第2話 この世界の話をしましょう
配管都市シュヴァイエ。
その名の通り、無数の配管に取り囲まれたこの都市は、王族や貴族、有数の富裕層が住まう首都であり、ベルーシャもここに屋敷を構えている。
そして、財を持つ者たちの無聊を慰めるため、召喚オークションが林立する都市でもある。
本来、召喚は強き者を喚ぶためのものであった。
しかし王族に伝わってきた召喚陣は、以前王宮で火事が起こった際に燃えてしまい、また外部に不完全な形で流出してしまった。
不完全な召喚陣は、世界の平均よりも能力の低い、"弱い"存在を喚び出すものになっている。
使い物にならないと打ち捨てられるはずの技術は、一人の商人によって役目を変えられてしまう。
平均よりも力の弱い存在を異世界から呼び出す。
それはつまり、物珍しく後腐れもなく抵抗も押さえ込める、実に便利な生き物が手に入ることを意味する。
あとは、言葉巧みに売り飛ばす話術と仕組みがあればよい。
そうして組み上がったのが、オークションというやり方だった。
ちなみに目利きの者が鑑定し、その値を下げていく形で取り引きする。
いかに安く手に入れるかを楽しむ趣向である。
なおこの国に、自由や人権に当たる概念がないわけではない。
ただ、異世界渡りのものはその範疇ではない、と考えられただけである。
梨々のような少女の姿の場合、大半が娼館へと流れ、一部は貴族や富裕層に愛玩され、時期を見て棄てられることが多い。
河の下流に行けば、そうした哀れな存在が流れ着いている。
それが、この世界の常識で。
だからこそ、梨々はたぐいまれな幸運だと人は口々に述べていく。
おしゃべりで情報通な使用人たちは、当主が梨々に教育を施し、自分の買取額を返せるようにするつもりなのを知っている。
本が高価なこの国では、教育を受けることはステータスのひとつである。
教師というものが引く手あまたの世界なのだ。
知識を付けさせることで、成功事例を作るつもりなのだろう――
「盗み聞きは良くないなあ」
背中からの声に、梨々の体が跳ねる。
振り向けば、黒髪の青年がこちらに屈み込んでいる。
茶色にも翡翠にも見える目が、にやりと笑う。
「主は休憩するんじゃなかった?」
「……歩いてる、だけ」
「こっちは使用人の区画だから、俺たちがいたら邪魔になるよ。ベルの話だけじゃ足りないってんなら、俺に聞いてくれればいいのに」
一番信用できない相手が、言いながら梨々の背をうながし歩き出す。
元々の性格なのか、距離も近いしスキンシップも多い。梨々には二重に気が重い相手だ。
「これでも八百年は生きてるんだ、〈食らうもの〉対策の歴史も知ってるし、配管都市の以前の姿だって話せるよ」
鍛冶職人で有名だったんだよなあ、と聞きもしないのに語り始める。
それはベルーシャから聞いた話とも重なっている。
四十年ほど前まで、人は貴族も農民も等しく〈食らうもの〉に脅かされていた。
〈食らうもの〉とは、正体不明の透明な存在で、魔力の低い人間を優先して襲う。そして襲われた者は全身食いちぎられ、何が起こったのかわからないまま死んでしまう。
透明な〈食らうもの〉の姿を、精霊だけは視認し戦うことができる。
そのため、職人と魔術師が武器に精霊を込め、人型となって〈食らうもの〉と戦えるようにした。
人型なのは、武器の形が人間用だからである。人の体が一番有効に武器を扱える。
もちろん、精霊を味方にするには対価が必要である。それは貴金属や宝石、魔力などである場合が多い。
結果的に、精霊の宿る武器は貴族や富裕層が持つようになった。
ならば、庶民に対抗策がないのかというとそうでもない。
〈食らうもの〉は魔力のない者を優先的に襲うため、後付けで魔力の気配をまとっていれば、少しは逃げ延びることができるのだ。
そして、〈宿りの石〉を漬けた水ならば、魔力の気配をまとうことが可能だとわかった。
この水を〈力ある水〉と言う。
「それまでは〈水〉を浴びたり持ち運んだりすることが多かったんだけど、四十年くらい前に〈宿りの石〉を混ぜた配管が開発されて、そこに蒸気を流せば同じ効果が得られることがわかったんだ」
配管は爆発的に普及し、鍛冶職人の街だったシュヴァイエに首都が遷移するほどの騒ぎになった。
現在では、ある程度収入のある者ならばどこでも家を配管で囲んでいる。資金のある都市ではシュヴァイエ同様、街ごと配管を設置していることもある。
「それでも主みたいな例もあるから、精霊の武器の出番もなくならないってわけ」
配管は万能ではない。小型の〈食らうもの〉ならば、隙間から入り込んでくることはたまにある。
さらに、異世界から召喚された者は魔力が少ないこともあるので、彼らが襲われるケースもやはりあるのだ。
――梨々が右腕から食われかけたように。
〈食らうもの〉が食いついた部分は、即座に切り落とすのが常道だとベルーシャは言っていた。
精霊が回復魔術を使えば、四肢くらいは元に戻るのだと。
青年が梨々の唇をふさいだのも、回復魔術のためなのだと。
要するに青年(の姿をした精霊)は、梨々の命の恩人なのだ。
しかも梨々の腕を回復し、切られたために値の落ちた梨々を買い上げ、進歩的な貴族のベルーシャにつなぎを作った。
端から見れば、何重もの恩であろう。
……それでも。
青年が関わろうとする度に、梨々の胸の中は強く押しつぶされ、会話する意欲が消失する。
笑いかけるべき相手だろうに、言葉は片言になり、目をそらすことしかできなくなる。
怖いのではない、苦手とも違う。
強いて言うなら諦めに近い。
「そういや、今日はドゥーエの交易品が持ち込まれたから、料理長が色々試作するみたいだよ。主もまた食べられるといいねえ」
青年が楽しげに言う。
梨々は目をそらし足を早める。
……この人も、私の言葉は通じない。