第33話 歓声のさなか
大通りを越えた先は、大道芸の集まる通りだ。楽の音や囃し立てる声が沸き踊り、雑踏特有のざわめきも相まって、耳が圧されたようになる。
「主がんばって! もうちょっとだから!」
様々な芸人の周りに三々五々集うせいで、芋を洗うかのごとき人混みの中、梨々が行き交う人々に翻弄されそうになるのを、しっかと握ったシェルの手が防いでいる。頭上を行ければ楽である代わり、〈食らうもの〉に襲われる。どちらがマシかは判別つきがたいところである。
おかげでバドウの店が見えたとき、二人はよれよれになっていた。
「どうする、並べそう? 休んでからにする?」
人が集まる大通りやその近くは、力の強い商会が店を出すものだ。どこも玩具の家を大きくしたような小屋の前が、押せや押せやの大盛況である。中には行列の続きを別の場所に案内する看板を立てているところもある。バドウの店のように。
「あっ、リリ様、シェル様!」
バドウの元で働く見習いの少年が、看板を見上げる二人に気づく。
彼にしてみれば、梨々は幼いのにドゥーエの食材をよく知り、売り出し方の視点をくれる恩人である。多少の贔屓はこれからのためにいいだろうと考える。
「お疲れでしたら裏で休んでいかれませんか。不公平になるので商品はお出しできませんが、飲み物くらいは差し上げますよ」
少年に出せるのは水までだし、小屋の裏は殺気立つほどの慌ただしさと、揚げ物の匂いと熱気であまり居心地のいいものではないが、ともかく休むだけなら格好の場所だ。人混みから外れられるし、腰掛けることもできる。
誘われるままに裏に向かうと、シェルは腰掛けの辺りを払い、梨々を座らせる。元は店員たちの休憩場であるらしい。
ふう、と梨々の口から無意識にため息がこぼれる。
「主、お疲れさま。食べられそう?」
「多分……割と小さかったですよね」
バドウの店が出しているのは、ドゥーエからやってきた〈衣揚げ〉だ。商会の手広さを生かして各地のカボチャを集め、粉をゆるく溶いた衣につけて、一口サイズの揚げ物にしている。
日本で言うなら天ぷらよりもフリッターが近いが、梨々には違いがよくわからない。
「飲み物お持ちしました」
「ありがとう。並ぶのは今どのくらいかかる?」
「そうですねえ、二十分くらいかと」
「じゃあちょっと主を休ませてもらえる? 俺は並んでくるから」
「私も――」
立ち上がりかけた梨々を制し、ひざまずいたシェルは彼女の手を取り上げて、その甲に唇を当てる。
びくり、と身の跳ねた様子を気にした風もなく、「念のためのおまじないだよ」と彼は笑う。
梨々の周囲を、ふわりと風が取り巻く。
「じゃ、行ってくるね」
ひらりと手を振ってシェルが離れた後には、だんだんと顔を赤くする梨々だけが残った。
***
「割と集まったな」
「祭だからな」
「そろそろかかるか」
「ああ、次に来た奴で一度締めよう。準備にかかってくれ」
***
シュヴァイエは水がおいしい土地だ。魔力で鉱毒に打ち勝った木々が、鍛冶に使っても尽きぬほど豊富だからである。天然水のおいしさだけでも人を呼ぶのに十分だ。
そんな水を少しずつ飲みながら、梨々はさきほどからの胸の内の感覚に戸惑っている。
するり、穴が穿たれたような。
それでいて、何が染み出てくるわけでもなく。
ただ待っている。求めている。切ない気持ちで望んでいる。
――あの人がいることを?
瞬間、頬に熱が上がる。目の周りまで熱い気がする。
別に四六時中一緒というわけではないのに。屋敷にいるときだって、離れて過ごすこともあったのに。
それでも、今日は朝からずっと一緒だったからだろうか。どこか捨て置かれたような気持ちが浮かんできて、きゅっと胸が苦しくなる。
ああそうだ、これは幼い頃、怒らせて家を出されたときに感じたものだ。
ドアの外はしんと冷たくて、泣けば泣くほど締め出されて、何度謝っても許されなくて、鍵のぶつかる音だけが響いて……
何にも似てないのにどこか似ている。だからこんなに苦しくなる。
これも呪いの一種なのか――
ふいに誰かの足音が近づいて、梨々ははっと顔を上げる。考え込んでいる間に、時間がたっていたのだろうか?
だが、目の前にいたのは黒いフードを深くかぶった、誰ともつかない人物だ。
「占い師さん……?」
その姿は祭の方々でよく見かけた、占い師たちのものである。王が優遇しているので、この街には占い師が多いのだ。道の角で、店の隅で、あるいは通りのあちこちで、梨々は翻弄されながらよく目にしたものだった。
だが、なぜここに? バドウの店の片隅にでもいたのだろうか?
「来てもらおう」
一方的な一言ともに伸ばされた手が、押し戻されるようにふと留まる。
「〈障壁〉か。風の守護を受けているのだな……だが、弱い」
瞬間、重ねた紙を勢いよく破ったような音がして、梨々は腹に打撃を受ける。
飲みかけの水が、地に撒かれた。




