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そのさん

 きらい。


 キリ、きらい。


 ティア、キリのこと、きらいだ。


 ラーサティアには、血は繋がってないけれど紛れもなく兄弟である家族がいる。

 彼――リックスは、王宮付きの騎士になるのだとトレ-ニングに余念がない。だから兄はいつも刃を潰した訓練用にできている剣を振り回していたし、危ないから近付いてはダメだと言われているけれどきちんと手入れされた剣の類もいくつか家にある。だから、同じ年頃の少女たちに比べると、剣というものは少し近い位置にある。


 だけど、それでも、キリは嫌いだ。

 ラーサティアは、しゃくりあげる。さっきからわあわあと大声で泣いていたので、いい加減のどのあたりが痛い。


(ひどい)


 屋敷に入ったキリは、果物の皮を剥くにしてはやけに大きすぎるように思えるナイフを取り出した。構えるようにして持ち、注意深くあたりをうかがっている。

 危ないからしまった方がいいよとラーサティアが親切心で注意をすると、彼は呆れたように言った。


「あのな。いつでも攻撃できるようにしとかないと、幽霊を倒せないだろ」


 なんで幽霊倒すの、切られたらきっと幽霊も痛いよ、訴えてもキリは鼻で笑うだけだ。そんなことしたら友達になれないよ、そう言ったラーサティアの涙まじりの声に耳も貸さない。


(このひときらい)


 だって、リックスは剣を持っているし幽霊屋敷にだって何度も来ているはずだけど幽霊を倒すなんて一度も言い出したことがないのに。

 なんでキリは、いきなり幽霊を倒すなんて言うのだろう。せっかくステキな出会いがあるかもしれないのに、ぶち壊しにするようなことをするのだろう。

 あまりに腹が立ったせいで泣き出したラーサティアを「うるさい」と怒鳴りつけ、キリはどこかへ行ってしまった。それがまた癪に障って、まるで小さな子供のように大声で泣き喚いていたけれど。

 いい加減疲れてきて騒ぐのをようやくやめる。


 屋敷の中は、泣くのをやめたラーサティアにはあまりに静かだった。

 ぼろぼろに擦り切れたカーテンが、風もないのにふわりと舞う。キラキラ光る蜘蛛の巣が、むき出しの腕に絡みつくようで無性に痒い。


 先ほどまでとは違う涙が、濃紫の瞳に盛り上がった。 



***




 今のところ、幽霊らしき気配はない――たぶん。


 たぶん。

 思いながら、キリは眉をひそめる。玄関から入ってすぐのところ、屋敷のエントランスの方向から聞こえてくる雑音が、集中力を散らすのだ。幽霊なんていう得体の知れないものが、いつ、どこから襲ってくるかもわからないというのに。


(あーうるさい)


 ナイフをイライラと振り回す。ぶんと空を切るそれは、いわゆる戦闘用に作られたものだ。しっかりと手入れもしてあるので、切れ味も抜群なはずである。

 学校で習うのは長剣だけれど、さすがにそれはまだ子供である自分が黙って持ち出すには少しばかりかさばりすぎる。長剣を持って一人でウロウロしている少年なんて、遠目にみても怪しいことこの上ない。長剣を習っているとはいえ別に小太刀の類が苦手というわけでもないので、妥協して選んできたものだ。


 ナイフを取り出した自分を見て、ラーサティアは泣き出した。よりによって幽霊の味方をするかのような言い草で散々うるさく言ってきたのでさっさと置いてきたのだが、ああも大泣きされるとたとえ側にいなくても迷惑極まりない。


(側にいればもっと迷惑だっただろうけど)




 屋敷は、二階建てだった。大きすぎず小さすぎず――恐らく中の上か上の下くらいの、普通より少し裕福なくらいの家柄だろう。

 キリの家の、使用人用住居と同じくらいの大きさだ。彼の家は郊外にあるが、家柄は国内屈指の名家なので、あまり気後れせず冷静にそう判断できた。普通の人間なら、恐らく屋敷に入っていくつかある扉の一つを開けた向こうに礼拝堂がある時点で相当の上流家庭だとしりごみしてしまうだろうが、あいにくこういった類の事に関してキリは恐ろしく目が肥えていた。


 ホールに入って一番近くにあった扉の向こうにある礼拝堂を眺めたあと、すぐにラーサティアといさかいを起こしたので彼女が立っていた東の方向にはまだ行っていない。

 彼女とは反対方向にあった西の扉の向こう側はどうやら使用人たちの部屋として使っていたものらしく、質素極まりない上にぼろぼろに擦り切れた家具が置かれていた。

 ワイン色に着色された革をぴんと張ってあるソファ、細やかな彫刻の施されたガラスのテーブル、埃のたまった空のサイドボード、蜘蛛の巣の張ったランプシェード……


(……?)


 部屋を見回すと、なんとなく胸に違和感が残った。それが何かはっきりとわからないまま、キリはクロゼットを開ける。

「うっ……、ゴホ」

 一体、いつから開けていなかったのだろうか。

 クロゼットの扉で起こったわずかな風で、中に降り積もっていた埃が煙のように舞い上がる。あまりのことにあとずさりした彼は、テーブルの足に踵をぶつけてしまいバランスを崩し、ソファに倒れこんだ。


「………………!」


 小さく咳き込みながら、キリは胸に残った違和感がはっきりと形を作り上げていくのを感じ取っていた。


(埃が……?)


 埃のたまり方が、不自然だ。

 クロゼットの中にまで埃がたまっているような部屋の中、どうしてよりによってガラスのテーブルや革張りのソファなど埃が積もりやすそうなものには埃が積もっていないのだろう。足をぶつけたり倒れこんだりしても、さほど埃は舞い上がらない。

(幽霊が掃除?まさか)

 苦笑しながら、身を起こす。それはありえないと思うのだが、やはりソファやテーブルには埃が積もっていない事実が気になる。他の部屋も調べてみる価値がありそうだ――


 考え込んでいたキリは、はっと我に返った。


 まるで教会に常に流れているオルガン音楽のように響いていたラーサティアの泣き声が一瞬止んだのだ。

 泣き声が響いている状態にいい加減慣れてきていたので、それが止まると急にあたりが静かになった気がした。なんとなく心配になってきて様子を見に行こうかと思った頃、再び火のついたような泣き声があたりに響き渡る。しかしその声は、先ほどまでのものとはどこか違っていた。今までのだだをこねてぐずっているようなヒステリックなものではなく、恐怖を孕んだ響きに聞こえる。

 明らかに、先ほどまでの泣き声とは性質が違っていた。


(あー、うぜぇっ!)


 耳を塞ごうとするけれど、刃物を持った手ではあまりに危険すぎる。だけど耳をつんざくような泣き声をずっと聞いているのは、精神衛生上もよろしくない。

 耳を塞ぐことができないなら、もう、泣き止ませるしか道はない。


 キリは舌打ちすると、声の方へ走り出した。


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