第11話 これはチートに当たるでしょうか
護りたいのだと、彼は言った。
ならば、務めを果たそうと彼女は思った。
***
驚くほど輝く顔をされたので、思わず梨々はジェイの後ろに隠れる。
「主、も一回! もう一回呼んで!」
「……シェルさん?」
「『さん』無しで!」
注文が増えつつ、大変いい笑顔で悶えている。長身がばたばた動くので、だいぶ怖い。
「シェル様、リリ様が恥ずかしがっておいでですから」
ジェイが世話役らしくたしなめる。恥ずかしいのではなく退いているのだが、口にしない程度の分別は梨々にもある。
主の務めとして、梨々は胸の内の押しつぶしをこらえて声をかけることに決めた。
名前も呼ぶ。笑いかけるのはおいおいやっていけたらと考えている。
"主"には、笑っていてほしいそうだから。
朝食をどうにか飲み込み、馬車に乗る。向かうのは、ロコンチェルキ家の庇護を受けている商会だ。
梨々もベルーシャも、仕立てたばかりの服を着ているせいか、華やいで見えるらしい。商会主のバドウが相好を崩す。
「ようこそおいでくださいました。そちらの淑女が〈話し相手〉殿ですかな?」
「リリ・サトーと言うの。今日は社会勉強をさせようと思って」
「ほほう」
穏やかな表情を保ちつつ、さっと値踏みの視線が降る。梨々は一瞬顔をしかめたが、顔を上げバドウを見つめ返す。時計の針のように細い体と、賢さと狡猾さをバランスよく含んだ顔つきを。
「ははっ、そう見つめられると心苦しい。早速ご案内をいたしましょう」
バドウが直々に先頭に立ち、運び込まれた荷を案内していく。
山と積まれた穀物、豆、つやつやとした野菜に果物、肉や魚、乳製品や香辛料は面々と連なる。毛皮に毛織りの絨毯に、麻や綿の反物、染めた絹糸。〈宿りの石〉の塊に、光輝く宝石魔石、精霊を込めた武具の類もある。さらにそれらを運ぶ四つ足の獣たち――
「市場ができそう」
「さよう、商会は市場の一部ですからな」
梨々のつぶやきにバトウが答える。
商会は大小さまざまな旅団を組み、金になるものを仕入れては自分の店で売りさばく。バドウの商会は支店をいくつも持つ大店である。
だから、こうした珍しいものも試しに仕入れてくる。
「こちらがドゥーエからのものです」
黄金に輝く穀物の粒、真っ赤に染まった木の実の塩漬け、からからに乾いたベルト状の海草、叩くと澄んだ音が鳴る魚の乾物、豆と塩で作る調味料とその黒い上澄み、枯れ草に包んだ粘る豆……
「それ腐ってんじゃねーのか?」
「いいえ、ルカ様。ドゥーエでは当たり前に食べられておるそうですよ」
「えぇー」
剣の精霊がそろって顔をしかめる。バドウの部下も仕入れてはみたものの、粘りや独特のにおいのため、売り方に困っているらしい。
「スヴェン殿が調理法を研究しているとお聞きして、ドゥーエで主流らしいものを色々取りそろえてみたのですが……」
「ええ、勿論こちらで買っていきましょう。リリはドゥーエのものじゃないと受け付けなくて――リリ?」
呼ばれて梨々は我に返る。思っていた以上に品々を見つめていたらしい。
いや、梨々は品物自体を見ていたわけではない。その向こうに、懐かしい光景が浮かんでいたのだ。
大きな焦げ茶色の梅干しの壷。鉋の形をした鰹節削り。冷蔵庫に常備された水出し昆布。くつくつと鍋で温められる味噌汁と、炊飯の終わる甲高い音――
『りりちゃん、じーちゃんとごはんにしょうなあ』
「……その粘る豆は、よくかき回して食べるのですか?」
「ほう、サトー様は勘がよろしいですな。その通りです」
「調味料の上澄みを少し入れて?」
「そう言っていましたな」
「――私の知っているものと同じなら、それは麺類にソースとしてかけるとおいしいです」
梨々が応えるべき期待は、主としてだけではない。
誰かの役に立つ知恵を、学ばせてくれる当主のために示さなくてはならない。
納豆によく似たその豆は、おそらく米にのせるのが一番美味だろうが、シュヴァイエでは主食と思われていないので麺類に変える。梨々は食べたことがないが、納豆スパゲティがコンビニで売られているくらいだからおいしいはずだ。
「その、お客さんが受け付けるか、わかりませんけど……」
「いやいや、さっそくうちの料理人に試作させてみましょう。これは情報のお礼です」
受け取った納豆もどきは、ずっしりと重かった。