第二十四話
「悪魔に関する本を読んでいたのか?」
ローブの男はセシールの手にした本を指差して言った。
聖職者が悪魔の本を読むのが意外だったのか、訝し気な表情をしている。
「…はい。先日、悪魔と交戦した際に力不足を実感しまして」
言葉を濁しても良かったのだが、セシールは思わず本音を零してしまった。
誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
「敵を知れば少しは変わるかと思って…」
「…七柱は五百年前から生き続ける存在だ」
ローブの男は本のタイトルから察した、セシールの『敵』の名を語る。
「五百年、法王ですら滅ぼし切れなかった化物だ。それを殺すと?」
物を知らない若者を見るような眼で、ローブの男はセシールを見た。
五百年の時を生きる法王にも、七柱を根絶することは出来なかった。
それを、二十年も生きていない娘が成せる筈がない。
シュトリを殺すだけだとしても、何年、何十年の努力が必要か、
そもそもセシールが生きている間に殺すことが出来るのか。
「…不可能なのは分かっています。それでも」
まるで心の底まで見透かすような眼で見られ、セシールは自身の思いを正直に語る。
「私は、母の名誉を取り戻さなければならない。出来る出来ないではなく、私がこの手で成さねばならないことなんです」
冷ややかな視線に晒されながらも、セシールは確固たる意志で答えた。
(………)
セシールの母、セシリア=トリステスは使徒だった。
使徒の例に漏れず、人々の為に尽くし続けた彼女はある時、子を妊娠する。
そのこと自体は祝福されることだった。
人々は使徒の子の誕生を心から祝った。
その子が、悪魔の仔だと発覚するまでは。
当然、セシリアは知らなかった。
シュトリに人間であると騙され、愛していた。
悪魔に誑かされたセシリアは使徒として、人間としての尊厳を全て失い、最後は忍び込んだシュトリ本人に殺害された。
その復讐を果たさなければならない。
「強い意志だな。強い言葉を吐くだけなら餓鬼でも出来るが、強い意志も伴えば、侮れないものだ」
どこか感心したように、ローブの男は頷く。
「不可能だと諦めず、それでも尚目的を求める心は素晴らしい。好みだ」
「こ、好みって…! 突然そんなことを言われても困ります…」
見知らぬ美男子にそんなことを言われ、柄にもなく照れてしまうセシール。
「ぷくく、何を照れる必要がある。俺と貴様の仲ではないか?」
(…ん?)
ローブの男は今まで浮かべていた冷たい表情をやめ、へらへらとした表情を浮かべた。
端正な顔立ちに似合わない、悪童のような表情。
何故か、凄く見覚えがある。
「………………まさか、お前」
嫌な予感を感じ、セシールの赤らんでいた顔が青く染まる。
「しかし、半魔とは言え人間がシュトリを殺すには力が必要だぞ。何なら契約するか?」
「お前、セーレか!? セーレだろう!?」
ようやくローブの男の正体に気付き、セシールは叫んだ。
仮面を外し、やや態度が違ったので気が付かなかった。
普段から身に着けているローブを揺らしながら、セーレは笑みを浮かべた。
「何だ、やっぱり気付いていなかったのか。妙だとは思ったが」
「だ、騙したな! 仮面はどうしたんだ!」
「前に言っただろう。別に顔を隠す為に仮面を付けている訳ではないと」
見られて恥ずかしい顔はしていない、とセーレは胸を張る。
事実、その顔は高貴な身分を思わせる程に整っていたが、正体を知ると途端に胡散臭い物に見えてくるから不思議である。
「しかし、少し褒められた程度で赤面するとか、生娘でもあるまいに。それでも貴様は色欲の娘か?」
「私をアレと一緒にするな! と言うか、私は本当に生むす…ッ!」
言いかけてから自分が何を口走っているのか理解し、赤面するセシール。
明らかに純情な娘と言った態度に、セーレは首を傾げる。
「アレの娘とは思えんな。母親の血か?」
セーレと何だかんだで付き合いの長いシュトリとは似ても似つかない。
軽薄で見境のないシュトリを嫌っているセーレとしては、むしろ好感が持てるのだが。
「私だって、あんな奴の血が少しでも私に流れていると思いたくない…」
「まあ、そう言うな。貴様の中に流れる悪魔の血は有用だ。身体能力向上、自己治癒促進、他にも様々な力となる」
「私は悪魔の力になんて頼らない」
「異なことを言う娘だ。これまでだって、俺の力を頼りにしておきながらそんなことを言うなど」
「ッ…」
図星を突かれ、セシールは顔を顰めた。
最初にバフォメットに襲われた時も、魔物の時も、シュトリの時も、セシール達はセーレに頼ってきた。
悪魔の力に頼ることなど、今更だった。
「身の丈を超える夢を持つのは良いことだ。だが、それを叶える手段まで上品さを求めるのは聖職者の悪い癖だな」
強欲を司る悪魔は、人の夢を肯定する。
身の丈を超える理想や夢。
そうした願いは、強い欲となるから。
理屈や現実よりも、剥き出しの感情を好むが故に受け入れる。
「叶えたい願いがあるのなら、手段など選ぶな。命を、魂をかけろ」
「………」
「正攻法では七柱は殺せない。シュトリも、俺もな」
まるで、セシールが自分を殺せる程の力を得ることを望むかのようにセーレは嗤った。
半魔とは言え、まだ二十年も生きていないセシールとは送ってきた人生が違う。
「…悪魔の囁きと言うやつか?」
「優しい叔父さんからの助言だよ。どう受け取るかは、姪っ子次第だが?」
「ふん。どれだけ時間をかけようと、悪魔は全て滅ぼしてやる。お前も含めて」
「その時を楽しみにしているぞ。悪魔娘」
不敵に笑って、セーレは地面に手を翳した。
転移するつもりなのか、その身体が青白い粒子に包まれる。
「…ああ、貴様とシュトリは似ていないと言ったが」
「?」
「あの色狂いも、流石に同性愛にまでは手を出していなかったな」
「なっ…!」
「その点で言えば、貴様は既に親を超えているぞ? ぷ、くく…くははははははははは!」
嘲るように笑いながらセーレは姿を消した。
後に残されたセシールは、やり場のない怒りをぶつけるように地面を殴る。
「こ、殺す…! 絶対にお前も、私が殺してやるからなー!?」
「この本は?」
「それは…うーん、ドラクマ銀貨一枚で良いわ」
「こっちは幾らですか?」
「そっちは…えと、レプタ銅貨で五枚かな?」
店内に並ぶ本を物色するマナに、店主であるヴェラが答える。
適当な本を取っては値段を聞くマナに対し、ヴェラの返答は曖昧だ。
言われてから値段を決めているようにしか見えない。
どうやら、今まで物を売ったことなどないようだ。
「…これで五レプタは安すぎるのでは?」
「じゃあ、六レプタで! それより、紅茶が入ったからティータイムにしましょう」
金銭感覚も疎いのか、適当に値段を変えるヴェラ。
明らかに商売をする気が無い。
困惑するマナを強引に座らせて、テーブルの上にカップとポットを置く。
洒落た柄の皿の上には、切り分けられたアップルパイが置いてあった。
「…そう言えば私、アップルパイって食べるの初めてです」
「本当に? 甘い物は苦手でしたか?」
「いえ、甘い物は好きですけど、家があまり裕福ではなかったので」
恥じるようにマナは苦笑した。
少し気になったが、ヴェラは深く聞くことは無かった。
アップルパイは別に高級品でもなく、子供のお小遣いでも買えるお菓子だ。
それが食べられない、と言うのはかなり貧しかったのではないだろうか。
マナがどこか食べ物に関心が薄いのは、その幼少期の経験が影響しているのかもしれない。
「いただきます…」
マナはパイを口に運ぶと、驚いたように目を瞬かせた。
黙ってしまったマナをヴェラは不思議そうに見つめる。
「どうしたの? 口に合いませんでしたか?」
「………………」
カチャ、とマナは手にしていたフォークをテーブルに置く。
ぷるぷると身体が震えていた。
「美味しい。今まで食べた物の中で、一番美味しいです…!」
感動したようにマナは叫んだ。
見開いた目が、見たことないくらい輝いている。
「…ねえ、確かに美味しいけど。コレって、普通のアップルパイよ? しかも手作りだし」
あまりの喜びっぷりに、喜んで貰えて嬉しいと言うよりも、不憫な気持ちになってしまうヴェラ。
使徒の地位にあり、それなりの報酬も貰っている筈だが、今までどんな物を食べて生きてきたのだろうか。
「手作りだったのですか! ヴェラさんはお料理も上手なんですね!」
普段よりテンションの高いマナはヴェラへと尊敬の眼差しを向けた。
「期待を裏切るようだけど、コレ作ったのは私じゃないわよ?」
「え? それでは誰が?」
「………オズワルドが」
ヴェラの言葉に、マナは耳を疑った。
あの石のような仏頂面の男と、このアップルパイがどうしても繋がらない。
「い、意外ですね。甘い物が好きそうには見えませんでしたが」
「いや、オズワルドは甘い物嫌いみたいよ? でも、私が頼んだら作ってくれてね」
「………」
それはヴェラの為に作り方を勉強したのではないだろうか、とマナは思った。
甘い物嫌いなオズワルドが、ヴェラに美味しいアップルパイを作る為に。
その努力は本人に伝わっていないようだが。
「ガルグイユさんとヴェラさんは仲が良いんですね」
「オズワルドと私か。まあ、付き合いは長いかしら」
「お付き合い、してらっしゃるのですか?」
少しだけ顔を赤らめてマナは尋ねた。
他人の恋愛事には人並みに興味のある年頃なのだ。
「オズワルドと? ないない。歳が離れすぎてる」
「…そうですよね」
納得したように頷くマナ。
確かに、実年齢が五十代のオズワルドと、外見年齢が二十代のヴェラでは歳が離れているだろう。
歳が離れ過ぎてる、それがどちらの意味なのかは法王のみぞ知ることだった。




