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そのなな

「はい、おちかづきのしるしー」

 

 いちごのあめ。

 ラーサティアはこれが好きだった。甘くてすっぱくて、いいにおいがする。

 好きだから、菓子折の代わりにそのひとに差し出した。しかし、すぐにそれを取りもどして包み紙を開くと、そのひとの唇に飴玉を直にくっつける。


「いちごきらい?」


 そのひとは驚いたように首を傾げたが、やがていたずらっぽい笑みを浮かべるとわずかに口を開けてラーサティアの手からいちごの飴を受け取った。

「ありがとう、ティア」

 ひとつ、ラーサティアも頬張った。甘くてすっぱくて、タネのつぶつぶが舌の上をちくちくと刺激する。

 ラーサティアの口には少し大きいそれをもごもごと転がしながら、無言でキリにも押しつける。

 飴玉は、ナイフの柄にぶつかって、こつんと音をたてた。


 割れたら嫌だな、と、ラーサティアは少しだけ悲しくなった。


 


* * *


 


「おりぃさぅあ、あぁえ?」

「『おじいさんは、だぁれ?』だそうです」

 飴玉で上手く喋ることができないラーサティアのセリフを通訳すると、キリも赤茶色をしたそれを口に放った。舌の上に溶ける甘さが、緊張した頬を少しだけ緩ませる。


 町の警備隊を呼ばれても仕方がないと思っていた。

 これだけぼろぼろだと説得力に欠けるけれど、王都、しかも下町とはいえ中心街にほど近いところにある大きな屋敷に住む名家なのだし、王立の騎士隊を呼ばれるであろうことだって覚悟はしていた。

 だけど老人は緊張するキリと能天気なラーサティアを叱りもせずに木枠のソファに掛けるよう勧めると、花の香りがする茶を淹れて二人をもてなし、自分もにこにことピアノ脇の椅子に腰掛けた。

 それは、盲目であることを思わせない、なめらかな動きだった。


「ワシはジジイだ」

「いあえぇ、いぁあああえぉいぃえうおょ」

「『いやねぇ、ティアはなまえをきいてるのよ』……って、おい、その飴噛んじまえ」


「おまえさんたち、見てて飽きないのう……と、ワシには全然見えんからその言い回しもおかしいか」


 バキバキとラーサティアが飴を噛み砕く音の中、キリは居心地悪そうに姿勢を正す。今まで彼が生きてきた周囲に、盲目の人はいなかった。しゃあしゃあとそれをさらす老人に、なんと言葉をかけたらいいのかわからないのだ。

 たとえば、一人暮らしなのに見えないのは大変ですね、と、心から思うけれど、老人にとっては大変なことではないのかもしれない。

 できれば、そんな話題には触れないでいたい。だって、その方が楽だから。けれど、そういうふうに考えている時点でなんだかすごく失礼な気がしたし、自分が嫌な奴に思えた。


「じゃあ聞いてて飽きないとかなの? もしかして嗅いでて飽きないとか? でもどれにしてもけつろんはおんなしよ、だったら見てて飽きないのがみみざわりが良くてあたし好きだわ」


 だから、しゃあしゃあとそんなことを言ってのけるラーサティアがいてくれて、少しだけほっとしていた。

 彼女が山盛りのキャンディボックスから転がるあめ玉みたいにコロコロ落とす言葉はどれも馬鹿みたいに無邪気で、鮮やかで、あまいような気がする。その甘さが場を和ませてくれるし、キリの自己嫌悪を少しだけ甘い香りに中和してくれる。


「そうさのう。ワシは味わってて飽きないのが一番いいと思うがの。なんでも美味しいにこしたことはないじゃろ」

「わぁ、それは賛成! おいしいものはしあわせね! しあわせな方がいいにきまってるわ!」


 その言葉に、老人はきょとん、と不思議そうな顔をして。

「そうじゃろそうじゃろ! しあわせな方がいいに決まっておるわ!」

 次の瞬間には目元に皺の寄った好々爺の顔になり、天井に向かって大笑いをはじめた。



* * *



 ラーサティアと笑い合っていた老人は、やがて笑いが収まってくると改まったように自分の胸元に手を当てた。

「ワシはリーフ。リーフィルザーク・ダディ。名前くらい聞いたことあるじゃろ」

 その手は、無駄な肉がなく関節が少し目立つ手だった。年の割に、あまり荒れていないようにも見える。


「ぜんぜん」

 ぷっくりした唇に指先を当てて、ラーサティアは言い放った。

 言いにくいことをさらりと言うやつだと思いつつ、キリは苦笑を隠せない。本当のところキリもその名を知らないのだが、それは秘密である。

「お前さんたち、幾つじゃ」

「ティアじゅうにさいー」

 ラーサティアが元気に手を上げる。つられてキリも手を上げた。

「あ、おれも十二歳で……って同い年っ?」

「なにそのいいかたー。しつれいしちゃうー」

 目を真ん丸くしてラーサティアを見つめると、彼女はぷぅと頬を膨らませる。少なくとも同じクラスに、こんな子供っぽい仕種をする少女はいない。

 彼女たちは背だってもっと高いし、そろそろ男女の別がついてくる頃だ。ここまで幼い同級生は他のクラスを回ってもなかなかいないだろう。

 まあ、だからこそ人付き合いの苦手な自分でも気負わずに付き合えたのだろうな、と、キリは納得した。


「そうか、十と二つか……なら、仕方がないの。ワシがピアノ弾きをやめたのはもう二十年も前じゃ」

「やめ……たんですか、あんなに上手なのに」

 ほんの少ししか聞いていないし、第一、キリには音楽のよしあしはわからない。だけど、彼は思わず問いかけてしまった。あんなに上手なのにやめてしまうなんてもったいない。


 だから、悪気はなかった。


「なんせ、楽譜が見えんでの」


 そう言われてしまうと、何も返せない。

 失礼なことを言ってしまった。キリは視線を落として唇を噛む。

 確かに、盲目では楽譜を読むことはできない。譜面というものは、すべての記号が紙に記されるものだから。

 ずるりと這うような、重くて湿った空気が広がり始める。しかしラーサティアはまったく気にもとめないようで、驚きを隠せないという顔で老人を覗き込んだ。


「みえないのにずいぶんきようなのー。がくふいがいだってみえなければむつかしいわ、おちゃいれるのとか」


 あたしは見えていても歩くだけですぐに転んじゃうのに、そう言うラーサティアにお前は色々不注意なんだと思わず説教をすると、リーフィルザークはまたくすくすと笑った。

 キリは気付かれないようにほっと息をつく。重い空気がそれに飛ばされるように霧散したみたいだ。

 ラーサティアのこの何かと紙一重の無邪気さは、もしかしたら才能なのかもしれない。


「そうさの。ティア、お前さんならわかるんじゃないかの」

 その才能を見越しているのか、リーフィルザークはラーサティアに話を振る。しかし、突然そう言われたラーサティアはその小さな肩をすくめ、唇を尖らせた。

「あたし? キリにはわからないのね?」

 少し考えるように唇を引き結び、まるでなぞなぞの答えを探すみたいに目を泳がせる。しかし思い出したように目を閉じてから、ラーサティアは何かに気付いたようにぱっと目を開いた。

「てことはつまり、まりょくをよむってこと? でもそれだけじゃいきていけないわよぅ。やっぱ、リーフはすごいわ」

 言ってから、彼女はもう一度唇を尖らせる。しかし今度は、なにやら不機嫌そうな尖らせ方だ。


「ねー、リーフ」


 彼女はリーフィルザークにしがみつくようにして、その視力を失った瞳を覗きこんでいる。

「リーフってにあわないわ。ダディのほうがすてき。あなたこれからダディね」

 なんだかお父さんみたいね、そう呟いたくせに、ラーサティアは取り消すことなくリーフィルザークの膝から降りるとピアノの脇に回り込んだ。


「ねえダディ、もっとひいて」

「おお、いいぞ。どんなのがいい?」

 ラーサティアは、にっと笑った。両手を天井に突き上げて、満面の笑みでこう告げる。


「ゴキゲンなのー!」



* * *



 はじめは、気のせいかと思った。


 舞い踊るカーテンもちかちかと光る光も、きっと音楽が見せる幻だろうと思っていた。そんな幻を見せるくらいにリーフィルザークの演奏が秀でていることは、何となくキリにもわかったし。


(幻? これが? ……まさか)


 キリは、きゅっと唇を噛み締める。

 ラーサティアは普通に受け止めているみたいだけれど、どう考えても尋常じゃない。

 外の木々を見る限りでは風など吹いていないはずなのに、この部屋の中には確かに風が吹き込んでぼろぼろのカーテンを躍らせている。

 ガラスにひびが入ったからといってプリズムのような効果を持つとは到底思えないのに、窓はきらきら光っているし。

 そのうえ、ラーサティアは調子外れの鼻歌ずっと歌っている。それは普通のことかも知れないけれど。


「なぞはとけたね」

 調子外れの鼻歌を途中でやめて、ラーサティアが突然キリの方を向く。その瞳にも頬にも、涙のあとなんてひとかけらもなかった。二人の耳には、ただ、『ゴキゲン』な旋律が飛び込んでくる。

「つまり、すうてきなこうしきにあてはめるからしっくりこなかったわけね。ダディのおと……せんりつ、かしら、とにかく、それじたいがたかめているんだわ。ダディのせんりつがちからをもつんじゃなくて、ちからをたすけているのね。わかる?」

 ゆっくりと、首を横に振る。意味がわからない。


「うーん、だから、だいすきってことなの。ちからが、ダディのせんりつがすきだからそれをきいたらがんばれるの。きかなくても、せんりつをいつかつむいでくれるダディのためにがんばるの。だって、すきなひとのためにはがんばりたいじゃない?」


 風がないのに揺れるカーテン。不自然に光る窓ガラス。他の家に比べてやたらと生い茂った庭の木々。


 キリは、目を閉じた。耳に飛び込んでくるのは、はねるようなおと。

 好きな人のために頑張りたいと、少女は言った。

 そんなことは、どうせ年頃の誰もが思っていることだ。くだらない、安っぽい感情。

 だけど、キリはそれを知らない。今まで頑張ってきたのは全部、自分のためだったからだ。

 家柄だけだと、言われたくなかった。家柄のおかげだと、言われるのも癪だった。だから、頑張ってきた。たぶんそれは、自分が自分であるためのプライドというやつ。

 好きとか嫌いとか、そんなくだらなくて安っぽい気持ちなんて、知らない。

 知らないはずなのに、ラーサティアの言葉は不思議と胸にしみこんできた。


 負い目が、あるからだろうか。キリは、握り締めたナイフのやり場に、今も困っている。

 本当は、頑張ろうとしたのだ。これを、掲げて。


「……すごいな」


 たぶん、笑って欲しかった。

 だって、泣かれるとうるさいし、なぜだかとても心が重くなった。

 だけど、どんなに強さを主張しても、彼女は泣き止まなかった。小太刀の類の扱いだってそこそこできるはずなのに、このナイフは彼女を安心させるには足りなかった。


 ――どうして?


 そっと、瞼を開ける。再びひらけた視界には、少女が嬉しそうに笑っている姿が飛び込んでくる。

 キリは、そっと手を伸ばした。だけど、ナイフがじゃまだ。だから、手を放す。柄から落ちたそれは、かしゃん、と、鳴る。思っていたよりも軽い音がピアノの音を少しだけ邪魔した。

 それに気付いたラーサティアが、伸ばされたキリの手に気付いて不思議そうに握り返す。


(……すごいな)


 その手のひらは小さくて、だけどあたたかくて。

 キリは、ふと、思いついた言葉を口にした。視線の先では、盲目の老人がいきいきと鍵盤を叩いている。


「俺にも、それって弾けますか」


 そんなに簡単に弾けるものではないだろうけれど。

 たぶん今なら、頑張れる。


 どうしてかはよくわからないが、キリはそう思った。



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