始まりの物語
小さいころ、俺達三人はいつも一緒だった。俺ののもっとも古く幼いころの記憶は、アーベルとソフィー、そして俺の三人で夕暮れの中どこかの草原を泥んこになりながら転げまわっている光景だ。多分三歳ころの記憶だろうか。アーベルは小さいころからやんちゃというか少し向こう見ずなところがあって、俺とソフィーがそれに引きずりまわされ悪戯や無茶なことをしでかして、それをそれぞれの両親にこっぴどく叱られたりしたものだ。
ソフィーも小さい頃はアーベルに負けずお転婆というか、アーベルと一緒になって悪戯ばかりをしていた。俺はと言えば、そんな二人の後をいつも金魚のフンみたいについて回っていて、二人の仕出かした悪戯の被害を一身に受けていたように思う。だけど、なぜだかそんな毎日が楽しくてしょうがなかった。
俺、つまりロカ・エルンストとアーベル・キグナス、ソフィー・アーセルの家はラグラダの森のはずれにあって、村の中心からもそこそこ離れところに固まって建っていた。三人は年も同じだったし、近くには近い年頃の子どもおらず、それぞれの親達も仲が良かったこともあって、幼いころから兄弟のように育ったのだ。
アーベルの父さんは昔は城の騎士をしていたのだという。もっともアーベルの父さんに言わせれば騎士なんていうそんな立派なものじゃなく、単なる雑兵に過ぎないというのだけど、実際のところは子供だったのでよくわからない。母さんという人はいなかったと思うが、アーベルは詳しいことは話さないし事情はよく分からない。
ソフィーのお父さんは村のお医者さんで、とても穏やかな人だった。そしてお母さんは薬草から薬を作る薬師みたいなことをしていた。だから、ソフィーの家には薬草がたくさん植えられていて、秋になると名前はしらないけど、赤い小さな花がたくさん咲いていたことを覚えている。
俺の父さんはラグラダの森の管理官みたいなことをやっていた。下っ端ではあるんだろうけど、一応国の役人みたいなものだったらしい。ラグラダの森を定期的に巡回していて、ほとんど家にはおらず寂しかったことを覚えている。母さんは昔は城で勤めていたこともあるって聞いたこともあるけど、その頃は普通の主婦というか、母さんは母さんだった。
村には学校というものはなかったけれど、俺の母さんが三人に読み書きを教えてくれた。アーベルはある種の天才だったのだと思う。俺やソフィーが文字というものを覚えるのに四苦八苦しているのに、彼は少し教えてもらうだけで前から知っていたかのように直ぐに理解し、そして自分で先に進んでいった。母さんもそんなアーベルに感心し絶賛していたけど、俺はそんなアーベルに少しだけ嫉妬らしきものを感じていたのを覚えている。
またアーベルは5,6歳を過ぎるころから、彼の父さんから剣術を習い始めた。俺は未だに剣術というものはよく分からないけれど、それでもアーベルの上達がとても速いというはよく分かった。アーベルが10歳になる頃にはアーベルの父さんと結構互角に打ち合いをしていたように思う。俺とソフィーも最初のころは見よう見まねでアーベルの剣術の稽古を真似をしたりしていたけど、直ぐに飽きて止めてしまった。
ソフィーは母さんの薬作りをよく手伝っていた。といっても子供のすることなので、本当に手伝いになっていたのかは怪しいものだ。ただ、その頃からとても真剣な目で薬草をより分けていた姿を未だに覚えている。
そんなこんなで、三人とも午前中は毎日読み書きの練習やら剣術の練習やら、薬作りのお手伝いやらで子供なりにそこそこ忙しかったわけなのだけど、それでも午後になれば三人で毎日のように野原を駆け回って、草原でトカゲを追いかけたり、ミクス川で釣りをしたり、森のはずれに隠れ家らしきものを作って遊んだりしていたものだ。そんなとき、アーベルはいつも先頭にいた。ソフィーと言えばそれに負けずとついて行こうとしていたし、俺はあいも変わらず金魚のフンだった。思えば、その頃が三人にとって戻ることのかなわない黄金の時間だったのだと思う。
ただ7,8歳を過ぎいつの頃からか、ソフィーのアーベルを見る目が少しずつ変わってきていたのを俺は感じていた。ふとソフィーを見ると、ソフィーがアーベルの後ろ姿をじっと追っているということが何度かあり、俺は胸がチクチクする感触を感じたりした。でも、その頃はそれが何を意味するのかは分からず、ただ嫌な、そして何故だか後ろめたい気持ちになったことを覚えている。
丁度そんな頃だっただろうか。ふと気付くとアーベルが遠いところを見るようにぼうっとすることがあるようになった。またあるときなどは、走り回っていたのに急に立ち止まり何かに耳を澄ますように目を閉じてじっと立ち止まったりもした。
「どうしたの?」
と不思議そうに俺が聞いても、アーベルははっとして我に返って
「ううん、なんでもない」
とばつの悪そうに笑って言うだけだった。
そんなある春の日、俺の10歳の誕生日を過ぎたばかりの頃だったろうか、俺たち三人はラグラダの森を少し入ったところにある、小さな池に釣りに行こうということになった。ラグラダの森はカスカー山の麓に広がる大きな森で、森の奥には大人が何人もいないと抱えられないような大きな木々がうっそうと茂っているというし、さらには魔物もいるのだと大人たちは言っていた。そんな訳で、子供達だけでラグラダの森に入ることは固く禁じられていたわけなのだが、三人が10歳になるにあたり、このミズリーの池までは子供達だけで行くことが許されたのだ。ミズリーの池へは大人に連れられて何度も行ったことがあったし、一本道なので迷うこともない。
ミズリーの池に行くのは、最近何故だかわからないけど少しふさぎがちなアーベルを元気づけてやろうとソフィーと話し合った結果でもあった。アーベルはそれを知ってか知らずか、釣竿を抱え、森、と言ってもよく下草を刈って整備され明るい小路を時には駆け出しながら久しぶりに元気よく意気揚々とミズリーの池へ向かって行った。ソフィーは、私は釣りはいいの、と言って最近お母さんに卸してもらった白い木綿のワンピースを来て、俺たちの後をついてきていた。そう、その頃になるとソフィーは以前のお転婆は影を潜め、俺達の後をただ付いてきて、ニコニコと笑っていることが多くなっていたような気がする。
ミズリーの池はラグラダの森の端に広がる池というよりも湖と言ってよいようなそこそこ大きな池であり、村の貯水池も兼ねていてそこからミクス川が村に向かって流れている。そのミクス川の取り入れ口の近くは子供の足で50歩四方くらいの芝の広場になっており、木々の木陰などもありピクニックに最適な場所なのだ。
アーベルと俺はミクス川の取り入れ口から少しだけ下った場所に釣り糸を垂れ、ウキを見詰める。ソフィーは近くの岩に腰掛けて俺達のことを見ていた。そんな時もアーベルは浮きを見詰めながら何かをじっと考え込んでいるような様子だった。とは言え、そこは10歳の子供達だ。一燭時もすれば釣りも飽きてくる。そのうち釣竿を放っぽり出してミズリーの池に入ってみたり、広場の周りの茂みでベリーの実をさがしてみたりしだした。
そんな時、ソフィーが何かを見つけて「あぁぁっ」と声をあげて腕をぶんぶん振り回してアーベルと俺を呼んだ。アーベルと俺は、また碌でもないものを見つけたんだろうと、ブラブラとソフィーの元へ向かった。広場の端でソフィーは細い指で茂みの中を指していた。
「こんなのあるって知らなかった!」
そこには俺達の腰の高さほどの石、というか石碑のようなものが立っていた。石碑の様なものだと思ったのは、表面が削られなにか文字の様なものが刻まれているように思われたからだ。
アーベルは「へぇ」と少し嬉しそうに笑って、その石碑に近づき、そしてそしてやさしくなでた。
俺もアーベルの隣でその石碑をなでようとしたのだけど、冬の乾いた日に毛皮を触った後にバチっと感じるのと似た軽い痛みを感じた。
「どうしたの?」
とアーベルが聞くので、
「ううん。ちょっとバチっと来ただけ」
と言ってから、恐る恐るもう一度石碑をなでてみた。今度はバチっとくることはなかったが、石碑がほんのりと人肌程の温かみをもっているような気がした。
「なんか、暖かいね、これ?」
と俺が言うと、アーベルは更に「へぇ」というような顔をして俺を見詰めた。
ソフィーもどれどれ、と石碑をなでてみたが、
「全然温かくないじゃない。冷たいよ?」
と言って、また私のことをからかっているんでしょうという様な目で俺の顔を見た。
「暖かいじゃん。ていうか、だんだん熱くなってきてない?」
と俺が言うと、アーベルがそっと俺の手をとり、石碑から引き剥がした。
「これは龍石だよ。龍石に触って熱を感じるということは、ロカは魔法使いの素質があるのかもしれないね」
「ん?それって、ロカだけで私は魔法使いの素質はないって、そういうこと?」
とソフィーがふくれた様な顔をして言うと、アーベルは困ったように笑った。
「魔法の訓練をしないで最初から龍石に熱を感じる人はほとんどいないらしいけど、でもだからと言って、魔法使いになれないというわけじゃないよ。ていうか、ソフィーは魔法使いになりたかったなんて知らなかったな」
とアーベルが少しからかうように言うと、ソフィーもからかわれていることが分かっているのか、
「ぶー」
と少し拗ねたように、でも笑って
「私はお母さんと同じ、薬師になるの!」
と言った。
そう、ソフィーは最近お母さんの薬作りの手伝いをさらに熱心にするようになっていた。
「アーベル、龍石ってなんなの?オレ、魔法使いになれるの?」
と俺が聞くと、アーベルはさらに困ったような顔をして、
「うん…昔父さんに聞いたことがあるんだ。龍石ってのは、うーん…魔力の溜まっているところの…昔の魔法使いがそういう場所が分かりやすいように置いた目印みたいなものらしいよ。だから魔法使いの素質がある人が触ると、何かを感じることがあるんだって…」
アーベルの父さんは昔は城の騎士だったし、そう言うことにも詳しいのかもしれない。
しかしアーベルは龍石を見詰めながら、
「でも、龍石がこんな所にあるんだとすると、この辺りにはあまり来ない方がいいのかもしれないなぁ」
とつぶやいた。
「なんのこと?」
と俺が聞くと、アーベルは
「家に帰った方がいいかも…」
と俺達にに言った。その言葉に、
「えぇっ。さっき来たばっかりじゃない」
とソフィーが不満そうに言ったその時、森の茂みの奥のほうでガサッという音がして、俺は何気なしに音のした茂みの奥に目をやった。