第三十一話
「半魔の娘。この店に何の用だ?」
「…私はセシール=トリステス。半魔と呼ぶな」
店の椅子に座りって寛いでいるバジリオにセシールは仏頂面で言う。
目の前にいる男は幼少期からの憧れの人物に違いないが、彼がソレーユ村でしたことも忘れていない。
村で行っていた支配を終わらせ、結果的にケイナン教会を破門させたセシールに対し、彼は一体どんな感情を抱いているのか。
「トリステス? まさか、使徒トリステスの…」
「私の母を知っているのか…!」
「母。そうか、お前は『悲劇の聖女』の娘なのか」
冷めた表情を浮かべていたバジリオは僅かに興味を抱いたようにセシールの顔を見た。
「なるほど、確かに面影はある。ふん、忌々しい悪魔の血も混ざっているようだがね」
皮肉気な言葉を口にしながらも、以前のような侮蔑の感情は無かった。
懐かしさを感じているように、バジリオは目を細めている。
「…母とは、どんな関係だ?」
「別に深い関係ではないさ、一度や二度、出会っただけだ。こう見えても長生きな物でね。顔は広い」
未だ二十歳にも満たないような容姿のバジリオだが、実年齢は五十を超えている。
使徒の中でも特にバジリオはその武勇で目立つ存在だった。
過去に生きた殆どの使徒と面識があっても不思議ではないだろう。
「ただまあ、アレは良い使徒だった。使徒とは皆、鋼の信仰心故に人心に鈍感になるものだが…アレは人の心を捨てなかった」
かつて出会った聖女を思い出しながら、バジリオは少し穏やかな雰囲気で呟く。
「人間のままでありながら、人間を超える使徒になった。後にも先にも、そんな使徒は彼女だけだった」
「…あなたの考えでは、使徒は従士を道具のように扱える非情な人間ではなかったのか」
ソレーユ村でバジリオはそう語っていた。
使徒とは神に選ばれた絶対的な存在であり、従士はそれを守る道具に過ぎないと。
「その通りだ。使徒が従士を守って傷付くなど本末転倒。未熟な証拠だよ」
「………」
「誰にも死んで欲しくない。そんな甘い考えを通すつもりなら、強くなければならない。自分も部下も誰も傷付かない力を得なければならない」
バジリオはそう言うと、首から下げている十枚の銀貨に触れた。
「…あなたは、だから『シュバリエ』を作ったのか?」
懐かしむような表情でそれを眺めているバジリオにセシールは思わず尋ねた。
手にしていた伝記を開いて、バジリオに見せる。
「『シュバリエ』…使徒コマンダンが従えた十人の従士。賢者カナンの弟子になぞらえて作られた高潔な騎士達だと聞いているが…」
「高潔だって? ははは! そんな上品な奴らじゃなかったさ。使徒を殴ってクビになった乱暴者。冤罪で牢に入れられていた囚人。どいつもこいつも引き取り手のいない馬鹿ばかりだった」
悪態をつきながらも、バジリオは嬉しそうな笑みを浮かべた。
その眼は目の前のセシールではなく、遠い過去を見ているようだった。
「たまたま僕の権能と相性が良かったから、かき集めただけで纏まりなんてないごろつきの集団だった。自分から騎士と名乗ったことも無かった」
「………」
「本当に、馬鹿な奴らだったよ」
チャリチャリとバジリオの手の中で銀貨が音を発てる。
十枚の銀貨のペンダント。
バジリオの従士と同じ数の銀貨が。
「その、銀貨は…」
「…ああ、コレは。シュバリエを結成した時に作った記念銀貨だ。裏に名前が刻まれている」
それはまるで、墓碑のように。
既にそれの本来の持ち主は、この世には誰もいない。
それを嘆くのでも、悲しむのでもなく、ただ懐かしそうにバジリオは銀貨を撫でる。
「…僕は、生まれた時から神に愛されていた」
ぽつり、とバジリオは呟いた。
「生まれてすぐに兄弟を全て流行り病で亡くしたが、僕だけは『幸福にも』無事だった。十八歳の時には両親を悪魔に殺されたが、使徒に覚醒した僕は『幸福にも』無傷だった」
バジリオは楽観する訳でも、悲観する訳でもなく、淡々と言葉を続ける。
「その後も様々な困難や災難に見舞われるが、いつだって僕は『幸福にも』助かり続けた。人々はただ一人戦場から帰った僕を英雄と持て囃したのさ」
「………………」
バジリオの過去に、セシールは言葉が出なかった。
バジリオ自身は幸福だと言ったが、それは本当に幸福な人生なのだろうか。
確かに苦労もなく挫折もなく、悲劇も不幸もなく生きてきたのだろう。
だが、幸福であり続ける代償に他者の不幸を見せ続けられた人生は、本当に幸福なのか。
「人間は脆すぎる。僕の傍にいれば、簡単に死んでしまう。だからこそ僕は、強い従士が欲しかった」
それがシュバリエを作ったきっかけ。
死なない仲間が欲しいと。
自分のせいで不幸にならない仲間を求めた。
「それも、失敗に終わったがな」
バジリオはそう吐き捨てて、銀貨を弾く。
チャリッと銀貨が小さく音を発てた。
「あ、愛の戦争の新刊出てる」
馴染みの書店にて、マナは驚いたように呟いた。
新刊コーナーに並べられた真新しい本を取りながら、首を傾げる。
「でも、コレって確かシュトリさんが書いた筈だけど…」
マナの愛読書であるこの愛憎劇は、シュトリの作品である。
あの人間好きのシュトリは一体どうやって、自分の作品を世に広めているのだろうか。
「うーん。続きは気になるけど、多分買って帰ったら以前にも増してセシールが怒るだろうな」
何か別の本は無いか、とマナは新刊コーナーを眺める。
冒険譚、英雄譚、怪談話、恋愛話、様々なジャンルがある。
マナは基本的に雑食なので、本なら何でも読む文学聖女だ。
ただ最近のマイブームは、ドロドロの恋愛物だった。
「こ、コレにしてみようかしら。ちょっとエッチな表紙だけど」
やや震えながら一冊の本を手に取る。
それは裸の男女が抱き合う表紙の、少々過激な恋愛小説だった。
聖女としての高潔さと、人間としての好奇心がぶつかった末に、好奇心が勝利したようだ。
「この本のことはセシールには知られないようにしないと」
会計を済ませながらマナは呟く。
色欲の悪魔の娘である割にかなり純情なセシールを思い、マナはそう決意した。
「使徒には性欲無いんじゃなかったのか?」
「うひゃあ!?」
大事そうに包装された本を抱えた時、背後から男の声が聞こえた。
思わず変な声を上げて飛び上がるマナを、その声の主セーレは真っ直ぐ見つめている。
「せせ、セーレ! いつからそこに…」
「貴様がドキドキしながらそれを買った時からだ。ムッツリ聖女」
「む、ムッツリ聖女!?」
ショックを受けて固まるマナに、セーレは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「コレはその、何と言うか…違って…」
「いや、俺は少し嬉しいぞ。貴様にも人並みの欲があったようで。ははは…」
「あのセーレが見たことないくらい優しい笑みを!? だからコレを買ったからと言って、私にそう言う願望がある訳では…!」
「分かっている分かっている。ぷ、くく…」
「それは分かっていない反応だよね!」
悲鳴のような声を上げるマナをセーレはどこまでも楽しそうに笑った。




