そのよん
ラーサティアは、困惑していた。
どうしよう。どうしたら、涙は止まるのだろう。
静かで薄暗い屋敷の中が無性に怖いと感じたのは、少しの間だけだった。
いなくなっていたはずのキリがラーサティアのいるエントランスに駆け込んできたので、恐怖はあっという間に霧散してしまったのだ。
キリは面白いぐらいにおろおろと、ラーサティアをなだめた。薄汚れたカーテンさえ怖がる彼女の恐怖をやわらげようと手を繋いでくれたし、気を紛らわせるかのように絶え間なく話しかけてくれた。
キリは知らないことだけれど、それはラーサティアが世界で二番目に好きな存在である兄がいつもしてくれることと同じだったので、よけいに落ち着いたのかもしれない。面白いくらいに効果が絶大なおかげで、ラーサティアの中で恐怖なんてものはかけらも残らず消え去ったというのに。
どうしてだろう。
涙が止まらない。
+ + + + + + + + + +
キリは、やっぱり困惑していた。
どうしたら、ラーサティアは泣き止んでくれるのだろう。
エントランスに駆け込むとほぼ同時に、ラーサティアが飛びついてきた。緊張に汗ばんで冷えていたキリの身体にふかふかしたやわらかいその身体をぴったりと押し付けて、彼女は大声で泣き喚いた。あまりの大声に理解に苦しんだけれど、どうやら『こわい』だとか『おばけ』だとか、そういう類の言葉を叫んでいたように思える。
(好きで来ておいて怖いも何もあるかよ)
そう言って突き放したい気持ちをぐっと堪えて、彼はとにかくラーサティアをなだめた。怖がる彼女がかわいそうだというのもあったし本当に幽霊がいるならそれらを呼び寄せてしまう気がしたし、それになによりも耳をつんざくような泣き声にいい加減うんざりしていたのだ。
だけど、ラーサティアは泣き止まない。キリが差し伸べた手をぎゅっと握って、しゃくりあげながら彼のななめ後ろをとぼとぼとついて歩いている。
ナイフのせいだろうか。
ふと、ラーサティアの手を握っているのとは逆の手に握り締めている武器の重みを感じる。彼女は、キリが武器を持つことに対して不満を持っているようだった。
しかし、万一のこともあるのだからこれを手放すわけにはいかない。この状況では、いざというときにはラーサティアを守らなければならないのだろうし。
そりゃあ、なんの関わりもないただの女の子だけれど、見殺しにできるほどキリは冷徹にはできていないのだ。
とにかく泣き止んでもらおうと、キリは必死になってラーサティアに話しかけた。彼の中にある他愛もない話を片っ端からかき集めて、少しオヒレハヒレも付けながら面白おかしく喋り続けた。
いい加減のどが渇くほどそれを続けてもラーサティアは笑わないので、とうとう話題もなくなってしまう。
「俺なぁ」
少し躊躇したが、キリは気を引くように彼女の手を引いた。
「コレでも強いからな。安心しろよ。今度剣術大会あるんだけど、クラス代表なんだ」
クラス代表になりたかったわけではないし、あいにくクラスの連中はそれを認めないとか言っているし、あのリックスには本当のところ勝てなかったし。
本当のところあまり自慢に思っているわけではないけれど、それでもキリは胸を張って自慢そうに言ってみた。抑揚のある口調の方が、ラーサティアが興味を持つことはいい加減学習していたのだ。
それでも、ラーサティアは泣き止まない。興味がないのだろうか。まあ、学校でも剣術に興味のある女子は稀だけれど。
(勘弁してくれよー)
こういうとき、自分の嫌われ者な身の上が恨めしい。
人に恨まれ煙たがられる毎日の中では、泣いている女の子を宥める方法だなんて学び取ることができないからだ。せいぜい、泣き喚く同級生の脇をいかに目立たぬように通り抜けるかという裏技をひねり出すくらいの知恵しかキリは持っていない。
剣術大会のクラス代表でも。
建国の勇者の血を引く子孫でも。
結局、なんにも、できやしない。
唇を噛み締める。
体中に力が入って、ナイフとラーサティアの小さな手のひらをぎゅっと握り締めた。小さな嗚咽が、繋いだ手から伝わってくる。耳に届く可愛らしい音が、妙に癪に障る。
八つ当たりしたい気持ちをなんとかおさえて、ふと、気付く。
ななめ後ろから、つんと引力を感じた。
振り返った先には、件の少女。
小さくて騒がしくて、ちょっと鬱陶しいラーサティア。ついさっきまで奇妙なまでに濃い紫色をした瞳は、いまだ涙に濡れている。
だけど、興奮のためなのか擦ったせいなのかその両方なのか、赤くなった頬はもう濡れてはいない。
「おい?」
ふさふさのまつ毛が、キリの呼びかけにわずかな風を起こした。
ぱちぱちとまばたきをしたラーサティア、きょとんと目を丸くしたままキリを見上げて小首を傾げた。
「……きこえる」




