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第45話 書き換え始まりゆく記憶

暴力描写中心につき自衛をお願いします。

 祖父の突然の死に、親も親戚も慌ただしい。

 腹の虫が鳴くのを聞きながら、梨々は買ったばかりのランドセルを抱えて、どこかの部屋の隅にうずくまっている。

 梨々の腕には大きい緋色のランドセルは、祖父の買ってくれたものだ。背負う姿を見せに行くその日に、祖父は事故に遭ってしまった。


 幼い梨々には、死ぬということがわからない。

 ただ、眠っているようにしか見えなかった祖父が、巨大な銀色の扉の向こうへと収められたとき、もう二度と会うことはないのだと痛感させられてしまった。


『今更泣くんじゃないわよ、薄情者。空気読めないわね』


 母親は建物の隅に梨々を引きずり込み、爪を立てて腕を抓りあげた。そして荷物置き場に放り出し、親戚たちのもとへ戻っていった。


「おじいちゃん……」


 荷物の中から取り出したランドセル――葬式の間ずっと持たされていた――を抱え、梨々は行き着いた小部屋の隅に座り込んだ。お下がりの黒いワンピースは少し寒い。昨日の晩から何も食べていないせいか、とても眠くてくらくらする。

 このまま眠ったら、祖父と同じところへ行けないだろうか――

 ぐうぅ、と腹の虫が鳴く。


「これ、食べる?」


 唐突に目の前に現れたのは、濃い紫の干し葡萄だ。差し出す腕をたどって上を向けば、茶色の目をした黒髪の青年の顔がある。

 誰だろう、と梨々は目を瞬く。葬式らしい黒の上下に、束ねた髪。知らないはずなのに、どこかで見たことがある気がする。

 いつの間にか隣にしゃがみ込んだ青年は、軽く唇の端を上げて手の中のものを勧めてくる。


「――お兄ちゃん、しらない人?」


 梨々の頭をよぎったのは、保育園で先生に言われたこと。

 しらないひとに ものをもらっては いけません


「俺の名前はシェル。君のおじいちゃんのお別れに来たんだ。これで知ってる人になるよね」

「……うん」


 ぐおうぅ、と腹の虫が鳴く。梨々が急に恥ずかしくなり俯くと、シェルと名乗った青年は軽く笑った。

 手の中の干し果物を再度差し出す。


「こんなものしかなくてごめんね。終わったらご飯を食べられるよ」

「ほんとに、いいの?」

「いいよ。いっぱい食べな」


 おそるおそる指先でつまんだ果物は、干しているのに瑞々しく、ねっとりとした甘味とかすかな酸味があった。すぐに食べきってしまわないように、じっくり噛みしめてから飲み込んでいく。

 おいしい、とつぶやきかけた時だった。


「アンタ、何やってんの」


 割り込む怒声に、梨々の体は飛び跳ねる。ランドセルが消え、腕の爪痕が再度痛みはじめる。

 振り向けば、真っ黒な上下を着た仁王立ちの母親が、真っ赤な顔で目を釣り上げている。


「訳わかんないところで泣き出した上に勝手に動いて、挙げ句人様にたかるなんて、ホント図々しい子。どうせお腹いっぱいにしちゃったんだろうから、ご飯もういらないでしょう。アンタのは――ちゃんにあげるからね。立ちなさい」


 怒声に縮み上がる梨々に向かい、突き伸ばされた腕が娘の胸ぐらを掴む。その拳の幅よりも細い首が、少しばかり締まる。

 けふ、と梨々が咳込んだ。


「ぐずぐずしてんじゃねぇぞごらぁ!」


 そのまま上へと持ち上げようとした力が――抜ける。

 潰れた鶏のような叫びを母親が上げたのと、梨々がへたり込んだのは同時だった。


「嫌だなあ、峰打ちくらいで騒ぐなよ」


 そう告げる青年の手の先に、銀色の光。先の尖ったそれは、長めのナイフである。それで母親の手を打ったのだ。

 いつの間にか立ち上がっていた青年の足が、梨々と母親の間を遮る。さがる母親に、銀に光るナイフを突きつけたまま、青年は振り向いて言う。


「ねぇ君、俺のとこに来る?」

「――アンタはどこにも行けないわよ!」

「三食遊び付き。知りたいことを学ばせてあげる」

「――何だって人よりろくでもない!」

「俺があげられるものはみんなあげよう。この命だって」

「――私から何もかも奪ったくせに、自分だけもらおうなんて虫が良すぎるわ!」


 幼い梨々の目は、何度も青年と母親とを往復する。知らないはずの懐かしい相手と、何としても愛されなければならない相手と。

 思い出すのは、保育園の先生の言葉。

 しらないひとに ついていっては いけません

 ――知らない人だった?


「私の自由を奪ったお前に、幸せなんて許さない……壊して、砕いて、ぼろぼろにして、惨めったらしい一生にしてやるっ、親にはそれができるんだ、それが私の復讐――ヒィッ!」


 何かがぶち当たった衝撃に、部屋全体が地震めいて揺れる。

 魔法だ、と梨々は直感し、同時にこの状況が読めてくる。

 これは――


「ねえ、主、俺のこと好き?」


 ナイフを握る青年が、空いた手を梨々に差し伸べる。

 緑がかった茶色の瞳をゆらめかせ、不安そうな顔で、声で。


「俺のところに、来てくれる?」


 母親が遠くでわめいている。いつの間にか身長が伸びている。

 少し近づいた顔を見上げ、この人に、泣いてほしくないのだと思い出す――好きかどうかは、わからないのだけれど。


「――あんたが代わりに死んでくれれば、何もかも上手くいったんだぁ!」


 差し伸べられた手は震えている。青年がもどかしげに見つめてくる。

 梨々は手を持ち上げて……

 突然の揺さぶりに、目が覚めた。


「取り調べだ。起きろ」


 高い位置から、落雷のように響く声。

 光の玉を携えた、警官のような制服姿の人物が、鋭い目で見据えてくる。

 その背後には、濃い茶色の石が隙間なく積まれた壁がある。

 固い板の上に起きあがる。体が冷え切って少し痛い。


「早くしろ」


 制服が促した先には、太い鉄棒で格子が組まれている。その向こうにも同じような格子があり、奥は真っ暗闇で何も見えない。

 石畳の向こうから、誰かの高笑いが届く。

 別の方向から、誰かのすすり泣きが聞こえてくる。


 ――ああ、私にふさわしい場所だ


 そんな思いが、梨々の頭にぼんやり浮かんだ。


 ……私は、置いて行かれたのだ


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