第15話 厨房に入りびたりフラグです
どったらのっちゃ どったらのっちゃ
蒸された稲がボウルの中で、ひとつのかたまりになっていく。
どったらのっちゃ どったらのっちゃ
どったらのっちゃ のちゃ
「こんなもん、もの、でしょうか」
「はい、このくらいで」
梨々が頷くと、見習いの少年がはぁとため息を吐く。
何だ坊主へばったか、と笑うのは他の料理人達だ。
少年は今まで、自力で稲をついていたのである。
「こんなの単純な魔法ですぐできるじゃないですかぁ」
「言っただろう、リリ様の召し上がるものなんだ。魔法は介在させたくない」
「……ごめんなさい」
「あ、いや、リリ様のせいじゃねーですし! シェル様の目が怖いんで勘弁してくださいよ!」
この世界でいう魔法は、単純な機械の役割を兼ねている。
叩くもの、すり下ろすもの、こねるもの、切り刻むもの、他にも色々、時間短縮のために使われる魔法は多い。
しかし魔力過敏の舌を持つ梨々のために、スヴェンは調理で魔法を使うことを禁じている。冷やし凍らす魔導具も使わないため、生鮮食品の調達には特に苦労が多い。
閑話休題。
粒が残る程度までついた稲を小さく丸め、小さな豆の甘煮で覆わせたり、別の豆をひいた粉に砂糖を混ぜてまぶしたり。
そうしてドゥーエの黒い土皿にその菓子を盛れば、洋風色の強い厨房からは浮くものの、実に美味しそうに見える。
「こうして並べるときれいですね」
「皿は料理に従うからな」
料理人が口々に言う。
「さあ、味を見てみよう」
スヴェンの号令で、次々に皿に手が伸びる。
白いかたまりは弾力を持ちつつも軟らかく切れ、噛むほどにその甘さが表面の甘みと引き立て合う。あえて甘さを抑えた豆は後をひき、ひいた粉は口の中でまで香ばしい。
「これは天火茶が欲しくなるな」
「給料半節分が吹っ飛ぶがな!」
「重めの香茶でも合いそうではあるが……」
「一口大にしないと、貴族には難しくないか?」
料理人達が言い交わす中、梨々は黙々と甘煮の方の菓子をついばむ。
日本でおなじみのこのおはぎ、作られたのは梨々のアドバイスによるものだった。
きっかけは、ドゥーエの地理を学んだことだ。
梨々が薄々感じていた通り、ドゥーエは日本食材の宝庫であった。いくつかは名前すらそのままであったり、近い姿の別物が日本語に近い名前で呼ばれていたりする。
何でも千年以上前、異世界からの〈勇者〉がドゥーエに降り立ったことで、それまで簡素であった食文化に大革命をもたらしたのだという。おそらくはそれが、日本人だったのだろう。
〈勇者〉が消えた後も文化は発展を続け、梨々からすれば時代劇のような生活が今では営まれているらしい。
青年曰く、
「〈森の民〉は肉食を嫌う奴が大半だし、変化もゆっくりなんだよね。だから百年単位で時代遅れなものが、当たり前に使われてたりするんだ」
ということだそうだ。
さて、日本の食材に近いということは、梨々のうろ覚えな知識でも多少は役に立つということ。
慣れない材料に四苦八苦するスヴェン達料理人のため、ぽつぽつと知っている料理を話したところ、試作するようになり今に至る。
今回は、炊いたらおかしくなる稲をどうにかしてほしい、という商会からの依頼だった。
「このお米、稲は基本的に蒸して使います。味を付けたらおかずにもなるんですけど、作り方はわからなくて……」
「なるほど、そちらはシュヴァイエの調理法も参考にできるかもしれませんね」
申し訳なく告げる梨々に、スヴェンが励ますように言う。
「主、豆ついてる」
言いながら青年が指を伸ばしかけて、止める。そのまま当人の頬を指さした辺りを梨々がこすると、豆の殻がひとつ取れる。
梨々がまだ半分も食べ終わっていないのに、皿の向こうでは試食の残りをかけて、見習いの少年達が争っている。
「楽しいねえ、主」
青年がかみしめるように告げた。
***
首都シュヴァイエを擁するツァルデン王国。
その王ヴェルデリア四世の名の下に、異世界の民を集める勅令が――公には出されていない。
あくまでも秘密裏に、だが王の名を用いて、警邏隊は異世界の民の同行を求める。
そして、ひとつの塔に彼らを集めている。
「無知とは哀れだ」
金茶の髪に碧眼を持つ男が、その塔を見上げつぶやく。鍛えられて厚みのある身体、背筋の伸びた姿勢は、男が規律の厳しい世界で長く生きてきたことを示す。
「だめですよ、ユイゲン隊長。どこで誰が聞いているとも限りません」
「そうだな」
鳶色の髪と目をした部下のたしなめに、ユイゲンと呼ばれた男はひとつ頷く。彼らの見る前をまた一人、今度は老人が通り過ぎていく。
その先にはお仕着せを着た女性の待つ受付がある。
「あっしはライダと申します」
「ライダさんですね。では、こちらにお進みください」
「はぃ」
老人が塔の方へと向かっていく。その足取りはしっかりしているが、年老いた農民のものだ。間に合わないな、とユイゲンは思う。
――魔法が、技術とオカルトの入り交じりとして存在するこの時代。ヴェルデリア王は国民のため、未来を予見することを欲し、占い師を多く徴用した。
その中で、一番未来をよく見るとされる占い師が、先節ひとつの報告を上げた。
「本当に召喚されていたんですかねえ、アレ」
「お前の方こそ口をつぐめ。それは機密事項だ」
一節足らずで百人ほどを飲み込んだ塔は、王国軍によって厳重に警備されている。
だが、塔に運ばれる食料や物資は、毎度十数名分にも満たない。
「まあ、いたところで使える武器なぞ、伝承の〈魔王〉の許にもないのだがな」
「行方不明ですもんね」
「兄弟剣があったという話もあるが、定かでない」
王宮の大火は、いくつもの被害をもたらした。
代々伝わる秘宝の紛失もそのひとつである。完全な召喚陣をはじめ、王国にまつわる多くのものが失われた。
「ところで隊長、そろそろ時間ですが」
「ああ、わかった。行ってくる」
「いってらっしゃいませぃ」
軽薄に告げて、鳶色の頭が小さくなっていく。
「全ては、奴らを潰すためだ」
くっと目をしかめ、ユイゲンは低い声に怒りを込める。いや、それは怒りだけでは生ぬるい――悲しみ、恨み、憎しみさえも軽すぎる――熱く、重く、沈む感情。
それはユイゲンの悲願を支え、迷いを飲み込んでいくのである。