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第10話 主従問答と彼女の決意

 傷は舐めれば治る、と俗に言う。

 この世界の精霊たちは、それを文字通りの意味で行う。

 赤い舌が手の甲で踊ると、腕の傷はみるみるうちに塞がっていくのだ。


「で、主?」


 戦闘と治療を終え、ゆったりとしたシャツに着替えた青年は、寝椅子から胡乱な目で梨々に問いかける。

 ルカ達は配管の再確認に向かったので、今は主従の二人きりだ。


「俺は伏せといてって言ったのに、どうして立ち上がっちゃったのかな」

「……聞こえなかった」


 こちらは立った姿勢の梨々がしぶしぶとそう返す。

 その背中は払ったものの、まだ砂や草がくっついている。


「――まあ、聞こえなかったんなら仕方ないとして」


 ため息をつきながら頭をかく。その動きはもう、傷を負っていたとは思えぬほど滑らかである。


「主は魔力が低いんだ。自分の身は守ってくれないと困るよ」

「なぜ?」

「なぜ、って」

「私が死んでも、"主"はいます。また探せばいい」

「そんな簡単に言わないでくれる?!」


 思わぬ大声に、梨々の体がびくりと跳ねる。あるいは見開いた彼女の目を見たのか、青年の顔に後悔の色が過ぎる。


「俺と契約してくれる人間はなかなかいないんだ、黒髪だから」

「……そうなの?」

「ルカの髪の毛は灰色だろ? 精霊は格上になるほど髪が白くなる。その分契約者の魔力も問われるけど、貴族も金持ちも、できるだけ格上の精霊をほしがるんだ」


 契約を終えて――その大半は死別が理由だ――新たな契約者(あるじ)が見つかるまで、精霊は半年間自由に動くことができる。しかし半年経っても契約できない場合、精霊は人型を解き、武器の中で眠ることになる。


 これは一見不利なようだが、眠ることで記憶が風化され、記憶のために回していた魔力が戻ってくる効果もある。契約者がいた記憶を嫌う者もいるため、わざと半年を越えて眠らせる場合もあるらしい。


「でも俺は記憶を、思い出を消すことはできない。それが初代(あの人)の願いで、命令だから」


 八百年もよく途切れなく見つかったものだ、と梨々は考えたが、その理由は単純だった。つい半年前まで、青年はとある一族に代々伝わる家宝だったのだ。

 その一族の最後の一人が亡くなり、生前の約束に従ってベルーシャの家に身を寄せているらしい。


「半年間、ぎりぎりまで探して、やっと見つけた契約者が主だ。俺の全霊をかけて護るけど、自分から危険に飛び込まれちゃ困るよ」


 結局そこに話が戻るらしい。

 青年が話を続けようとするのを遮るように、梨々の口が開く。


「あの日、ルカ様が怒っていたのは、あなたが、契約者になれる存在を、競り落としに行ったから?」

「――!」

「"主"は、お金で買えるんでしょう、その気があれば」


 言葉に詰まった、それが答えである。


 ***


 この世界に召喚された初日、腕を切られ気絶した後で、梨々は大声に起こされた。


『ばっかじゃねえの?!』


 その声は大きくよく通って、叱りつけているらしい断片が梨々の耳に残った。

 声が収まってくると同時に起きだし、ベルーシャから長い説明を受けたので、声の記憶はひとまず保留されていたのだ。


「あなたは、成り行きで私を買っただけ。半年以内に契約できれば、誰でも良かったはず」


 半年という期間が終わりゆくことに、青年は追いつめられていたのだろう。白いとは言えない召喚オークションに、契約者を求めて手を出すほどに。

 その中から、梨々に決まったのは単純に事故だ。突然腕を切り落として、"商品"を傷つけた責任をとった。別の誰かを傷つけていれば、そちらが買われていっただろう。


「誰でもいいのなら、私でなくもいい。お金を出すなら、"主"はたくさんいる」


 契約の手法を、梨々は知らない。

 目覚めたときには、彼女は主と呼ばれていた。

 ならば契約は精霊の主導が可能なはず、青年さえ望めば誰でもいいのだ。


「あなたは――」

「俺は主じゃないと嫌だ」


 遮ったのは、今度は青年の方。


「主の魔力は、基準値より低い〈以下位〉だ。本来なら契約できる状態じゃない。俺が腕を生やした分だけ、親和性が高くなったからできたんだ――」


 違う、そういうことじゃない、とひとりつぶやく。


「主は、昔契約してた子に似てるんだ。あの子は八歳を越えられなかった」


 本当に自分は幾つに見えているのだろう、と梨々は内心疑問を浮かべる。


「主を見たとき、あの子が大きくなったみたいだと思ったよ。客の視線に腹が立ったし、〈食らうもの〉どもに襲われて、黙って見てられなかった。――俺が護れるなら、護りたいと思った」


 青年の訴えに、梨々は淡々と考える。

 彼の主張は、つまり、思い出の人の代替。

 昔願えなかった夢の続きを、他人の中に、梨々の中に見ているのだ。


 ――困ったな、と梨々は目を伏せる。


 生きることは難しくて、息の詰まるように苦しくて、どんなに頑張っても、迷惑や負担を周りにかけるばっかりで。

 それでも期待を受けるから、頑張らないといけなくて。


 死んでしまえば、それらは全部おしまいになる。

 〈食らうもの〉に食べられれば、遺体の心配すらしなくていい。

 その事実は梨々にとって、とても甘美な誘いなのだ。


 けれど買われた梨々には、購入者の期待に応える責務がある。

 彼が夢の続きを望むのなら、そう振る舞うのが役目だろう。

 胸の内が押しつぶされようとも。


「俺に、貴方を護らせてほしい」


 ふいに落ちた沈黙を破り、まっすぐな視線で青年は告げる。

 それは相手が梨々でなければ、照れて目をそらすような率直さである。

 梨々はただ、ぎこちない笑みで頷いた。


「それが、主の務めであるなら」


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