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もふもふ帝国犬国紀  作者: 鵜 一文字
四章 決戦の章
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第一話 氷の姫の寧日




 コボルトやゴブリン、オークの子供達のはしゃぎ声や多くの荷物が行き交う音が響く村の中を、周囲とは明らかに毛並みの違う背の高い、整った容姿の青年が歩いていた。

 青年が通りすぎると周囲の住民達は視線を向けるが、「ああ」と直ぐに納得し、自らの仕事へと向かっていく。

 彼はこのモフモフ帝国において最も知名度の高い男の一人であった。



「クレリア。そいつらに訓練を施すのは命令違反じゃないのか?」



 彼は不機嫌そうな口調で、子供達の中で混ざっていた怜悧な印象を与えるハイコボルトに声を掛ける。呼びかけられた少女の方はうり坊……オークの子供の頭を撫でていた手を止め、耳をぴくりと動かし、青年の方に顔を向けた。



「私が子供だった時の健全な遊びよ。的は逃亡兵や略奪兵の頭だったけれど」

「それが健全であるのなら、俺は人間という種族の神経を疑う」

「何か用? 暇なの? コーラル」



 コーラルと呼ばれた帝国とは同盟関係にあるエルキー族の青年は顔をしかめる。

 少女の名はクレリア・フォーンベルグ。モフモフ帝国の大元帥として、敗亡一歩手前から現在の拮抗状態まで持ち込んだ功労者であった。

 そんな彼女だが今は命令違反の罰として全ての公職から追放され、北東部と東部を結ぶ交易の街、サーゴで謹慎している。



「うわぁっ! わぁ! お姉ちゃんすごーい! 僕もやりたい!」

「きゃー! きゃー!」



 コーラルなどいないように無視して、クレリアは小さな投げナイフを掴むと、大木に掛けた的に向かって無造作に連続で投げる。

 ナイフは全て中央に刺さり、周りで一緒に練習していた子供達が歓声を上げていた。



「ふふん」



 きらきらとした瞳で見上げられたクレリアが無表情で自慢げに胸を張り、ぱたぱた尻尾を振る。

 理不尽な地位剥奪に怒っているのではと想像していたコーラルは、楽しんでいるその姿に呆れるように溜息を吐いて、用意していた書類を彼女に渡した。



「お前、俺にだけは厳しいよな。まあいい、いつもの情報だ」

「ご苦労様。戦争は近いか」

「昔、勝負が付くまで五年とお前は言っていたが実現しそうだな」



 コーラルは眼を細めて当時のことを思い出す。その時には彼は何を馬鹿なことをと考えていた。だが、現実にフォルクマールは倒れ、五分の戦いにまで持ち込んでいる。



「フォルクマールの強さは私の想像を超えていた」



 しかし、クレリアはコーラルの言葉に、少しだけ表情を暗くして答えた。

 彼女はもっと楽に全土を制圧できると考えていたことに気付き、コーラルは理解出来ないと首を横に振る。彼は今の状況ですら奇跡だと思っていたのに、それ以上をクレリアは考えていたのだ。


 それがクレリアの過剰な自信だと蔑むのは簡単だが、彼女が打ち立てた戦歴、取った戦略や戦術を検討すれば、彼女が詳細な情報を元に作戦を組み立てる慎重な性格であることは明白だった。


 すなわち彼女があの不利な時点で彼我の戦力差を現実のものとして理解しながらも、勝利を確信していたことを示している。

 目の前の子供と戯れているただの少女にしか見えない女性の能力に、コーラルの背筋には冷たい汗が流れていた。



(本来は危険の芽を摘み取るべきなのだろうな)



 事実、エルキー族には消耗後に両者を倒すべしという意見も少数派ではあるものの存在している。だが、コーラルはそう考えてはいない。



「タマのことは残念だった。あいつは俺にとっても肩を並べて戦った戦友だったからな。しかし、今の状況も悪くはないはずだ。帝国はそこに住む臣民達自身の力でオーク族を倒そうとしている。お前のやってきたことの成果だ」



 彼から出るのは労わりの言葉。彼の中には協力してきた帝国への愛着と、小さな肩で重いものを背負ってきたクレリアへの純粋な尊敬と好意だけがある。

 戦禍に無関心に視える彼女も、態度には出さないだけで傷ついていることに気づく程度にはコーラルはクレリアのことをよく見ていた。



「それは私の功績ではない。タマの物だ」

「あいつを鍛えたのはお前だろう」



 否定したクレリアにコーラルは不思議そうに聞き返す。

 しかし、彼女は重ねて否定した。



「私はタマを下らぬ男だと考えていた。生かしておいたのは、オーク族を降伏しやすくするため。そうでなければ、迷わず切って捨てていたはずだ」



 淡々と話すクレリアの瞳に悼みの色はあっても揺らぎはない。



「なのにあいつはあいつ自身の努力で成長したのだ。私の予測を遥かに超えて。弱いあいつは私にへりくだりながらも、内心では私と対等になろうとしていた数少ない男だった」

「そうか」

「私には見る目がなかったな」



 自分の誤りを悔いるようにクレリアは呟く。その姿がコーラルにはどこか彼女らしくない、弱々しい姿に思えて眉を寄せる。



「分かっているとは思うが自棄は起こすなよ?」

「タマは仲間だった。ならば命を託された私はあいつの生きた証を大切にする義務がある」



 言外に無駄死にはしないと彼女は告げていることを理解し、コーラルは安堵の小さく溜息を吐いた。



「ならいい。仕事の話に戻るとするか」



 クレリアはコーラルの顔をちらりとだけ見て言葉は返さず、書類に時間を掛けて目を通す。



「エルキー族の様子は?」

「傍観派が多数だが援軍を出すべきという者も増えている。後は……」

「モフモフ帝国も滅ぼすべし」

「そうだ。少数派だがな。お前はどう考えているんだ?」

「援軍の主張が増えていることが理解出来ない」



 第一次オッターハウンド戦役においてクレリアが単独で戦争することを選んだのは、エルキー族から援軍が来ることが絶対にないこと、そして、単独でもオーク族と渡り合えることを証明し、力を認めさせることでオーク族と手を結ぼうとする危険を防ぎ、現在の関係を維持するためであった。


 エルキー族が敵に回ればモフモフ帝国に勝ち目はない。それ故に平時からコボルト達を送り込んで彼らの元で働かせたり、取引を積極的に行うなど、気を配ってきたのである。


 だが、それでも優秀でプライドが高い故に排他的なエルキー族は、協力まではするまいとクレリアは考えていた。その状況が僅かに変わっている。



「おかしいことではない」

「そう?」



 珍しいクレリアの困惑を見て、コーラルは嬉しそうに微笑んだ。



「誰も便利な生活を捨てたくはないからな」

「……?」

「コボルト族は臆病だが仕える相手には忠実でよく気が付き、細々と一生懸命に働く。エルキー族は頭が固い者が多いが、他者を認めないわけではないからな。そんな奴らが働くコボルトを認めれば、他のエルキー族も気になってくる。今ではエルキー族の間でも、彼等は愛されていると言っていいだろう。特に女性に人気なんだとさ。これは姉が言っていた」



 なるほど、説得力がある。と、クレリアは頷く。エルキー族のことだ。

 コーラルの姉、ターフェみたいな変態がたくさんいてもおかしくないと。



「だが、小動物みたいに臆病な性格のはずのコボルトが、第一次オッターハウンド戦役の時には揃って自分達の主人に戦争に行くことを許して欲しいと泣いたそうだ。コボルトのいる便利な生活に慣れた者達はこれにほとほと困ったらしくてな。エルキー族の予想は大方敗北するというものだったから尚更だ」

「コボルトらしい話ね」



 呆れるように肩を竦めたコーラルにクレリアは微笑む。臆病だが真面目で時には信じられないこともする。クレリアはそんなコボルトが可愛らしい外見だけではなく、気に入っていた。



「ところで、この書類以外のシルキーからの伝言は?」



 クレリアが動けない以上、モフモフ帝国はシルキーを中心に動いている。他の者はともかく、シルキーはクレリアの謹慎など全く意に介しておらず、積極的にクレリアすら利用せんと暗躍していた。


 当然それはクレリアも望むところであり、エルキー族から派遣されており、帝国とは無関係な立ち位置にあるコーラルを活用し、情報のやり取りを行なっている。



「ああ、二つある。一つは『あのオークリーダーは十分な出来栄え』『人間世界の状況は理解した』と。これが最後だそうだ」

「そう……いよいよ戦争ね。コーラルはどうするの? 十分働いてくれたからお茶くらいは出してあげるけれど」

「み、魅力的だが、姉の書簡を頭の固い老人共に届ける仕事があるのだ。急がねばっ」



 何故か顔を真っ赤にして小走りで去っていくコーラルに訝しげな視線をクレリアは向けたが、すぐに思考を得られた情報に移す。



(私の役割はわかり易い。今度は……皆を護りきる)



 クレリアは目を細める。書面ではやり取りをしなかった二つの項目。

 シルキーが部下を通さずに口頭のみで伝えた情報は戦況を大きく動かす要になるものであるはずであった。特に後者はクレリアしか判断できないし、調べることもできないもの。


 人間世界に戻り、情勢を調査する。

 眷属になってからは不自然なほどに思い浮かばなかったことだ。


 家族はまだ健在であるのに。

 クレリアは久々に帰郷した時のことを思い出し、物憂げな溜息を吐いた。


 そして、同時に口元を緩ませる。

 遠い場所に生きる親しい者達に想いを馳せて。





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