第九話 奈穂の苦悩
「奈穂!」
重い足取りで教室に入るなり美穂が飛んできた。
きっとあの日のことを怒っているのだろう。
美穂には何も言わず帰ってしまったし、その後も連絡していない。
竜二さんが美穂に説明したのかもしれないし、何も知らされていないのかもしれない。
頭の中でぐるぐると色んな思いがとめどなく溢れる。
「早くこっち」
美穂はあたしの手を引いて廊下を走り出した。
気が重くて遅刻ギリギリに来たので、恐らくすぐにチャイムが鳴ってしまう。
「よし」
美穂がそう言って足を止めたのは屋上へ続く階段の踊り場だった。
そこに到着するなりチャイムが鳴り終わってしまった。
「美穂、もうHR始まったよ」
「うん。いいの、言っといたから」
美穂は困った様子も、悪びれた様子もなく呟いた。
「それよりね、奈穂に話さないといけないことがあるからさ」
「話さないといけないこと?」
てっきり問いただされるものだと思っていれば、美穂の方から話があるらしい。
やっぱり竜二さんに聞いたのだろうか。
「あたしこの前いっぱい奈穂に変なこと言ったよね。
竜二さんのことも悪く言ったよね。
でもね、竜二さんのこと本気で好きなら、諦めてほしくないの!」
美穂は大声を上げたい気持ちで体を揺らしているが、見つかってはまずいという気持ちがあるのだろう。
口の中で声を抑えている。
「あの日ね、桜庭さんに色々聞いたの。桜庭さんね、竜二さんと幼馴染なんだって、だから竜二さんのこと全部知ってるの」
「本当! 竜二さんってどんな人だったの? どうしてこんな性格になったの? 何かあったの!」
思わず美穂の胸倉を掴む勢いで近づき、声を荒げていた。
言ってしまってから口を覆った。
これで先生に見つかったらどうしよう。
あたしが慌てていると、美穂が両肩を掴んだ。
「落ち着いて、桜庭さんに幼馴染ってことは聞いたけど、竜二さんについては何も聞いていないよ。
あたしになんて話せないでしょ」
美穂の自嘲気味な笑顔が歪んで見えた。
複雑だと思う。
「あたしのせい」
「え?」
「な、なんでもないよ」
なんとなく気まずい空気が流れた。
もう授業は始まっているのだろう。
なんの音も聞こえてこない。
屋上に近いから先生の声も聞こえてこない。
沈黙は永遠に続きそうな気がした。
「桜庭さんがね、奈穂なら救える、奈穂に救ってほしいって言ってたよ」
美穂の振り絞ったような声が耳を震わせた。
「今まで竜二さんに近づく女の人はいっぱいいた。でも所詮は顔に惹かれて、なんでもしてくれる竜二さんに甘えて遊んで終わってた。
少しは真剣に考えた人もいたのかもしれないけれど、竜二さんの冷めた様子に皆離れて行った。
だけど奈穂は違う。奈穂はどんな竜二さんを見ても傍にいた」
まるであたしたちのことを全部見ていたような美穂の言葉に、思わずドキリとした。
「竜二さんね、桜庭さんにだけは今でも心開いているんだよ。
だからたぶん奈穂と竜二さんにあったこと、全部知ってるんだと思う」
美穂の顔がとても寂しそうに見えた。
竜二さんは桜庭さんになんでも話している。
とても責められているような気がした。
だけどあたしは美穂に心配かけたくないから、だから何も言えなかった。
でもそれは、友達である美穂にとっては悲しいことなんだよね。
「あのね」
「いいの。別に全部聞きたいとか、そんなの思ってないから。ただね、うん。ごめん。
あたしも自分が何にこんなにもやもやしているのかわからないの。
だから、ともかく、奈穂は竜二さんにぶつかっていって。
本当に好きなら、何があっても頑張って。
奈穂にならできるから。じゃ、じゃああたし先に教室戻るからね」
「美穂」
今まで自分のことに必死で、竜二さんのことしか考えてなかった。
大好きな桜庭さんからあたしと竜二さんのことを頼まれた気持ちはどんなものだったんだろう。
きっと桜庭さんだって美穂が全部知っていると思って話したに違いない。
それにこたえられなかった美穂は、どんな思いだったんだろう。
それにしても、桜庭さんはどうしてあたしになら竜二さんを救えるなんて。
救うってなんなの。
あたしが思っている感情を覚えてほしいってこと?
どうして竜二さんは感情を捨ててしまったの。
竜二さんに何があったっていうの?
全部知りたい。
全部聞きたい。
誰に?
桜庭さんに?
桜庭さんが竜二さんに黙ってあたしに教えてくれるわけがない。
なら・・・。
「竜二さんに教えてもらうしかない!」