖都を襲撃? この程度の戦力で? 何を考えている、シュトリ)
「今の音は…」
同じ頃、古書店にいたセシールも聖都の異変を感じ取っていた。
外から聞こえる悲鳴と、荒々しい獣の声。
今まで何度も聞いたそれは、バフォメットの鳴き声だ。
(シュトリ…!)
聖都を襲撃させた仇敵にセシールは歯を噛み締める。
「使徒コマンダン! 急いで外に…!」
「やめておけ。バフォメットは頭が弱いが力は強い。お前一人では相手にならない」
外の悲鳴など聞こえないかのように、落ち着いた顔でバジリオは言った。
「聖都には法王様の張った結界もある。放っておいてもすぐに消えるさ」
「そう言う問題じゃないだろう! 今、目の前で人々が傷付いているんだ! それをあなたは見捨ていると言うのか使徒コマンダン!」
「もう使徒じゃない。今の僕は、ただのバジリオだ。従士の一人もいない僕が何の役に立つ?」
平然とバジリオはそう言った。
かつて憧れた英雄の変わり果てた姿に、セシールは顔を歪めた。
「…お前はもう、英雄じゃないんだな」
最後にそう言って、セシールは店から出て行った。




