逆襲の章 エピローグ
第一次オッターハウンド戦役は確かに勝者のいない戦いであった。
だが、未来への影響は双方で大きく異なっている。
モフモフ帝国皇帝であるシバは、全ての幹部が集まった会議室で次々に運ばれてくる書類を決済しながら、モフモフ帝国全体の戦略構築を代行しているシルキーからの報告を聞き、溜息を吐いた。
戦争が終わってもシバの激務は終わることがない。
それでも彼は弱音を吐くことは出来なかった。
シバは決済の手を一度止め、彼女に答えるために立ち上がる。
少年のような幼さの残る彼の表情には濃い疲労の色が浮かんでいた。
「ハクレンは中央部のゴブリン達の殆どをまとめ上げました。フォルクマールの行動を彼女も見ていましたから、我々に協力的です。中央部へと戻ったゴブリンは僅かかと」
「ハイゴブリンの女の子だね。彼女からの要求は?」
「移住者の住居と食料。後は仕事の保証と彼女自身の従軍です」
「軍としては?」
「”次の戦い”までに間に合うかはわかりません。ですが希望するなら従軍はさせます。それとクレリア様ですが……」
戦争は停止したが終わったわけではない。
つい先日まではラルフエルドの住民達にも戦争のあまりにも大きな被害に厭戦気分が広がっていた。だが、オーク族の捕虜への仕打ちへの怒りと、クレリアのある種の無謀な行動は彼らに覚悟を決めさせるのに十分だったのである。
「治療に当たっているターフェ様によると、しばらくは動けないとのことです」
「そう……」
「”結果的”にはクレリア様は最善の結果を作り出してくれました」
特にクレリアの行動はモフモフ帝国の戦士以外の住民達に衝撃を与えていた。クレリアと接していない者達は彼女を冷徹で住民達の生死すら……全てを割り切った指導者と考えていたのである。
今回のクレリアの行動は、帝国の実戦指揮官達に大きな批判を受けていた。
この場で報告をしているシルキーの言葉にもわずかな刺がある。
クレリアが感情によって帝国を危機に追いやったのは間違いないことであり、それは他でもない彼女自身が戒めてきたことであったのだから。
その批判にクレリアへの悪意を込めた者がいなかったのは、指揮官達自身がクレリアにそうさせざるを得なかった無力さを感じていたのと、戦友達への無法に対して、真っ直ぐな怒りを表してくれたクレリアへの感謝があったからなのかもしれなかった。
人間のはずのクレリアもまた、モフモフ帝国の住民達を仲間と信じて命を賭けて戦っているのだと。
モフモフ帝国の住民達も愚かな行動だったとわかっている。
その愚かさを彼等は信じたのである。
だが、皇帝としてのシバは難しい立場にあった。
辛い。深く重いその感情を彼は抑えなければならない。
シバはシルキーを一瞥した後、会議室で己を注目している者達を見回す。
(大声を上げて泣けたら楽だろうね。本当に)
本心を言えるのならば、彼は素直に悲しみたかった。
多くの仲間達を、そして、自分に対して親身になって応援してくれていたタマを失ったことを。愛するクレリアと一緒に。
「クレリアの独断専行を僕は認めない」
だけど、それは今は叶わないことだった。
彼には多くの種族を纏めていく責任がある。
帝国に大きく貢献してきたクレリア、シバ個人としても大切にしている彼女だからこそ、ここで責任を問わないわけにはいかなかった。
シバは目を閉じて間を置き、タマに直ぐには約束を守れないことを詫びる。
驚く幹部達にシバは頷くと、落ち着いて言葉を続けていく。
「彼女には半年間、ゼゼラで謹慎させる。全ての公務を禁止する」
それはシバ自身もクレリアに会えないことを意味している。
重圧を一緒に抱えてくれていた彼女がいないことは、シバにとっても辛いことであったが、戦争で大切な者を失った者達のことを思えば、彼は耐えることが出来た。
カロリーネはタマの戦死の報告を聞いたとき、「そう」と一言呟いただけで、感情を露わにすることはなかった。クレリアに対する恨みも批判も一言も零さず、全く態度を変えずにこの場にある。
(辛くないはずがないのに)
とシバは思う。クレリアを失うかもしれないと絶望した時間を思えば、その感情はシバには容易に理解できる。魔王候補の求婚すら蹴ったカロリーネにとってのタマが軽い存在であるはずがないのだから。
「大元帥の任も解く。後任はキジハタ。君に二代目の大元帥を任せる」
「はっ。大任お受けいたします。が、一つだけ」
会議室の中央に進み出て、キジハタは膝を付く。
キジハタは中央部でタマを救出しようとしたが、結局は部下の命のために断念し、脱出することを選んだ。
それは誰にとっても、そして、タマ本人も望んでいた判断でもある。
クレリアが動けない以上、この場にいる者達の中で全軍をまとめることが出来るのは彼以外に有り得ない。だからこそ、タマは彼が死ぬことを望まなかった。
「三代目として頂きたい」
これは言外に、二代目に相応しい男が誰であったかを全ての幹部に知らしめている。
彼は指揮官としてはタマが己に勝っていると信じていた。
それに後悔もある。
ぎりぎりまで死地に残っていた彼を批判する者はいなかったが、キジハタ本人だけは戦友を救えなかったことを口にこそださなかったが悔やんでいたのである。
その気持ちをシバは汲み、頷いた。
「うん。わかった。三代目の大元帥として君を任命する。キジハタ」
「はっ」
「半年を過ぎたとしても、オーク族との”最後の戦い”は君で行く。参謀はシルキーとハウンド。軍の戦いは任せるからね。君達が勝敗の全てを決めるんだ」
会議室にざわめきが起き始める。
だが、主要幹部だけはシバの言葉を落ち着いて受け止めていた。
シバの言葉には複数の意味が込められている。
最後の戦争。つまり次の戦争は必ずあるということ。
その戦争で全ての決着をつけるということ。
そして、シバ達は軍以外での戦いを……。
「子供はいつか親元を離れるものですからな」
最大の責任を負ったキジハタは、驚いてどよめく者達を諭すように頷いて微笑み、穏やかな口調でそう答えた。
「そこで盗み聞きしてるやんちゃな君の二代目と同じようにね」
シバはキジハタにそう言ってからかうように笑い、天井を見る。
すると、ガタガタッ! と音を鳴らしながら二つの足音が去っていった。
「ハーディングは随分ハクレンと仲良くなったようだね。良いことだよ」
「全く……叱っておきます」
キジハタは溜息を吐いたが、シバは首を横に振る。
「彼らがモフモフ帝国の次代を担うんだ。そんなあの子達が厳しい戦争の中でも明るいことに、僕は救われているよ」
その言葉はその場に集まる全ての幹部達の心にゆっくりと染み込んでいく。
重い雰囲気に包まれていた会議はこの時初めて、ほっとするような穏やかな空気が流れていた。
軍と軍との戦いだけが戦争ではない。
第一時オッターハウンド戦役の両者への被害は戦士達の被害だけではなく、食料等の生産などにも深刻な影響を与えていた。
それがより顕著なのはオーク族であったが、モフモフ帝国も大きな傷を負っている。
モフモフ帝国の政務官達はこれ以上の被害が出れば、致命的なダメージとなり、他の魔王候補に勝利の果実だけを奪われることになりかねないと懸念していたのである。
当然にそれは他の魔王候補と国境を接しているオーク族にとってはより深刻な問題であり、フォルクマールの死によってその危険は遥かに高まっていた。
両者の思惑は重なっていく。
一撃で決定的な勝敗を決め、最小の被害で戦いを終わらせなければならない。
「オーク族との決着は来年になるでしょう。水面下では既に戦いを始めています」
「モフモフ帝国との決着は来年になります。戦争経験者は我が方が多く、直接対決では優位に立てるでしょう。ですが、だからこそ敵はあらゆる手を打って来ます」
モフモフ帝国とオーク族の参謀たる冷徹な二名の女性は同時期に、自らの主人に対して意見を述べ、次の戦争に於ける前哨戦を始めていた。
豊かな死の森といえど、泥仕合を許す余裕は最早ない。
戦う覚悟を決めた時、シバはここまでの血が流されるとは予想していなかった。
だけど、立ち止まるわけにはいかない。死者への責任が彼にはある。
それでも彼は一人きりになれる僅かな時間に空を見上げて死者を思う。
(君が死んでも時は流れていくんだね。信じられないよ)
どんなに親しいものでも魔王候補より長生き出来る者はいない。
別れが遅いか早いかだけだ。
短命の者。
それを知りながらも彼は必死に生きていて、豪放磊落に笑い、時には熱い思いをもってシバの背中を叩き、命を賭けるに値する友として扱ってくれていた。
同じ時を歩む仲間として。その生き様には眩しい何かがあった。
(いつか僕が倒れたら、全力で生きたと君に誇るからね。ありがとう、兄弟……)
シバは一粒だけ涙を零す。
後の瞳には迷いのない決意の光があった。
────第一次オッターハウンド戦役の経過と終結
帝国歴五年の春に始まった第一次オッターハウンド戦役はモフモフ帝国とオーク族の多くの幹部達の予想に反し、モフモフ帝国の先制攻撃で幕を開けた。
これはモフモフ帝国の要であるオッターハウンド要塞の前面に空間を作ることにより、相手に疲労と消耗、補給の限界を起こさせるためであった。
既にガベソン、ゴブラーを除く全ての集落の住民を東部に避難させていたクレリア大元帥は、オーク族の行動を綿密な諜報によって把握しており、その準備が完全に整う前に迅速に行動。
ハリアー川の対岸にあるガベソン、中央部の南に位置するゴブラーを瞬く間に奪取する一方で陣地化を進め、ハリアー川を利用した防衛線を構築する。
オーク族の先鋒、ツェーザルの軍勢はクレリアによって陣地内に引き込まれ、『剣聖』キジハタの第一軍、ブルーの第二軍、クレリアの第四軍の総攻撃を受けてほぼ全滅した。
この結果を受けてオーク族魔王候補フォルクマールは正面突破を断念。
側面から攻撃するため、オーク族長老、アルトリートを南方から渡河させた。これもクレリアは予測しており、第一軍と第二軍の半分を対応に回して対応している。
一方、南のゴブラーではタマの率いる第三軍がハイオークのベルンハルト、クレメンスの両名を相手取って籠城戦を行なっていた。
倍以上の戦力差をタマはよく粘ったがゴブラーは陥落。皇帝シバは第三軍に随行しており、魔王候補の能力によって最小の被害に抑えてゴブラーから撤退した。
ゴブラーがオーク族の手に落ちたことにより、ハリアー川を利用した防衛線は崩壊。
モフモフ帝国は”ハリアー川撤退戦”を開始する。
野戦を得意とするオーク族を相手にモフモフ帝国は大きな被害を出した。
だが、事前に罠を張る、簡易な陣地の作成、補給地点を作るなど、撤退戦の準備は整えていたため、数に劣りながらも完全には潰走することなく撤退に成功している。
ガベソンに残るクレリアも予想外の場所から襲撃を掛けてきたハイオーク、ルーベンスの襲撃を耐え切り、軍をまとめると包囲される前に撤退を果たした。
この時、北部のハイオーク、グレーティアが援軍として退路を断つべく強襲を仕掛けたが、先に負傷者と共にオッターハウンド要塞に帰還していた皇帝シバの機転により防衛に成功している。
周到に準備されたモフモフ帝国の遅滞戦術にオーク族は心身両面において大きな被害を受けていたが、それでも尚、三倍に近い戦士達を抱えており、戦意も旺盛であった。
魔王候補フォルクマールはモフモフ帝国軍が立てこもったオッターハウンド要塞を半包囲すると、攻略の指示を飛ばす。
オッターハウンド要塞攻防戦は第一次オッターハウンド戦役において、結果的にハリアー川撤退戦が霞むほどの激戦となった。
それには三つの理由が存在している。
オッターハウンド要塞がモフモフ帝国首都の急所の位置に存在していること。
指導者たる両魔王候補が不退転の意志を貫こうとしたこと。
魔王候補フォルクマールが『命令』を使用したこと。
オッターハウンド要塞攻防戦は終始モフモフ帝国に優位に推移していたが、フォルクマールが『命令』を使用した事で、元より限界に近かったモフモフ帝国の防衛線は崩壊し、多数の死傷者を出しながら、要塞を離脱せざるを得なかった。
モフモフ帝国はオッターハウンド要塞を失陥し、生き延びた者達はハウンド、グレー、シルキーの指揮の下、ラルフエルドへと撤退した。
オーク族の勝利である。だが、このフォルクマールの行為が第一次オッターハウンド戦役の最後を飾る悲劇を産み出す結果となってしまう。
モフモフ帝国の捕虜を前面に出したうえで決死の命令を出したフォルクマールのやり方に、モフモフ帝国大元帥、クレリア・フォーンベルグはこの場でのフォルクマール討伐を決意。
皇帝シバと大元帥の役目を第三軍司令官、タマに託し、オッターハウンド要塞から打って出る。しかし、タマはクレリアからの『命令』に抗うことに成功した。
『命令』には決して逆らうことはできない。にも拘らず、タマは抗いきっていた。
どうしてタマが耐えきることが出来たのかは不明。
他に『命令』に耐えた事例が存在していないからである。
その後、タマはハイオーク、カロリーネにシバを預けると自らはゴブリン長槍隊を率いて、クレリアの救出へと向かうことになる。
一方、クレリアはフォルクマールと一対一で対峙。
クレリアの強襲を読んでいたフォルクマールは罠も仕掛けず、眷属であるクレリアとの一騎打ちに正々堂々と応じ、右腕と引き換えにクレリアを打ち破った。
しかし、彼がモフモフ帝国への勝利を確信したのは僅かな間だった。
クレリアに追いついたタマをも排除しようとフォルクマールが動いたその時、同じオーク族である元オーク族東部司令官、コンラートに背後から切り捨てられたのである。
ゴブリン族を配下に置き、死の森を瞬く間に制覇した男の生は裏切りによって幕を閉じ、彼を討ったコンラートが変わって魔王候補となった。
コンラートは魔王候補となるや、腹心であるコボルトリーダー、バセットを眷属とし、クレリアを連れて逃げたタマの追撃を指示。
第三軍司令官タマは追手を排除しつつ、封鎖された東部ではなく北部を目指す。
そして、ハリアー川で部下にクレリアを託すと、自身は追撃を防ぐ殿として留まった。
追撃するオーク族幹部全ての武芸の師であるベルンハルトを相手に徹底的に交戦し、タマはベルンハルトと相打ちになる形で命を落とした。
僅かな戦力でオーク族側に100名近い死傷者を与えたこの戦いは、後に『槍兵達の死闘』と呼ばれることになる。
この奮闘でクレリアは命を繋ぐことができた。
だが、代償は計り知れない重さを伴ったのである。
魔王候補は命を落とし、眷属は倒れる。
多くの勇者が命を落とし、それでも尚、戦争は終わらない。
勝利者のいない戦争と呼ばれる所以である。
『モフモフ帝国建国紀 ──逆襲の章── 二代目帝国書記長 ボーダー著』