第十四話
「使徒コマンダン…! あなたが!」
目の前に立つ紳士然とした男の正体を知り、セシールは無意識の内に後退る。
歴史に名を刻む程の偉人。
子供の頃より憧れていた相手に出会い、興奮を抑えきれない。
「…あ。し、失礼しました! そうとは知らずに無礼な口を…!」
自分の言動を振り返り、慌ててセシールは頭を下げる。
知らないとは言え、セシールはコマンダンをお前呼ばわりしてしまった。
赤らんでいた顔を真っ青にして、謝罪する。
「いや、別に気にしていない。美少女の罵声なんて、むしろ心地良いくらいである」
「そ、そうですか、ありがとうごさいま………今、何て言いました?」
朗らかに笑うコマンダンの言葉に、セシールは己の耳を疑った。
この憧れの人物は、何か妙なことを口走らなかっただろうか。
「何でもない。それより君達は?」
「…申し遅れました。私はセシール=トリステス、従士です」
少し考えた後にセシールは取り合えず自己紹介をした。
先程の発言は聞かなかったことにしたようだ。
「私はマナ=グラース、使徒です」
「ほう。コレはコレは、可愛らしい主従がいたものだな」
言葉だけ聞けば皮肉の様に聞こえるが、コマンダンの顔には何の悪意もなかった。
自分の娘を見る父親の様に穏やかな表情だ。
それだけで、二人はこの人物が温厚な性格であることを理解した。
「私達は聖都から派遣されて来たんです。コマンダンさん、ここで一体何が起きているのですか?」
「ふむ。歩きながら話そうか」
立派な髭に触れながらコマンダンは地面に倒れている村人達を見下ろす。
「先程の警報を聞いたのが彼らだけとは限らんからね」
「警報…そう言えば、悪魔や魔物に反応する結界が張られていたって」
先を歩くコマンダンを追いながら、マナは首を傾げた。
結界は悪魔と魔物にのみ反応する筈だが、何故かマナ達の前で警報は鳴った。
駆け付けた村人達も、魔物が侵入したと勘違いしていたようだった。
アレはどうしてだろうか。
「………」
考え込むマナの後にセシールは続く。
いつもより離れて歩くセシールは、何か物言いたげな視線をマナに送っていた。
「あの人達は、何者だったのですか?」
マナは太陽の面を被った村人達を思い浮かべながら尋ねる。
彼らはこの村の人間でありながら、法術を使用していた。
法術とはケイナン教徒の中でも、戦うことを選んだ者が聖都で学ぶ技術だ。
努力すれば誰であっても身に着けることが出来るとは言え、流石に一朝一夕で覚えることは出来ない。
「彼らは元々この村の人間だ。少なくとも、数か月前までは何の能力もない普通の人間だった」
「たった数か月で法術を会得したと言うことですか?」
「その通りである。どうやら、我輩より先に村に現れた『誰か』が彼らに法術を伝授したようだ」
マナとセシールは男達の言動を思い出す。
力を得て増長した彼らは『あの人』と呼ぶ者に感謝していた。
その人物こそが、この異教の村で法術を教えている者だろう。
「どうしてそんなことを…?」
「さあね。調べているが、その者の正体や目的が一切掴めんのだよ」
コツ、とステッキで地面を叩き、その先端を前方へ向けた。
やや寂れた雰囲気の村の奥に、円柱状の建物が見える。
白い壁に抽象的な太陽の絵が描かれた、巨大な塔だ。
人の住む家、と言うよりは芸術品の様に見える形状をしている。
「な、何ですか、アレは…」
「通称『オーブの塔』………このソレーユ村の人々が崇める御神体。だったらしいのだが、あの仮面の連中が増築して中に住み着いてしまっているらしい」
「御神体に、ですか? 何と言うか、罰当たりですね…」
それはこの村の人間にとっての冒涜だ。
それでも村人達が何もしないのは、彼らを恐れているからだろう。
本来悪魔と戦う為の術とは言え、法術も使い方を変えれば人間にとっても脅威だ。
事実、彼らの使用する法術はマナ達の物よりも、対人に特化していたようだった。
「件の黒幕はあの塔の中にいるようなのだが、護りが厳重である」
「あなたであっても、倒すことが出来ないのですか?」
「我輩は人を使うのは得意だが、喧嘩は苦手でね。こんな中年に若者の相手が務まると思うかい?」
意外そうな目を向けるセシールに、コマンダンはおどけた表情で答える。
一騎当千の英雄だと期待していたセシールは、やや失望したような表情を浮かべた。
「さて、どうするか………む?」
髭を弄りながら振り返ったコマンダンはマナを見て、視線を止めた。
具体的には、マナではなくマナの持つ鞄を見つめている。
「その本は…」
「え? コレですか?」
鞄からはみ出ていた本を取り出し、コマンダンに見せる。
本のタイトルは『愛の戦争』だ。
セシールが露骨に嫌そうな表情でそれを眺めている。
「あなたもこの本を?」
「いや、と言うより………コレは我輩が書いた本である」
「「は…?」」
二人の目が点になった。
本とコマンダンを交互に見つめ、やがて段々と言葉の意味を理解する。
数秒後、マナは目を輝かせ、セシールは目が死んだ。
「私、大ファンです! 全巻持っています!」
「ふふふ、こんなに可愛い読者に会うのは初めてだよ。サインいるかね?」
「お願いします!」
かつてないほどテンション高いマナが本を手渡す。
それと反比例するように、セシールのテンションは下落した。
「…あの禁書の作者が、使徒コマンダン………ケイナン教会の英雄が、官能小説家…」
この世に神はいない、とでも言いたげにセシールは崩れ落ちる。
幼少期からの憧れが無残に砕かれた瞬間だった。
「英雄色を好むと言うじゃないか。年若いお嬢さんには辛いだろうが、男に幻想を抱くのは早めにやめた方が良い」
「…うるさい。もう嫌だ。私はお前を使徒とは認めないぞ」
「それが素の口調か。ふむ、それが良い。その方が良い。実に新鮮だ」
「………」
従士に乱暴な言葉を使われても怒るどころか喜ぶコマンダンに、いよいよセシールは何も言う気が起きなくなった。
何だか無性に泣きたい気分だった。
オーブの塔、内部にて。
太陽の面を被った男達は、一人の少年の前に跪いていた。
恰好は男達と同じだが、かなり小柄だ。
子供と呼んでも良いくらいに背が低く、少女の様に華奢な体つきをしていた。
「それで、首尾はどうだ?」
少女と聞き間違えるような高い声で、その少年は尋ねる。
「はい、全て順調ッス。抵抗する連中もいましたが、バジリオ様に教わった法術で対処しました」
「村長を含めた村の権力者の大半を屈服させました。もう反抗する者はいません」
仮面の男達の報告に少年『バジリオ』は一つずつ頷く。
全てが順調に進んでいることに満足するように、仮面の下で笑みを浮かべた。
「捕えた男連中には地下で訓練を施してします。数週間もすれば、使えるようになるかと」
「捕虜は丁重に扱えよ。屈服した奴隷にも使い道はあるが、忠実な兵士には何倍も劣る。彼らが望めば、すぐにでも僕の部下に加えろ」
反抗する奴隷には鞭を。
忠実な兵士には飴を。
それがバジリオが部下に下した命令だった。
「もうこの村は支配したのに、まだ戦力を増やすつもりなんスか? まさか、バジリオ様は聖都でも落とすおつもりで?」
「お前達は何も考えず僕に従っていればいい。そうすれば、これからも甘い汁を吸える」
「…それもそうッスね」
少し考えた後にあっさりと仮面の男は引き下がった。
「お前達はもうこんな村で燻っていた無法者じゃない。民を支配して導く、正義の騎士だ。その地位に相応しくない振る舞いをして、僕を失望させるなよ」
バジリオはそう言うと男達を見つめた。
仮面の男達の背筋が凍りつく。
彼らにとってバジリオは恩人であり、主人であったが、同時に独裁者でもあった。
どれだけ力を与えられても、この人だけには逆らえない、逆らってはならない。
そんな絶対的な力関係が存在した。
「この地にて僕は復活させる。あの勇猛なる『騎士』を」




