第十三話
「ここが、ソレーユ村…」
目的地に辿り着き、マナは村を見渡しながらそう呟いた。
異教の村、と言うから少し身構えていたが、何も変わった所はなかった。
確かに、家の形や、建物の並びなどは違うが、他は変わらない。
「何と言うか、普通の村ですね。少々寂れていますが、浮浪者などもいませんし」
セシールも拍子抜けしたような顔をしていた。
とても使徒一人が行方不明になるほどの危険な村には見えない。
「でも、何かおかしいよ」
マナは真剣な目で村の様子を眺める。
ここへ来る途中、マナ達は魔物に遭遇した。
それも一体ではなく、合計六体もの魔物がこの村の周囲を徘徊していたのだ。
にも関わらず、村には魔物に襲われた痕跡が無かった。
「…! この村、結界のような物が張られていますね」
村の入口に手を翳しながらセシールは言った。
「効果は然程強い物ではありませんね。侵入した悪魔や魔物を感知する程度の簡易な結界です」
そこまで調べてからセシールは訝し気な表情を浮かべる。
「妙ですね。コレは、法術です。ケイナン教会で習う基本的な法術の一つですよ」
「使徒コマンダンが張ったのかな?」
「それはどうでしょうか。ガルグイユさんの話では、この村の人と仲が悪かったみたいですし」
自分達の村に使徒が結界を張ることを許すだろうか。
だとすれば、結界を張ったのは誰なのか不明だが。
『ビー! ビー! ビー!』
その時、村全体に響き渡るような大きな音が聞こえた。
「な、何の音…?」
「結界が反応している…? そんなどうして、悪魔なんて近くには…!」
そこまで言って、セシールはハッとなる。
何かに気付いたように、自分の顔に触れた。
「まさか…」
その答えを口走ろうとした時、ドタドタと足音が聞こえた。
村の奥から二人の前に現れたのは、三人の若い男達だった。
この村独自の文化なのか、全員白一色の服を着込んでいる。
顔は太陽を模した仮面で隠し、異様な雰囲気を放っていた。
「何だ? 魔物が侵入してきたのかと思えば、ただのガキじゃねえか」
「結界が誤作動でも起こしたのか? そろそろ張り替えた方がいいかもな」
白装束の村人達は口々に言いながら、マナとセシールを値踏みするように見ている。
「修道服…? もしかして、ケイナン教会の修道女か?」
「え、ええ…そうですが」
「チッ、やっぱりか。おい、どうする?」
太陽の面を向かい合わせ、男達は何やら話し合う。
ケイナン教の人間が村に入り込むことを嫌がっているのだろうか。
「よく見ろ、相手は小娘二人だけだ。それに、中々美人じゃねえか。少し俺達に付き合って貰おうぜ」
「…それもそうだな。彼女らにはその後で、大人しく聖都に帰って貰うとしよう」
下品な笑いを零しながら男達は言った。
太陽の面の下に浮かんだ表情が見えるような声だった。
「マナ様…!」
「分かっているよ…」
警戒した表情を浮かべて、二人は男達から距離を取る。
それを逃すまいと、男の一人が手を翳した。
「箱舟の章…展開」
「「なっ…!」」
男の口から出た言葉に驚愕する二人の身体を拘束するように、光の縄が出現する。
異教の村人の手から放たれたのは、法術だった。
本来なら聖都で訓練を積んだ者しか使えない力だ。
「驚いたか? 俺も『あの人』から伝授して貰ったんだよ」
「この力があれば、誰も俺達に逆らえない。魔物だって怖くねえ。くくく、全く『あの人』には足を向けて寝られねえなぁ」
光の縄で拘束された二人を見て、げらげらと笑う男達。
(この縄、結界の応用…? 縄が触れた部分を結界で包み込んで動けなくしている)
同じ系統の法術を使うセシールにも、そんな発想は出来なかった。
当然ながら、今まで法術に触れたこともなかったであろう異教の村人が使える力ではない。
一体誰が、彼らに法術を…
「さて、後は俺の家に連れ込んで………何だぁ?」
縛られた二人に手を伸ばそうとしていた男は不意に動きを止める。
風に吹かれて宙を舞う『黄金の蝶』が見えた。
金色の雪の様にも見えるそれは、全てマナの身体から放たれていた。
「何だ、こりゃ…コレも法術なのか…?」
「…いえ、コレは法術ではありません」
パキン、と音を発てて光の縄が砕ける。
拘束から解放されたマナはゆっくりと立ち上がった。
「コレは使徒に授けられた神の一端。法術よりも一段階、神に近い力」
「使徒、だと…?」
「権能『神の慈悲』…発動」
黄金の風が吹き荒れ、マナの蜂蜜色の髪が揺れる。
マナから放たれる無数の黄金の蝶は、光の縄を全て砕き、舞い散る。
それは神話の一幕のような幻想的な光景だった。
「箱舟の章!………くそっ、何でだ! 何で発動しねえ!」
「私が授かった神の一端は『慈悲』です。その能力は、あらゆる法術を弱めること」
それは言わば、手加減する能力だ。
敵を殺さないように手を弱めること。
或いは、戦い自体を放棄すること。
それこそが『神の慈悲』を意味するマナの権能。
「悪魔相手には何の役にも立たない能力ですが、同胞を諫めるのには使えます」
この能力が発動している間は、例え使徒だろうと満足に法術が使えなくなる。
法術を身に着けたばかりの半端者など、何も出来ない筈だ。
「ぐっ…だが、それはお前らも同じだろうが! ガキ二人くらい、素手で…!」
拳を握り締めた男が叫びながら、マナへ迫る。
それを庇うべく、隣に立つセシールが前に出た。
腰のベルトから引き抜いたナイフを油断なく構える。
「ぐぎゃ…!?」
瞬間、男は奇妙な声を上げて顔面から大地に倒れた。
「…え?」
セシールが思わず首を傾げる。
ナイフは構えていたが、まだ何もしていなかったからだ。
完全に意識を失った男の近くには、大きめの石が転がっていた。
コレが後頭部に命中したのだろうか?
「―――全く。君達は紳士の風上にも置けない野蛮人達だな。そら!」
「いぎゃ…ッ!?」
どこからともなく聞こえる声と共に、また一人の男が倒れる。
ひゅんひゅんと風を切るような音も聞こえた。
「男である以上、可憐な乙女を自分の物にしたいと望むのは当然だろう。ああ、至極当然だ。我輩だって出来るならそうしたいとも。しかし、暴力は良くない。紳士的ではない」
「そこにいやがったか…! クソジジイ!」
「ノン。我輩はジジイではない。愛を語る紳士である」
それは初老の男だった。
その姿を確認した瞬間、初老の男の手から何かが放たれる。
枯れ木のように細い手に握られていたのは、原始的な投石器。
動物の皮で作られた武器から放たれた石の弾は、残った男の仮面を打ち砕いた。
「ぐぶぁ…!?」
「おお、初めて使ってみたが。案外、当たる物だね」
額に石を受けて気絶する男を眺めながら、初老の男は笑った。
年齢は四十代半ばと言った所だろうか。
歳近いオズワルドに比べ、浮かべている表情は温厚で渋い色気のような物を感じる。
髪は燃え尽きた灰を思わせるロマンスグレー。
立派なカイゼル髭にタキシードと紳士然とした恰好をしており、投石器と逆向きの手には黒いステッキを握っている。
首からは何故か八時間ずつズレた懐中時計を三つぶら下げていた。
「お、お前は…?」
あっさりと男達を制圧した者に、セシールは不審そうな目を向ける。
「…我輩の名は、コマンダン」
紳士然とした男は投石器をその辺に捨てながら、そう告げた。
「使徒コマンダンだ。気安く、コマっちゃんとでも呼んでくれ給え」




