第21話 暗がりに新たな面を垣間見て
ルカは面倒事が嫌いだ。
人間は生きているだけでぶつかり合う。それぞれに意思と欲とを抱くのだから、それは仕方のないことだ。
避けられないのなら、できるだけ衝撃は小さく、大事な者を守れるように。ルカはそう考えている。
『わかっていて、見捨てるようなことをしろと言うの』
幼い頃から護ってきた瞳に、睨まれることなど慣れている。若干十二歳で淑女となった主を、当主としての彼女を護るためならば、憎まれ役など造作もない。
ただ、自分の中で痛むものがあることに、随分人くさくなったもんだと苦笑うのだ。
「ルカ様?」
「……寝てなかったのか」
しばし迷うも、結局空を蹴って窓の近くに降りていく。四方を細い配管に囲まれた窓は開かれ、そこから少女の姿が見える。
「治りかけが一番拗らせるんだぞ。さっさと寝ちまえ」
「ごめんなさい」
謝りはするものの、リリは窓から離れない。ふうん、と一人ごちる。
「他の奴に内緒にしといてやるよ。代わりにひとつ答えてくれ」
「お望みなら」
「リリは将来、自分のことでかなってほしいもんはあるか?」
短い髪の少女は目を瞬かせた後、しばしおいて答える。
「お葬式は火葬がいいです」
「カソウ? ドゥーエやシンミ国みたいなやつか? ……随分気が早いな」
「埋めてくださるなら何でもいいんですけど、できれば骨になりたいです。腐らないので」
語る口調はどこまでも穏やかだ。死病を抱えた子供のように、とルカは考えて思い直す。〈砕かれた子供〉も、ある意味では死病に近い。
身近な者に砕かれ続けると、大人ですら心が歪んでいく。まして子供の頃からならば、生よりも死の方が慕わしくなる。
その実例を、精霊であるルカは数多く見てきた。
どれほど親のようになるまいと抗っても、別の角度から親と同じことをやってしまう。親が痛めつけてきたように、自分と他人を傷つけてしまう。そうして子供が繰り返す……
〈砕かれた子供〉の物語は、それを脚色したに過ぎない。
――愛されて育ったベルーシャには、きっと永遠に解るまい。だからこそ傷つき巻き込まれる前に、この少女を遠ざけておきたいのだ。状況の変化はその次である。
沈黙をどう受け取ったのか、リリが口を開く。
「シュヴァイエで、焼いてくれるところがあるでしょうか」
「シェルに任せりゃいい。主を看取る覚悟は契約の度にするもんさ」
「……あの人は、泣くからダメです」
人じゃないけどな、という揚げ足取りをルカは飲み込む。
先刻からかすかに感じていた違和感が強くなってきている。
「私は、誰も傷つけずに、泣かせずに死にたいのです。あの人は私に、亡くなった主さんを見ているから、きっと"二度目"の別れに泣いてしまうでしょう」
だからダメです、と続けるリリに、ルカはようやく違和感の正体に気づく。
この子供は、自分から傷つけないために、死を望んでいる。
誰も泣かせずに死ぬということは、誰からも重要とされず、愛も情も向けられることなく、衛生上の都合で埋葬される、くらいの距離感を望むということだ。
それは、傷つけながらも幸せになりたいともがいた、〈砕かれた子供〉とは大きく異なる。
この少女は、植物と大差なく生きている。
徒花のように実をつけず、枯れゆくことを望んでいる。
いいや、花すらつける気がないのだ――
「リリ」
気がつけば呼んでいる。
その細い腕をつかんでいる。
「お前、生きてる間に叶えたいことも持て。できなくても沢山持つんだ。お前はまだ」
この子供はあまりにからっぽにすぎる。
希望を注げば間に合うかもしれない。希望こそ破滅への一助かもしれない。
ただ、自己を捨てるに等しい望みの中に、ルカは少女の強さを垣間見たのだ。
「まだ?」
「――ここで生きてんだから、な」
ようよう告げるルカの言葉に、梨々は困ったように首を傾げる。
「本当に、他に欲しいものは特にないんです。死ぬことだけは確実だから、遺体を片づけてくれる人がいてくれたらいい」
「だから、気が早すぎる話だろ」
「そうでしょうか。生きてるものがいつ死ぬかなんてわかりません」
淡々と、無邪気なほどの言葉に、ルカはふと意地の悪いことを思いつく。
「いいことを教えてやろう」
「はい」
「お前が死んだら、あいつはリリを亡くしたことに泣くぞ」
「……!」
告げてやれば、胸を押さえ苦しげな顔をする。〈砕かれた子供〉は時に、自己犠牲的に優しい。身近で触れる存在が、負に振れることに過敏になる。
そのくせ、自分に対してだけふるわれぬその優しさが、〈子供〉を思う人々を傷つけることには気づかない。
「あいつは八百年、思い出を糧に主の喪失を越えてきた。傷つけたくないってんなら、生きてる間に叶えたいことを考えて、それを手伝わせりゃいい。それが遺せる財になる」
お前が望むならな、と付け加えて、ルカは夜空の〈大星〉を見上げる。
自身の主が聞いたならば、どんな顔をするやらと思いながら、人くささの増した自分を自嘲するのだ。