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第16話 主従二組

 年齢を告げたことと、調理のアドバイスを始めたことで、梨々の生活はにわかに忙しくなる。

 複数の家庭教師が早急につけられ、教養と礼法を基礎からたたき込まれる。商館の手に負えないドゥーエの食材が持ち込まれ、それぞれに調理法を模索する。大量の宿題と稽古が課され、それは時に深夜に及ぶこともある。


 もともと、貴族の家に住み込みで働くことは、行儀見習いの面を持つ。

 特に〈話し相手〉は貴族の女性の相手をするため、相応の教養と振る舞いが求められる。

 いきおい、半端な状態で成人させることは、貴族側も信用を落とすことになる。

 ロコンチェルキ家はさほど身分は高くないが、前王朝からの流れを汲む名家だけに、そのプレッシャーは容易ではない。


 梨々は勉学には秀でていたが、実技の伴う教養はとみに低い。

 貴族の十五歳といえば、礼儀作法の優雅さは勿論、ダンスは踊れて当たり前、楽器は複数たしなむのが主流だ。

 結果、稽古の時間は特に重視され、お茶や食事の時間すらも作法のためとして家庭教師と過ごすようになる。


「俺が教えてあげるのに」


 という青年(シェル)の拗ねたような言葉に、困ったように弱々しく微笑むのが最近の梨々の日常である。

 起きている間、主に気を抜く暇がないことを、青年は案じ作戦に出た。


「夜用の香茶だよ。今日はこれ飲んでもう寝よう?」


「これ〈夢摘み〉って言うんだ。部屋に下げとくと嫌な夢を摘んでくれるんだって」


「〈眠り香草の袋詰め〉、これは枕元に置いてね」


 戸惑う表情を浮かべる梨々に、日々押しつけるようにして渡す。少しの魔法を込めた、眠りのための小道具たちが、少しでも疲労回復の役に立てばと願ったのだ。


 ――気を抜いた表情を見たいという下心も、ないとは言えない。梨々が表情を緩めるのは厨房での試食の時くらいだったため、料理長のスヴェンに密かな対抗意識を燃やす青年である。


「香茶だよー」


 夜の更けゆく中、青年の声に梨々は顔を上げる。資料を広げていたテーブルの片隅を片づけ、カップが置かれていく。中で澄んだ翡翠色が揺れている。

 ちょうど書き終えた宿題をまとめ、梨々はカップを手にする。


 二人きりの茶会は、毎度青年が大半しゃべって過ぎていく。

 胸の内を押しつぶす感覚は、主としての責務を果たそうとするほど増していくのである。

 言葉を交わすのにも、重力に逆らうような重さがあり、ぽつりと返すので精一杯だ。

 そこに申し訳なさを抱くたび、腹の奥がぎしぎしと痛む。


「――主?」

「はい」


 訝しげな声に、何とか頷いて応答する。

 途端、ぱっと青年が顔を輝かす。


「じゃあ一日お休みとろうね、主を連れていきたいところいっぱいあるんだ!」


 話の流れがつかめず、梨々は慌てて記憶の中を探る。

 確か、黒季(ふゆ)を抜けて青季(はる)に至る、その境に何かがあると言っていたらしいのだが。


「シュヴァイエを挙げてのお祭りになるから、楽しみにしてて!」

「お祭り」

「〈宝卵〉探したり、かぼちゃ料理食べたり、市場の出店回ったり……ドゥーエのものも探せばあると思うし」


 イースターと冬至が混ざったような祭らしい、と梨々は理解する。

 同時に、休みが取れるだろうか、と考える。梨々の稽古はあまり進んでいない。あまり期待させないほうが――


「楽しみだなぁ」


 しみじみと、嬉しそうにこぼれる声が深く響く。

 時折こぼすその声に、梨々の胸はいつもぎゅっと痛む。

 ……どうして、やわらかな顔をしているのだろう。それを私に向けるのだろう。私にそんな価値はないのに。

 答えは出なくて、ただ冷めていくお茶を飲み込むしか梨々にはできないのだ。


 ***


 同時刻、執務室。


「〈目覚めの祭〉、ね。もうそんな時期なのね」


 香茶を手に、当主としての仕事を終えたベルーシャがそう返す。相対するのは彼女の剣、ルカである。


「リリの息抜きにもなるだろう。あれは詰め込みすぎだ」

「私も言った方がいいかしら……皆なぜか私を基準に考えるようなの」


 それは無謀だ、とルカは声に出さずつぶやく。

 ベルーシャは幼い頃から覚えが良く、十二歳の時には社交に出ててもおかしくないと言われるほどだった。両親を早くに亡くし、家を継ぐ立場になっていなければ、華やかな青春を送っていたことだろう。


「あら、何か失礼なこと考えてなかった?」

「何も」


 即答である。


「リリを連れ出すために、〈宿りの石〉を使った飾りを借りたい。少しはマシになるだろう」

「そうね。中庭でさえ〈食らうもの〉に襲われるほどだもの。目立たない程度に沢山持たせたいわ」

「それと、休みの許可を。あいつ(シェル)が一日連れ回す気で、計画立ててるからな」

「あらあら」


 ふふ、とベルーシャが笑うのは、己の剣の苦労性ぶりを知っているからだ。

 それは面倒見の良さとは違う。ルカはただ、後で面倒になることが先に見えてしまい、それを捨ておけない性質(たち)なのだ。


「何かけったいなこと考えてないか?」

「まさか」


 やはり即答である。


「お祭りのことは、私からもリリに話しましょう。教師にも休みにするよう言っておくわ」

「ついでにシェルの相手も引き取ってくれ。リリがいない間うるさいんだ」

「それは難しいことね」


 言い交わして夜は更けていく。


 そして翌朝、屋敷はひとつの騒ぎに包まれる。

 ――梨々が倒れた、というのである。


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