第3話 プライドが許せないそうです
午前中を図書室で過ごした梨々は、昼食後厨房へ招かれている。
白衣に帽子をかぶった料理人たちのほとんどは、午後のお茶と夕食の仕込みにかかっている。その上でちらちらと視線を寄越されるのは、梨々(と付いてきた青年)がここでは異物だからだろうか。
「ご足労かけました、リリ様、シェル様。お加減はいかがですか?」
「大丈夫、です」
声をかけるのは、料理長のスヴェンである。たれ目がちで穏やかな顔つきに対し、細いが筋肉質な体つきは、体力勝負の料理人にふさわしい。
「昼の豆スープもおいしかったよ。あれもドゥーエの交易品?」
「ええ、そのことで、リリ様に確認したいことがありまして」
うながされて丸椅子にかける。梨々はさりげなく遠い椅子にかけたが、青年は明確に隣へ椅子を寄せた。
「こちらを味見していただきたいのです」
差し出されたのは一口大の、黄灰色をした四角い塊である。
「ドゥーエの一地方の名産で、豆の汁を固めて干したものだそうです。もどして使うそうなので、今朝の魚のスープを染み込ませてみました」
要するに高野豆腐のそっくりさんである。
高野豆腐は彼女の祖父が好んで食べていたので、梨々にも見覚えがある。多分またひどい触感なのだろうな、と考えつつ、梨々はそれを口に入れる。
出されたものは食べるべきだ。
「――おいしい……?」
だが、予想に反して高野豆腐は当たり前の味と感触を返す。
さらに予想外だったのは、厨房のあちこちからどよめきが上がったことだ。
梨々が視線をおろつかせると、微笑む料理長と目が合う。
「やはり、味覚にも存在したのですね。魔力過敏というものは」
「マリョクカビン……?」
「やったね主、ドゥーエのものなら食べられるよ!」
喜色で迫る青年の顔から退きつつ、梨々は視線で疑問を投げかける。
心得たようにスヴェンが頷く。
「魔力が基準値より低い方は、稀に過敏症を起こすことがあるそうです。魔法の発動で目が痛くなったり、魔石に触れた皮膚が痺れてしまったりするらしいですよ」
それは昔からの症例であり、召喚された存在たちによって――手段は推して知るべし――すでに確認されていたことである。
だが、視覚・聴覚・触覚は既出のことであっても、味覚の過敏は不明であった。
食物に含まれる魔力は微量で、それに反応する例などこれまでなかったからだ。
もっとも、味覚というものがごく個人的であるために、一般と異なることを気づくものが少なかった可能性もある。
とにかく、スヴェンは食事時のリリの反応と、何より昨日盛大に吐き戻したことから、魔力過敏の可能性を医師に指摘されたという。
「我が国では魔力があれば庶民でも魔法を使えますが、ドゥーエでは魔法を使うのは〈森の民〉だけなので、食材に魔力が含まれることはまずないのです。リリ様が食べられたのはそのためでしょう」
「ドゥーエは特に食文化が独特なんだ。俺でも名前しか知らない食べ物がいっぱいあるから、主と食べられるなら嬉しいな」
楽しそうな青年に対し、スヴェンは顔を引き締める。
そして、深々と頭を下げる。
「スヴェンさん……?」
「料理で人を苦しめるなど、料理人の風上にもおけぬ振る舞いでしょう。我々の無知からあなたに嫌な思いをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした」
申し訳ありませんでした! と料理人たちが追従する。
二十人はいる屈強な大人たちに頭を下げられ、リリは無意識に椅子ごと下がる。気圧されたのだ。
「あの、別に平気、です……」
「リリ様に許していただけるまで、顔を上げることはできません」
「え、えぇ……」
「主が許すって言うまで皆上げないよ。スヴェンは誇り高いからなあ」
シュー……と配管の音が響く中、彼らはぴくりとも動かない。
困惑する梨々が真っ先に考えたのは、午後のお茶が遅れる、という点である。
自分は今更どうでもいいが、当主の休憩が遅れてしまうのは問題なのではないか。今日も梨々と話せぬことを詫び、執務室にこもっているというのに。
迷う間にも、時間は過ぎていく。
「……ゆる、します。だから、顔上げてください。スヴェンさん、皆さんも」
「ありがたき幸せ。このスヴェン、今後もリリ様のために腕を振るいましょう」
ようやく顔を上げたスヴェンが柔和に微笑む。
そこは当主様のためだろう、と梨々は思った。