表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖なる怪物  作者: 髪槍夜昼
幕間
28/108

第二十八話


患者は一人では終わらなかった。


村長が広めたのか、マナが帰っていることを聞きつけた人々は皆、村長の家に集まった。


傷や病、果てには疲労までマナに治して貰おうと押し寄せる。


当然ながら、マナは誰一人として拒まなかった。


集まった全ての村人に対し、法術を施した。


「はぁ…はぁ…」


既に治療した人間は百人を超えていた。


幾らマナの法力が多いとは言っても、無限ではない。


一度にコレほどハイペースで法術を使用すれば、体力も消耗する。


「はぁ…次の人、どうぞ」


それでもマナは不満一つ零すことはなかった。


法術とは、使徒とは、人間を救う為に存在する。


それがマナの生まれた意味であり、それだけがマナの生きている意味である。


そう本気で信じているが故に、むしろこの状況を嬉しいとすら思っていた。


「………………」


セーレはそれを無言で眺めていた。


不機嫌そうな表情を隠しもせず、時折舌打ちをしながらマナを見つめている。


「元気になったよ、ありがとう!」


「ありがとう。マナちゃん」


口々にそう言っては村人達は帰っていく。


礼を言いながらも、マナの疲弊した様子には気付きもせずに。


(…イラつくぜ。俺の大嫌いな偽善の臭いがする)


大きく舌打ちをして、セーレは手の平を窓の外へ翳す。


(うんざりだ。俺はこんな胸糞悪い物を見る為に、この村に来たんじゃねえんだよ! 聖女様!)


青白い粒子が放たれ、窓の外へ消える。


瞬間、外から悲鳴が聞こえた。


「あ、悪魔だ! 悪魔が出たぞ!」


「助けてくれー! 誰か!」


「ッ!」


突然の声に、マナは急いでセーレの方を向いた。


セーレは何食わぬ顔でひらひらと手を振るだけだった。


「マナちゃん!」


「…分かりました」


聖地とは言っても、住んでいるのは普通の村人達に過ぎない。


今、この場で悪魔と戦えるのはセーレとマナだけだった。








「コレは…」


村の中で暴れていたのは、黒い霧に覆われた狼だった。


以前戦ったこともある悪魔未満の怪物。


『魔物』だった。


(前に見た魔物…? 確か、全部セーレさんに消された筈…)


直接見た訳ではないが、以前出会った魔物はマナの願いに従ったセーレに全て消された。


青白い粒子に呑まれ、どこか異空間に転移されたのだ。


「ぐるァァァァ!」


「ッ…!」


雄叫びを上げながら向かってくる魔物に向かって、マナは手を翳す。


考えるのは後だ。


今はこの魔物を何とかしなくてはならない。


「「洗礼の章(バテーム)…展開」


マナは以前と同様に洗礼の章(バテーム)を発動する。


魔物から魔性を引き剥がす為に、法術を展開した。


展開された光の壁に、魔物は迷うことなく向かっていった。


「…俺は一度転移で『倉庫』に仕舞った物をいつでも取り出すことが出来る。そこにいるのは以前戦った魔物の一匹だ」


そんなマナを離れた所から眺めながら、セーレは一人呟く。


「長いこと『倉庫』に仕舞われて弱っている魔物一匹、聖女様なら簡単に殺せるだろう」


苦しそうに息を吐きながら光の壁を維持するマナ。


その光は弱く、明らかに普段より薄い。


「―――本来の実力が出せればの話だが」


法術を使うには法力と体力が必要だ。


マナは村人を治療したことでその両方を大きく消耗している。


コンディションは最悪。


例えマナが才能ある使徒であっても、魔物相手に苦戦する程に弱っている。


「く…!」


魔物が近くにいた村人を攻撃するように動き、マナはそれを庇って突進を受け止める。


光の壁を突き破った魔物の爪がマナの肩を掠め、赤い血が宙を舞った。


「せ、セーレさん…!」


助けを求めるようにマナは叫んだ。


恐らく、自分だけでは村人を守れないと判断したのだろう。


再び契約を交わし、魂を対価に願いを叶えて貰おうと。


「断る」


「え…」


マナは思わず、頭の中が真っ白になった。


呆気に取られたマナを嘲笑いながら、セーレは言葉を続ける。


「何て顔をしている? 断ると言ったんだ。魂と願いは等価交換。俺と貴様は平等。ならば、意にそぐわぬ願いを拒否するのは俺の自由だろう?」


「そ、そんな…」


「ぷ、くく…くはははは! この俺が困った時は何でも助けてくれる優しいお友達だとでも思ったか? 俺は貴様の敵だぞ?」


その願いは拒否する、とセーレは宣言した。


今までセーレがマナを助けたのは、あくまでも自分の利があってのこと。


気に入らない願い、利益に繋がらない願いは、初めから叶えるつもりはない。


「知らない内に俺を頼りにし過ぎていたのではないか? 自分では何一つ成し遂げようとせず、他者の力を当てにする。この村の人間達のように」


「ッ…!」


セーレの言葉は鋭い刃のように、マナの心に突き刺さった。


バフォメットの時も、シュトリの時も、マナは何も出来なかった。


使徒は人を救う者であると口にしながらも、肝心な所ではセーレに頼っていた。


それが魂を対価にした契約だと言うことは関係ない。


セーレに頼って、自身の無力を自覚しなかったことはマナの堕落だ。


「…その通りです。この村は私の故郷。私自身の手で護ってみせます…!」


傷付きながらも、マナはそう叫んだ。


自分の故郷すら救えず、一体誰が救えると言うのか。


マナは残った法力と体力を振り絞って、法術を発動する。


魔物と自身を閉じ込めるように光の壁を展開し、命をかけて村を守る決意を固めた。


「…分かってねえな。そこだけじゃねえんだよ、貴様の間違いは」


セーレは呆れたように息を吐く。


何が駆り立てるのか、村を守る為なら喜んで死のうとするマナを睨む。


マナを見ているのは、セーレだけではなかった。


村人達もまた不安そうな目でマナを見ている。


「どうして、負けそうになっているんだ…?」


魔物に押されているマナの姿を見て、誰かが呟いた。


「マナちゃんは、使徒の筈だろう? 使徒ってのは、悪魔を殺せるんじゃなかったのか?」


「村を守ってくれるんだろう。早くそいつを殺してくれよ!」


口々に自分勝手なことを叫ぶ村人をセーレは冷めた目で見ていた。


そう、セーレが感じた偽善の臭いはコレだ。


使徒でもなく、信徒でもない無力な一般人。


彼らは弱く、使徒に『守られる存在』だ。


それは間違いではないが、彼らは守られることに慣れ過ぎた。


過保護に育てられた子供のように、それが当然であると思い込んだ。


「はぁ…はぁ…!」


「何やっているんだよ! 早く殺せ!」


疲れ切ってボロボロのマナなど見えていない。


彼らにとってマナとは、あらゆる危険から守ってくれる存在だ。


そんな彼女が疲れたり、傷付いたりするなど、考えもしない。


「………………」


恐らく、人ではなく神の遣いか何かと認識しているのだろう。


だからこそ、礼は述べても体調を気遣うような言葉は誰も言わなかった。


「大、丈夫…ですから。私が、皆を必ず…」


「…もういい」


理不尽な言葉を投げかけられながらも、魔物と戦い続けるマナを見てセーレは静かに呟いた。


パチンと指を鳴らすと魔物は跡形もなく消え失せる。


それと同時に、マナの展開していた光の壁が消えた。


「セーレ、さん…」


「こんな奴ら、観察する価値もない」


ホッとしたような表情のマナは、次のセーレの言葉に凍りついた。


「ここで全員殺す」


景色が歪む程の青白い粒子がセーレの全身から噴き出す。


立ち上る青白い光の柱を見て、マナは慌ててセーレの手を掴んだ。


「や、やめて! この人達を殺さないで!」


「ハッ、こんな奴らの為に俺にすら立ち向かうか?」


じろりとセーレは青白い粒子に怯える村人達へ目を向けた。


その中で一際目立って怯えている村長を一瞥し、唾を吐く。


「手紙一つで聖都から駆け付け、文句一つ言わずに何でも助けてくれる」


セーレの口元が愉悦に歪む。


「聖女様は心の底から優しいな。骨が溶けるくらいの甘ったるさだ。しかし、優しさは人を腐らせる」


何の対価も、何の苦労もなく、優しさだけを与える。


それは傍から見れば善行だが、実際は悪魔の所業だ。


「この村を堕落させたのは貴様だ、狂信者。貴様の過保護さが、こいつらに『楽』を覚えさせ『苦』を忘れさせた」


この村はマナに依存している。


放っておけば治るような傷でさえマナに頼る程に堕落している。


「堕落した魂こそ俺のコレクションに相応しい。退け、貴様の罪を俺が刈り取ってやる」


「させ、ない…!」


マナはそれでもセーレの手を離さなかった。


「私のせいだと言うなら、尚更よ。村の人達には手は出させないから…!」


真っ直ぐにセーレの顔を睨みながらマナは告げる。


セーレもまた、真っ直ぐにマナの顔を見つめた。


「何故そこまで他人の為に生きようとする。自分を犠牲にしようとする」


セーレの眼が仮面の下で青白く光る。


今まで感じていたマナの根幹を見透かそうと、鋭い視線を向ける。


その視線に込められた感情を感じ取り、マナも重々しく口を開いた。


「…一番大切な人達を救えなかったからよ」


マナの表情が悲痛に歪む。


かつてないほどに力無い声で、マナは続ける。


「一年前、私の家族が悪魔に襲われた時、私は聖都にいた。私は家族を助ける力を持ちながら、間に合わなかった…」


それはマナの後悔の記憶。


三年前に使徒に選ばれてから訓練をすることに夢中で故郷に一度も帰らなかった。


より多くの人を救う為にと考えるあまり、誰よりも救わなければならなかった人達を救えなかった。


それこそがマナの罪。


「だから私は、今度こそ私の力で皆を守る。絶対に!」


「…それが貴様の本質か。使命感と罪悪感………下らねえな」


セーレは心底呆れ果てたように吐き捨てた。


マナは自分より他人を優先しているのではない。


自分の命を他人の為に使い果たすことを、心から望んでいるのだ。


ケイナン教では他人の為に命を投げ出すことを美徳としているが、コレは異常だ。


それは最早、奉仕体質と言うよりも自殺願望に近い。


「偽善者が。そんなに死にたければ、ここで死ね」


故郷を守ると言う大義名分の下、自殺しろ。


そう告げて、セーレは青白い粒子を放つ手をマナへ向けた。








「………」


今までに何度も見てきた青白い粒子がマナに迫る。


人体など容易く切断する凶器が近づく。


震えながらも一歩も動かないその背中を、村人達は見ていた。


「マナ、ちゃん…」


それは小さな背中だった。


あんなちっぽけな少女に、自分達は何を期待していたのか。


幼い頃から知っているあの少女が不思議な力を手に入れ、天使にでもなったと思っていたのか。


疲れ果てながらも笑みを浮かべてくれた彼女に、自分達は何をした。


「ッ…」


家族を全て失った少女の罪悪感に付け込み、利用し続けたのだ。


「…訂正しろ」


彼女は偽善者などではない。


こうして彼女に救われた者が、ここにいる。


一人の少女を利用し続けた自分達は悪人かもしれないが、彼女は違う。


「訂正しろ! 彼女は…!」








「あ?」


セーレは村長が発した言葉に訝し気な顔をした。


村長だけではない。


今まで怯えていただけだった村人達が、敵意の込められた目でセーレを睨んでいる。


「マナちゃんを離せ! この仮面野郎!」


「何か武器に使えそうな物は無いか! 全部持って来い!」


村人達が口々に叫び、石を投げたり、武器を手に取ったりしている。


セーレに対して何の役にも立たないことを知りながらも、マナを助けようとしていた。


「皆…」


「チッ、ウザいな」


飛んできた石を素手で握り潰して見せても、村人達の戦意は揺らがない。


セーレが人ならざる力を持っていたとしても、マナを見捨てる理由にはならない。


マナはどんな些細なことでも助けてくれた。


その恩を返す時だ。


「一人二人消し飛ばせば、本性を表すか?」


苛立ちながらセーレは手を村人達へ向けた。


「悪法…」


「やめて!」


それを見て、マナはセーレの前に飛び出した。


手から放たれた青白い粒子は、村人を庇ったマナに命中する。


瞬間、バチッと火花のような音が響いた。


「…何だと?」


マナの身体が粒子を超える程の黄金の光を放つ。


マナが権能を使用した時に放つ、蝶に似た黄金の粒子。


バキバキと何かが割れる音を響かせて、青白い粒子が消えていく。


セーレの悪法が、消滅した。


「馬鹿な。悪法を、無効化しただと…?」


「はぁ…はぁ…!」


驚いたように目を見開くセーレの前で、マナは膝をつく。


至近距離で悪法を受け止めたせいか、酷く消耗した様子で今にも倒れそうだ。


次に同じ攻撃が放たれれば今度は防げないだろう。


「………ぷ、くく。貴様は面白いな」


しばらく考え込むように黙った後、セーレは楽しそうに笑った。


新しい玩具を手に入れた子供のように無邪気に、嗤った。


「殺すのはやめだ。貴様は興味深い。もうしばらく、観察させてもらうとするよ」


そう言うと、セーレは粒子に溶け込んで姿を消した。


それを確認すると、疲労からかマナは糸が切れた人形のように気絶した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ