第三十話
聖地エノクの一件から三日後、
聖都の正門に訪れた者がいた。
「もう! いつまで待たせるのよ!」
それは灰混じりの金髪の女だった。
年齢は二十歳か、それより下に見える外見の女。
背中の大きく開いた純白のドレスを纏っており、同色の靴も合わせてどこか白鳥を思わせる女だ。
顔立ちは一見クールで落ち着いて見えるが、口を開けば子供のように喜怒哀楽が激しい。
首からはペンダントのように一枚の銀貨を下げ、何故かその頭上には『天使のような光の輪』がふわふわと浮かんでいた。
「い、いえ、法王様の住むこの聖都に、身元が判明しない怪しい人物を通す訳には…」
怪しさ満点の天使女を前に、しどろもどろになりながら門番が答える。
その視線は女の顔ではなく、頭に浮かぶ光の輪に向けられていた。
「怪しい!? この私が怪しいですって!? 私のどこが怪しいと言うのよ…!」
「ぜ、全部です。そもそも、この年齢は間違いでは…?」
門番がこの不審な女に書いて貰った書類を眺めながら、恐る恐る呟く。
「…どこが間違っているのよ。私はもう三十歳よ! 色気漂う妙齢のレディだわ!」
「え、えと…」
どう見でも二十歳かそれ以下にしか見えない女は胸を張って実年齢を語る。
門番の警戒度が更に上昇した。
「どうもすいません。門番さん」
その時、困り果てる門番に優しい声がかけられた。
今まで従者のように女の後ろに佇んでいた二人の男の内、一人が苦笑を浮かべていた。
二十代後半くらいに見える屈強な肉体の大男で、女と同じく白を基調とした服を着ている。
その背格好は威圧感を与えるが、浮かべている表情は穏やかな物だった。
「ウチの姉が迷惑をかけてばかりで…」
「い、いえ別に………え? 姉?」
「セルジオ! 私がいつ迷惑をかけたって言うのよ!」
女は怒ったように男『セルジオ』の名前を呼ぶ。
見た目に反して気が弱いのか、セルジオはそれに苦笑するだけで何も言わない。
「姉上。いい加減にしないと、先生に会う前に捕まりますよ」
様子を見守っていたもう一人の男が少し怒ったように言った。
双子なのか、セルジオにそっくりの大男だが、表情はやや攻撃的だ。
「レミジオ…うう、それはマズイわ。そんなことになったら、また先生に怒られちゃう」
その言葉を聞いた途端、女は急に萎縮したように肩を落とした。
余程『先生』と言う人物を怒らせたくないらしい。
「法王様かオズワルドさんに話を通して貰ったらどうです?」
「そ、それもそうね! そこの人!」
レミジオの言葉に気を取り直し、女は門番の肩を掴む。
「使徒『テレジア=フレール』が帰ってきたと法王様に伝えなさい!」
「箱舟の章。第五節展開…」
信徒の宿舎に設けられている練習場にて、セシールは法術の訓練をしていた。
母の仇であるシュトリと出会い、力不足を実感してからは毎日続けている。
使徒の持つ権能は才能に左右されるが、法術は努力次第で強化される。
研鑽を積み、より強固な信仰を持つことで扱える法力も増えていくのだ。
「…はぁ。まだ第五節を長時間維持することは出来ないか」
自身の無力さにセシールはため息をつく。
法術は対人用の『洗礼の章』と対物用の『箱舟の章』があるが、更に節と言う物がある。
第一節が一番法力の消耗が小さく、第五節が一番法力の消耗が大きい。
簡単な武器の強化なら第一節で十分だが、悪魔を封じる結界となると第五節以上で無ければ作り出すことは不可能だ。
シュトリと戦うと言うなら、第五節以上の法術を使うことが前提条件だが、セシールには第五節が限界。
その第五節の結界ですら、シュトリにはあっさりと破られてしまった。
「これ以上の力か…」
セシールは自分の手を見つめる。
高度な法術は使えない。
だが、セシールの身体には悪魔の血が流れている。
セーレの言葉を思い出す。
目的を果たす為なら、手段を選ぶなと。
「…と言っても、使い方なんて分からないんだが」
法王のお膝下である聖都に、悪魔の力の使い方を知る者などいる筈がない。
例え使う決意をしたとしても、それを誰が教えてくれると言うのか。
セーレなら教えてくれるかもしれないが、アレに頼みごとをすると後が怖い。
「はぁ…何か勉強になる本でも探しに行こうか」
「はぁー…思ったより早い帰還でしたね」
同じ頃、ヴェラは門番からの報告に深いため息をついた。
頭痛を抑えるように頭に触れながら、許可証を発行する。
(テレジアさんが帰ってきたのはあの件が理由だろうし。面倒なことにならなければ良いのですが)
娘の素行に困る母親のような顔で、ヴェラは頭を悩ませる。
それだけテレジアと言う女に手を焼いているのだろう。
「…疲れた。オズワルド、そろそろ休憩しませんか?」
「いえ、書類がまだ残っております。コレも、コレも、コレも、本日中にお願いします」
ドサドサと机の上に新しい書類を置きながらオズワルドは平然と言う。
ひくっとヴェラの顔が引き攣った。
「あのですね。幾ら私がそれなりに有能だとは言え、流石にこの量を一日で裁くのは不可能ですよ?」
「使徒は生きる上で食事も睡眠を必要としません。二十四時間ほど休息なしで働き続ければ終わるかと」
「…こ、この悪魔! 私はこれでも法王ですよ!? ケイナン教会の信仰対象の一人ですよ! あなたには信仰は無いんですか!?」
「信じておりますとも。私の信じる法王様なら、この程度の仕事は平然と片づけてしまうと」
「くぅぅ…! バジリオさんを破門にした件を根に持っていますね! アレは説明したでしょう! 私には私の考えがあって…」
机をバンと叩きながら怒りを表現するヴェラ。
目尻に涙が浮かんでいる為、威厳は殆どない。
「…そのことには納得しました。しましたが、もう少し早く訳を教えて欲しかったですね」
「だって、オズワルドに言ったら絶対反対すると思ったから。あなたって、頭は石のように硬い癖に本当に身内には甘い子ですよね。ふふふ」
「書類追加」
「あああああー!?」
机を埋め尽くす書類の量に、ヴェラは悲鳴を上げた。
「お邪魔しまーす…」
セシールはヴェラの書店を訪れていた。
半開きの扉を通り抜け、薄暗い店内を眺める。
「あれ? 誰もいないのか?」
扉が開いていたのでヴェラがいると思っていたのだが、店にヴェラの姿は無かった。
留守だろうか。
だとすれば、扉も開けっ放しで随分と不用心だが。
「…ん?」
チラッとセシールの視界の端に、見覚えのある本が映った。
思わず手に取ってしまったそれは、英雄の記録。
使徒コマンダンの伝記だった。
「…バジリオ=コマンダン、か」
教会で訓練を受けていた時は、よくコレを読んでいた。
使徒でも人間でも分け隔てなく接し、誰一人欠けずに勝利する理想の使徒。
幼少期から憧れていた人物だが、実際に出会った本人は…
「………」
バジリオが破門になったと言うのは、先日公表された。
ソレーユ村で暴政をしていたバジリオは、使徒としての地位を奪われ、あらゆる権限を失った。
かつての英雄の悲惨過ぎる末路だった。
今は一体どこで何をしているのだろうか。
「…?」
コツ、とその時、店の奥から音が聞こえた。
ヴェラが奥にいたのか、とセシールは顔を上げて目を向ける。
そして、思わず硬直した。
左目を隠す白金色の髪、女性の様に華奢で柔らかそうな体つき。
首からは十枚の銀貨を繋げた首飾りを下げた、全体的に白い印象を受ける男。
「お前は…」
バジリオ=コマンダンがそこにいた。




