そのに
ふくやさんのかどをまがって、ろっけんめ。
となりのおうちのうまごやのうらを、そうっととおりぬけてまっすぐいくと、どてにでるの。
そのどてをずっとずっとうみのほうこうにあるくと、しばらくしたらきいろいかべのおうちがみえるから、そこのすぐそばにあるじゅうじろをかえでのきのあるほうにのぼるんだ。
さかみちになってて、ずっとずっとのぼると。
ゆうれいやしきが、あるの。
***
「ティアはまだちっさいから、行っちゃダメ」
血の繋がりはないけれど、兄として育ったリックスは胸が躍るような冒険の土産話の後には決まってそう言った。
だからいつも、ラーサティアは頬を膨らませていた。
だってそうではないか、リックスとラーサティアは年が同じで、そりゃあラーサティアは学校に通ってはいないけれどそのかわり大魔導士と呼ばれる師匠にすべてを教え込まれているれっきとした魔女なのだから。
ただの子供と一緒にするなんて、絶対に間違っている。
だから、ラーサティアはこっそり今日のこの計画を立てた。
いつも祖父と兄二人分だけのお弁当を今朝は三人前作ったし、洗濯だって早起きして兄が家を出る頃には終わらせていた。
いつも担当している仕事の、すべてを朝のうちに終わらせた。
今日こそ、自分も『冒険』するのだ。
もしかしたら、幽霊と友達にだってなれるかもしれない。
ドキドキワクワクするような、絵本みたいな出来事がラーサティアを待っている。
***
キリは、困惑していた。
目の前では、オレンジ色のスカートからにょっきり生えた2本の足がばたばたと暴れまわっている。
ここは、件の『幽霊屋敷』だ。
彼がはじめにしたことは、門を探すことだった。
鬱蒼とした木々の間に子供一人が通れる隙間は作れそうになかったのだ。
しかしその最中に、おかしなものと遭遇した。それがこの、暴れるオレンジ色のスカート(と足2本)である。
「やーっ、とおれないー」
緊迫感のない少女の声で、鉄柵の隙間から生垣の向こうに身体を突っ込んでいるオレンジ色のスカートと2本の足(の向こうにあるはずの口)は騒いでいる。
キリは呆れを通り越して感心すらしながらその様子を眺めた。視界の隅には、さびてはいるものの見まごうことなき正門がそびえ立っている。何が悲しくてこのオレンジ色(以下略)は正門の横から忍び込もうとしたのだろう。
手を伸ばしてみると、いかにも普段使われていない様子の門は錆びているせいか少しばかり重く感じた。
門扉をこえたそこには、生垣の外以上に濃い土の香りがする。
「わーんぬけないー」
じたばたじたばた。
キリの気持ちを萎えさせるように、オレンジ(以下略)は騒ぎ続けている。
彼はあえてそれを無視してしばらくの間雑草が鬱蒼と生い茂る庭を眺めていたが、やがて乱暴なため息を吐くとオレ(以下略)の顔がある方に足を向けた。
はっきり言って、うるさい。
オレンジ色のスカートと暴れる2本の足は、反対から見るとまだ幼い少女だった。
大きくて澄んだ濃紫色の瞳がいっぱいに見開かれ、キリを見つめている。
「手」
言葉少なに差し出した手を、少女はじっと見つめている。
見つめるだけでその手を握ろうとする気配も見せないことに苛つき、キリは強引に少女の手を握り締めた。小さくて、まるで赤ん坊のそれみたいに柔らかい。
「わうっ」
力いっぱい引っ張ると、少女はおかしな悲鳴をあげる。
彼女の小さな身体は生垣からすっぱりと抜けたけれど、勢い付いてキリを押し倒し、そのまま雑草の上をごろごろと転がった。小さな羽虫たちが、彼女の小さな身体に潰されてはたまらないと煙のように雑草から飛び立つ。
「いってー……」
背中を石ころにぶつけて、息ができない。
キリは手の届く範囲で背中をさすりながら起き上がる。目が回っているのか、世界はまだ少しだけくらくらとしていた。
「ぬー……」
おもちゃのような、ころころした音が聞こえてくる。
幽霊ではない。
人の――女の子の、声だ。
目をやると、キリと同じように視界が回っているのか焦点の合わない目で少女がのびている。
キリはおそるおそる少女の目の前でひらひらと手を振った。
「うー……ぐるぐる……」
軽く頭を振り、少女はぴょこんと立ち上がる。
もつれた髪には、枯葉やら千切れた雑草やらが絡みついていた。頭のてっぺんから爪先まで、キリの全身を不躾に眺めて呟く。
「なぁにが『ゆうれいやしき』よぅ、ゆうれいじゃないじゃない。りっくんのウソツキ」
軽く握った両手を腰にあて、拗ねるように唇を尖らせているその姿は『幽霊屋敷』に恐怖を抱いているとは思えない。
自分から生垣に頭を突っ込んでいるのだから怖がっているだろうとは思っていなかったけれど、こんなに堂々とされているとなんと声をかけたらよいのかわからない。
だいたい、「幽霊じゃない」と文句を言われても困る。この少女は、キリに死ねと言うのだろうか。随分身勝手だと思うのだが、どうだろう。
彼は、困惑して次の言葉を待った。鬱蒼とした雑草を撫でる青臭い風が、二人の間を通り過ぎる。
「あなた、ここのこ?」
どうやら少女は、キリが幽霊ではないということはもうどうでもいいらしい。
にっこりと笑って問いかけてくるけれど、随分と見当違いだ。口ぶりからすると今度はキリがこの幽霊屋敷に住む子供だと勘違いしたらしい。
いったいどこをどうしたらまっとうな人間がこんな荒れ果てた家に住むなどと考えられるのだろう、そう思いながらキリはため息をついた。
***
いきなりとんでもない場所で、何の前触れもなく唐突に、少年と少女が出会った。
まるで何かの物語ではないか。
パターンとして、これから二人は協力して幽霊を倒しちゃったり世界を救っちゃったりするのだろうか。そういえば、キリは一応建国の勇者の末裔なのだし。馬鹿にされからかわれて今までやって来たせいだろうか、心のどこかに『認められるようになって見返してやりたい』という気持ちがないわけでもない。
そうなると、やはりここは、古くからのお約束どおりに自分がここに来た経緯から話すべきなのであろうか。
それって、かなり。
(めんどくせー……)
* * *
薄切りにしたゆで卵と少し焦げたベーコンを挟んだパンは、茂みの中を転がったせいか少し潰れ気味だった。だけど手渡されたそれはぬるいコーヒーで飲み下すのがもったいないくらいに美味しくて、キリの食事ペースはいつもよりだいぶ遅い。
無言でパンを頬張るキリの横で、ティアが作ったのよと少女は自慢げに言った。けれど、こんなに頼りない少女が挟むだけとはいえ一人前に料理ができることが彼にはなんだか信じられなかった。
「しつれいしちゃう。そんなことゆってるとデザートあげないんだから」
プラムを後ろに隠す少女を見て、キリは笑った。
二人は、『幽霊屋敷』のポーチでなぜかお弁当を広げていた。
正午には少し早いけれど、少女が空腹を強く訴えたのだ。
連れでもなんでもないはずなのだから付き合ういわれはないというのに、キリはこうして彼女の側に座っている。半泣きの目にじっと見つめられて断ることができる人間なんてそうそういないではないか。
彼は胸のうちで誰にというわけでもないが言い訳した。
『ティアはね、ティアっていうなまえなの。ラーサティアよ』
自分は別にここに住んでいるわけではないとキリが言うと、髪に枯葉を絡ませたままラーサティアは胸を張って自己紹介した。
『あなたはなんてゆーの』
『キリだよ』
『キリなの』
わかっているのかいないのか、大きく頷いたラーサティアはそれだけ言うと踵を返した。
といっても家に帰ろうとしているわけではないらしく、随分時間をかけて鬱蒼とした前庭を走り回った後に、呆気に取られたキリの元に駆け戻ってきた。そして、唐突に腹が減ったと騒ぎ始めたのだ。
目まぐるしく動き回る少女に、弟妹のいないキリとしては何がなんだかわからない。
ラーサティアの自己紹介から、彼はずっと呆けていた――というか、呆けるしかできなかった。
さっさと自分の目的を果たしたいのは山々だけれど、ラーサティアはひっくり返したおもちゃ箱から飛び出したゼンマイ仕掛けの人形みたいでなんだか目が放せなかったのだ。
「あー、プラムすっぱい」
間の抜けた声に我に返ると、ラーサティアが顔のパーツを真ん中に寄せたような表情で手足をばたつかせていた。
しばらく頬杖をついてそれを眺めていたキリは、見た目も中身も幼児としか感じられないラーサティアに問いかける。
「なー、なんで庭中走り回ってたわけ」
「んー、ここ『ゆうれいやしき』ってゆーからぁ」
指についた果汁を舐めながら、彼女は長い睫毛をしばたかせた。
「ばらんす、みてたの。ほんとうにゆうれいやしきなら、なにかちがったきそくせいをもつのかなぁっておもって」
投げ出した足をぐらぐら揺らし、ラーサティアは唇を尖らせる。
「でもそんなことないんだよねー。かたちだけはきほんにちゅうじつすぎるくらいありきたりだし。まあね、べいしすのりろんをつきとおすとありえないほどあきらかにかっせいかしてるのに、しせいれいのおうごんりつにものすごくちかいじょうたいでばらんすもくずれてないんだよね。そのうえれっかもしてないのがなぁ。てことはまじゅつてきげんしょうではありえないもんなー、こうせいようそがたりなさすぎる」
バランス? 劣化? 一体、何が?
キリは、目を丸くしてラーサティアを見つめる。
どう見ても彼女は、少しばかり発達の遅れた子供にしか見えない。そんな彼女が急に饒舌になり、しかもキリにはさっぱりわからない類の話をしているらしいことが彼を混乱させた。
舌足らずにまくし立てるにしては、話の内容があまりに高度だ。しかし、そんなキリに構わずラーサティアはぷっくりした唇に指を当てて考え込んでいる。
「ここだけみつどがこいの? でも、ばいたいもまほうしきもみあたらないわ。ティアのしらないしすてむがこうちくされてる? ありえないわ、しらなくったってめのまえにあればりかいはできるはずだもの。あるいは、じはつてきにこうりつをあげてる? でもどうして?」
いや、どうしてと聞かれても。
プラムの種をガジガジと噛んでいるラーサティアは、憮然としたキリに気付いてはいないらしい。ぼんやりしたような眼差しで宙を睨んでいる。
ちびで間延びした幼さが先にたつ少女の言うことがまったく理解できないということになんとなくイラついて、キリは落ち着くためにため息をついた。
ぬるいコーヒーが、彼の吐息でかすかに波打つ。
「もういいよ」
「あら、ティアはぜんぜんよくないのよ」
柔らかそうな頬をぱんぱんに膨らませ、ラーサティアはぷりぷりと怒りを表現している。そんな彼女を尻目に、キリは一気にコーヒーを飲み干した。
ラーサティアが自分の味覚に合わせて作ったのだろう、苦いはずの琥珀の液体は、口の中に甘みを存分に残して身体に染み渡っていった。
「俺にはいーの。忙しいんだから。じゃあな」
「やーんティアもいくー」
ちらりと振り返ると、ラーサティアはスカートに散らばったパンくずをぱふぱふと払い落とし、慌てて立ち上がったところだった。
夕焼け色のキリの髪を追いかけるように、小走りに駆け寄ってくる。
その頃にキリはもう彼女を気にしながらも鍵のかかっていない扉を開けて中に入ろうとしていたところだったので、ラーサティアは振り返ることなく慌てて屋敷に入り込んだ。
だから、二人とも気付かない。
ラーサティアの払ったパンくずに気付いた小鳥たちがちょこちょことやってきて仲良くそれをつつきあっていることに、気付かない。
幽霊屋敷にこんな可愛い小鳥がやってくるのかななんて、素朴な疑問を持つチャンスに気付かない。
期待と不安に胸膨らませた二人にとって、この館はまだまだ『幽霊屋敷』だった。




