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第39話 膝を抱えて沈み込んでいたそうです

 こちらの世界の言葉は、梨々には基本的に日本語として聞こえてくる。おそらく相手にとっては逆の状態になっているだろう。

 だが、時折意味は分かっても音が日本語ではない単語が混ざることがあり、梨々にはその単語を発音することができない。この世界限定の言葉なのかもしれない、と梨々は思っている。


 だから、言えるはずがなかったのだ。


『〈至れ〉、〈天を切り裂く〉』


 砂糖漬けの果物を詰め込んだ、濃厚な焼き菓子のごとく、ぎゅっと詰まった重い一言。舌が、唇が、どのように動いたのか梨々にはまるで思い出せない。

 それは、梨々ではない何かが、彼女の体を使って発したものだ。

 結果として、向けられた刃は寸前で止まり、青年は色を取り戻した。


(でも、それでよかったのかしら)


 真っ白な彼は、自由を望んでいた。

 望むもののために、梨々を殺そうとしていた。

 (シェル)が本当に望むのなら、主として、死んでしまってもかまわなかったのに――

 そう思うことも、呪いだと怒られてしまうだろうか。


 だが、梨々にはわからないのだ。

 広く虚ろな心を抱えて、シェルを危険にさらし護られながら、生きながらえていく先のことが。

 お金で買われた自分が、彼を縛り付けてでも生き続けていく理由が。


 ささやかに好きなものはある。美しいものにふれるのは嬉しい。

 けれど、それだけだ。

 生きている限り、〈食らうもの〉は梨々を襲う。そして、シェルは彼女を護るだろう。危険を冒しても護るだろう。

 それは対価の天秤が釣り合わない、と、どうしても思ってしまうのだ。


 彼が望むのはきっと、幸せで美しい記憶(おもいで)なのに。


 ***


 梨々とは別の客室で、シェルは昏々と眠っている。

 あの祭りの日、おぶわれて帰った後で、彼は意識を失い倒れ込んだらしい。らしい、というのは眠っていた梨々は聞いただけだからだ。

 背丈ゆえに長い身を横たえて、寝息をこぼして三日がたつ。

 白色化した反動だ、と話を聞いたルカは頭痛をこらえるような顔をした。


『そもそも人の体が高位精霊の魔力に長く耐えきれる訳ねぇんだ。せいぜい頑張っても薄灰色が限界で、それ以上白い奴は人の姿をあえて取らない。どうせ取っても、魔力を落とした灰色や黒の髪になるのは必定だしな』

『シェルさん、無理したのに私を背負って……』

『逃げるしかなかったんだろ。ロコンチェルキ(貴族)の敷地に入れば、警邏隊程度の力じゃ余程の証拠がなけりゃ呼び出せねぇ。白光の精霊なんて、見つかれば王家の宝物庫行き間違いねぇからな』


 それは、人間にとっては名誉でも、精霊にとっては不自由な、閉じこめられるに等しいことらしい。

 他の例を考えれば断ることもできるというが、とにかく前例がないという。

 ともかく今は寝かせておけ、という指示の元、屋敷の中は既に日常に戻っている。

 戻れないのは、毎日部屋に通ってはそこでじっと座り込む梨々だけだ。


 あの日、無数の画面が浮かぶ空間の中、リーシャという女性が口にしたことの、全てを理解できたわけではない。

 ただ、シェルの記憶を盗み見てしまったこと、そうなった原因が自分にあるらしいことは、梨々にも察することはできる。

 そうしておそらくは、記憶を見ることができてしまったのが、シェルを反動という目にあわせてしまった遠因なのだろうということも。


 ――私は、生きていていいのだろうか。あなたを傷つけてしまったのに。


 窓は梨々の部屋と同じ出窓だ。開いて踏み出せば落下する。

 見舞いの果物の側にはナイフがある。切り裂けば血が飛沫いていく。

 部屋の壁際には箱鞄(トランク)がある。頭に落とせば潰れるだろうか。


 ――そうしたら、きっと彼は泣いてしまう……本当に?


「んっ……」


 かすかな声に、気づいたときには寝台の枕元に梨々はいる。掛け布の端から片手が現れ、さまよう様子に思わず手を差し伸べている。


「えっ」


 声がこぼれたのは一瞬。

 ぐっと掴まれた腕が引かれ、寝返りの力も相まって寝台の奥に倒れ込んでしまう。そのまま壁ごと抱きしめるかの勢いで、ぎゅうぎゅうと腕が回る。


「主、主、主っ」


 こぼれたのは――泣き声。悲痛なまでの、囁き声。

 この()は私じゃない、と梨々は直感する。

 ――事故死ゆえに、顔も見られなかった祖父。その葬式を思い出すほどの、断絶に拒まれた者の声。


 この世界では、五十年もすれば人は死ぬ。それは、精霊の主も例外ではない。

 八百年以上生きていれば、主の死に目には何度もあっているだろう。代々一族に伝わってきたというから、生まれてから亡くなるまで全てを知る相手も多かっただろう。


 ふいに、梨々は気づく。

 彼は梨々と出会ったとき、前の主が亡くなって半年もたっていなかったのだ。


 生まれたその日からずっと一緒だった相手を、たった半年で忘れられるだろうか。

 この人は呪われている梨々にすら、ひどくひどく優しいのに。


 手が伸びていたのは、自覚する前だった。

 首に腕を回し、黒髪の頭を抱え込む。いつかされたように、後頭部をそっと撫でさする。

 ぐい、と肩の辺りに固いものを押しつけられ、ややあって額だと気づく。背に回る太いものは腕だろうか。


「主、主が、主っ――!」


 きゅ、と強く抱きしめたのはどちらが先だったか。

 伝わる熱は温かく、服の下はやわらかく、砂と胡椒の入り交じったような匂いがする。

 頭の後ろを撫で続けていると、やがて力の抜けた様子で、梨々にもたれかかってくる。

 覗き見たその顔は、穏やかな表情をしている。


「私、やれた、かな……」


 ぬくぬくと届く熱に、やわらかくも弾力のある感触に、手の中をくすぐる毛の波に、梨々は瞼が重くなっていく。


「主で、いいの、かな……?」


 夢うつつにそうつぶやいて、梨々は寝台の白い波に沈んでいく。

 かぎ慣れた匂いが、彼女の周囲を覆っている。


 ――なお、この後ようやく目覚めた精霊による、大反省大会(参加人数・一名)が開かれたことなど、梨々には知る由もなかったのだった。


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