03 覚悟しな!
蛇口から水を少し流しつつ、リーダーがお玉で抑えつけながらヤカンの熱湯をソイツにぶっかける間、シヴァはずっと目をそらしていた。バスタブにハサミががさがさと当たる音が響く。
「やった……」見ろよ、とリーダーに突かれ、おそるおそる彼は風呂桶の中をみた。
まんべんなく湯通しされたロブスターは、すっかりいい具合に赤くなっている。
“少なくとも……生き物から食べ物には近くなった”
命をひとつ、奪ったばかりのリーダーは沈痛な面持ちをしている。
「あの」シヴァがおずおずと口をはさんだ。
「ワン・モア・プリーズ、サー」
リーダーがきっとなってふり向く。
「何ですと」
「もう一匹、お願いします、オッサン」
「信じらんねえ」リーダーは頭を抱える。
もう一匹は、玄関にまで逃げていた。靴箱の片隅、すでに埃だらけになったやつを先ほどの要領で捕まえ、また、バスタブに。
今度はあまり暴れられずに済んだが、やはり後味の悪いことには変わりなし。
「さて」ようやくすっきりした顔のリーダーが言った。
“これをキッチンに運べ”
「アイ・サー」
まな板にのると、それなりに食べ物に見えた。リーダーが腰に手を当て、彼に命じる。
「いいですか? これからは全部日本語でいきましょう」
「はい、リーダー」
「このロブスターを半分に切ってください」
「なぜ?」
リーダーはむっとして「食べるためです。切ってください」
「どのように?」
「知るか」腰の手をぱたんと落とす。
「直火で焼くのか、フライパンか、鍋で煮るのか、どうやって食べたいかによるけど、とにかくこのままじゃあ大きすぎる」
「ではお願いします」
「はあ?」仕事の時でもこんなに眉間にしわを寄せない。
「オマエが切るんだよ、包丁持ってこい」
シヴァは、しぶしぶベッドの枕元からナイフを取って来た。さしわたし六センチほどのペティ・ナイフ。
「あのですね」リーダーは、ナイフの先から元までをしげしげと眺めている。
「これで切れますか?」
「これで、切れますね」シヴァの答えは自信タップリ。
「これは、包丁ではありません。これは、ナイフです」
「そうです」
「もっと大きな包丁かナイフはありますか」
「ありません」
うわ~っ、とリーダー頭を抱え、講師口調から素に戻る。
“これでいつも料理すんの?”
“sure,” まあ普段は、こんなにデカイものを切ることはない。そりゃそうだ。
“ところで、何で枕元に置くの?”
“だって、急に悪いヤツに襲われたら困るでしょう?”
「悪いヤツをやっつけるのと、料理と一緒かよ」
「だって、」シヴァはナイフを見る。“これ一つしか持ってない”
「まあいいや」日本語と英語がチャンポンになった言い合いが面倒になって、リーダーは彼をロブスターの方に押した。
“押さないでよ”
「ああごめん」真剣に謝ってない。
「とにかく、このエビくんを切ってごらん」
“どうやって切る?”
“コイツを、敵だと思って真剣に切れ”
シヴァはナイフを見ながらあきれたように言う。
“こんな小さなナイフじゃ、切れないよ”
ついにリーダーが爆発。
「オマエこれ一本しかないんだろ? 敵に襲われたらこれで防ぐんだろ? さっきそう言ったじゃん!」
もう貸せ! とシヴァの手からナイフをひったくり、逆手に持ってまな板に向き合った。
「見てろよ」シヴァをひと睨みしてから、ロブスターの背中、固い殻の隙間にぐさ、とナイフを刺し込む。
刃物が小さいわりに、案外手際よく、彼はエビちゃんを解体していった。
「リーダー、うまいねえ」感心するシヴァ。
「どんな場所でも、どんな道具ででも、どんなモノでも食べられる訓練してるからな。それよかキッチン用のハサミないか? シザー」手で切る真似をしたら、
ああそれならある、とシヴァは引き出しからハサミを出して渡す。
かなり苦労して、リーダーはロブスターの上半分を縦に裂いていった。
ようやく、解体ショーが終了。
「で、もう一匹はキミがやってみたまえ」
手とナイフをよく洗ってから、リーダーがシヴァに言った。
「えー」シヴァは両手を上げた。「のー」
「いえーす、ゆー、きゃん」リーダーがナイフを押しつける。「今見てたよな?」
「見ていた、ような見てないような」急にこんな日本語表現が出る。
「やれ!」リーダーは言いながら玄関に向かった。
「外で煙草吸ってくる、吸い終わるまでに解体しとけよ」
ばたん、と乱暴にドアを閉めて、本当に行ってしまった。
こういう時に、日本語で何て言ってやればいいのか? シヴァは残りのロブスターを前にしばし、構文を探す。ええと。
「覚悟しな、エビちゃん」
そして、少し身をひきつつ、最初の一刀を背中にぶっ刺した。




