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もふもふ帝国犬国紀  作者: 鵜 一文字
三章 逆襲の章
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第三十一話 槍兵達の死闘 前編




 徐々に近付く遠吠えは狙われている獲物となった者達に強烈な緊迫感を与える。


 タマと共に駆けている17名のゴブリン達にとって、殆どの戦いで味方であったコボルト族を、軍として本気で敵に回した経験を持つのは死の森東部、パイルパーチでコンラートの部下として帝国と直接戦ったカダヤシ他数名だけであった。


 温厚で気の優しく単体では虚弱なコボルト達は、こと集団戦においては恐ろしい程の統率力を発揮する。

 加えてその指揮者が優秀であるならば尚更である。


 バセットのことはコンラートの部下の時には裏切り者としてタマ達も蔑んでいたが、自身を追い詰めている手際は彼らも認めざるを得なかった。



「旦那っ! 横っ!」

「シャァァァァァッ! 死ねぇぇっ!」

「おっと、すまねえ! ちっ……次から次へと!」



 部下の槍兵の声でタマは鋼鉄の槍を振り回し、かろうじて敵ゴブリンの低い姿勢からの斬撃を弾き、次の瞬間には他の戦士がそのゴブリンのわき腹を槍で突き、倒している。

 時間が経つに連れ、包囲網が狭まっているのかタマ達の退路にはオーク族の戦士達が無数に行く手を阻むようになっていた。



「唯一の救いは一気には来ないことだねぇ。旦那」

「無理矢理要塞落としてへばってんだろ」



 だが、未だ脱落者は出ていない。

 ただし、オッターハウンド要塞は落ちており、中央部から東部への脱出はほぼ不可能。そのことは全員が理解しており、焦りを招く結果となっている。



「安心しろ。これくらいの窮地は予想してある」

「おおーさすが旦那だねぇ。気休めでも嬉しいですぜ」



 そんな連続する先の見えない戦いの中でも彼等を率いているタマは全く慌てず、腹の座った落ち着いた声で仲間を落ち着かせている。



「馬鹿。今回は本当だ。ま、準備していたのは心配症の我らが副官だがな。無駄な労力をと思って俺も困っていたんだが、そうでもなかった」

「ははっ! なるほど。ハウンドの小僧っ子は細かそうだからなぁ」



 当然、タマも今の状況を予測できていたわけではない。

 ただ、逃げる経路に当てがあるのは事実である。


 タマは副官であるハウンドが準備した死の森中央部の詳細な地図を戦争が起こる前に検討し、実際に歩いて確認している。緻密な作業はタマの苦手とするところであり、コボルトにしては神経質で気難しいこの副官の特技を彼は高く評価していた。


 確かに東部への道はバセットの命令で確実に封鎖されており、通ることは出来ない。しかし、タマが考えているもう一つの道は、恐ろしく危険で、博打的なものではあるものの、完全な封鎖はされていない可能性が高かった。



(問題はあのコンラートの妹がどう動くかだな……しかし、分が悪い賭けだぜ)



 内心でタマは悪態を吐く。事前の情報ではコンラートの妹であるグレーティアは北部で待機しているとのことであった。


 彼女の『勘』の恐ろしさをタマは良く知っている。ハイオークであるが小柄でどちらかと言えば非力な方なグレーティアは同族の男から襲われることも多く、その能力はそれを凌ぐ為に身につけたものであろうと彼女と仲のいいカロリーネは彼に教えていた。


 タマの計画は中央部からハリアー川を渡り、北部を川沿いに撤退。ゲリラ戦を繰り広げている北東部の司令官、ケットシー族のクーンと合流するというものである。

 その渡河地点も通常、軍が渡るのに必要な広さのある場所は使わず、点在する岩の上を飛んだり、胸程の深さの場所を泳いだりしなくてはいけないような狭い渡河地点を使用することを考えていた。


 ハウンドは戦争前に使用するはずもない渡過地点まで、綿密に全て調べ上げている。当時は苦笑いしていたタマだったが、今はそれがありがたかった。


 だが、タマ達の包囲は刻一刻と狭まっている。

 ハリアー川まで後僅かというところまで辿りついた時、警戒のためにタマに先行して走っていたゴブリンの首が飛んだ。


 初めての脱落者を出した両手剣を構えた死神の姿と、纏まった敵の戦力を確認した瞬間、足を緩めた部下達にタマは指示を飛ばす。



「ちぃっ! 運が悪い。そいつの相手はするなっ! 足を止めずに駆け抜けろ!」

「へ、へいっ!」



 そしてそのまま自らは先頭に立ち、両手剣を構える男に槍を全力で打ち付けた。



「おかしな命令に従ってみれば……お前か。ルートヴィッヒ」

「先生。あんたの相手はまた今度な! 俺は忙しいんだ」



 明らかに失望を滲ませた落ち着いた声色。長身の秀麗な顔立ちのハイオーク、ベルンハルトは易々とタマの槍を軽々と受け流すと、そのまま勢いのまま森の木々に紛れて走り去っていくタマの背中の方に視線を向け、右腕を掲げた。



「……見逃すわけにも行くまい。追撃だ」



 淡々と部下に命令を下すとベルンハルトは多少の躊躇を見せつつ、数十名の部下達と共にタマを追い掛けていく。当然にタマを恐れているわけではない。

 彼もまた、個人的な目的のためにこの場に留まっていたのである。


 しかし、オーク族の重鎮である彼は、立場上部下の手前で『魔王候補』からの指示に従わないわけにはいかなかった。



「死にたくなければ突出するな。この先の川で囲めばいい」



 一瞬の交差で三名の部下を失ったベルンハルトは、相手の力量が自らの部下に勝っていることに気付き、相手との距離を測り、川に追い込むように部下を動かしていく。


 それはタマにとっては最大の幸運であった。

 乱戦になればベルンハルトに比べれば腕に劣るタマは、数の差もあって対処は出来なかったであろう。そうなればクレリアの命運も尽きる。


 万事慎重なベルンハルトは最善の手を打ったかもしれない。


 追撃者が同じハイオークでも部下の被害などまるで気にしないクレメンスであったなら、良くも悪くも結果は違ったであろう。

 後に多くの歴史学者が、この時のベルンハルトの決断が第一次オッターハウンド攻防戦における運命の分かれ目となったと判断することになる。



 森が途切れ、追われているタマの目の前にハリアー川が広がる。

 逃げている間に道を誤っているかもしれないという恐怖は何度も彼の頭を過ぎっていた。


 だが、タマは追い込まれているにも関わらず、一点の曇りもない明るい笑みを浮かべている。なぜなら辿り着いた場所。その場所は彼が目指した場所であったからだ。



「前方にハリアー川。後方に先生……いや、ベルンハルト」

「大げさにもどんどん数が増えてますぜ。壮観だねぇ。旦那」

「追い詰められたって思うわな。普通は」



 自らの数倍以上の敵を前にしてタマ達は不敵に笑みを交わし合い、川に背を向ける。

 そして、クレリアを抱えていたゴブリンも唯一剣を構えているカダヤシに彼女を渡し、背中に背負っていた槍を戦友達と共に構えた。



「悪いな。カダヤシ。ここは俺達ゴブリン槍兵隊の戦場なんだ。部外者はとっととラルフエルドに帰って来れねえか?」

「おう、そりゃいいっ! うけけっ。こういうときは一番若い奴が貧乏くじだな!」

「違いねえっ! 手柄は全て俺達のもんだ。年寄りなめんな」



 昔からタマに従ってきた槍兵達が揃って泥臭い笑い声を上げる。

 彼等は自分達の上官の覚悟を悟っていた。そして、彼等自身もまた。


 タマだけは彼らの言い分に苦笑したが、肯定するように大きく頷く。



「カダヤシ。お前は『不死身』なんだってな。丁度良い。姐さんを任せるぜ」

「おいおい、ここまで来てそれはないだろ! 俺も残るぞ!」

「誰かがやらないといけないことだ。こいつらより若いから体力もある。腕も良い。お前が適任だ。時間が惜しい。急げっ!」



 叱咤されたカダヤシは、暫し躊躇していた。だが、彼も頷かざるを得なかった。

 カダヤシの身体が僅かに震える。


 振り切るように残ろうとしている戦士達に背中を向けると、彼は歯を食いしばった。



「先に待っているぞ」

「こいつら全滅させたら追いつくからよぉ~」

「ちぃっとばかり時間は掛かりそうだがな。大げさなもんだぜ。女一匹によぉ。けけっ」



 震えそうになる声を低く抑えることでカダヤシは普段に近い声を搾り出す。その返答もまた、普段通りの楽観的なものであった。



「待っていろ……頼むぞ。カダヤシ」



 タマの言葉にカダヤシはクレリアを抱え、何も答えずに点在する岩を頼りに川を渡っていく。



(後は運任せだな。これが俺の限界だ。すまねえな……シバ様)



 森から部下達を掻き分けて姿を現した長身のハイオーク、ベルンハルトを真っ直ぐに見つめながらタマはクレリアに運が残されていることを祈っていた。


 同時にその程度しか出来ない自分にタマは苦笑する。


 タマにとっては有難いことに戦いはすぐには始まらなかった。



「ルートヴィッヒ。ここまでだ。降伏しろ」

「さあて、どうすっかねぇ……」



 淡々とベルンハルトはタマに勧告する。

 考えるような素振りを見せて時間を稼ぎつつも、タマは内心で訝しんでいた。


 答えは既に決まっている。ベルンハルトもわかっているだろうとタマは思う。それでも急いで追いかけないのは、彼自身にさほど追い掛ける気がない……やる気がないということだ。


 タマはそう判断し、だらだらと誤魔化すことをやめた。



「悠長だな。ベルンハルト」

「あの様子だとコボルトの眷属はフォルクマールに敗北したのだろう。負け犬に価値はない」

「……? ああ、そういうことか。あんたらしいな」



 ベルンハルトはオーク族の幹部達を鍛えていた頃も強者にしか興味がなかったな、とタマは思い出す。彼は全ての者に武芸を教えつつも、才能に溢れたハイオーク以外は実質は切り捨てていたのである。


 それでもタマは目の前の男に対して、かつてはその圧倒的な実力に畏敬の念を持っていた。それは彼だけではなく、ベルンハルトに教えを受けた全てのオーク達に共通の思いであったかもしれない。



(しかし、それも昔のことだな)



 ベルンハルトから受ける圧迫感は昔と変わるところはない。

 だが、タマは今、かつての師を対等の敵手として見つめている。



「伝令は飛ばしてある。川を渡ってもグレーティアからは逃れられん」

「……かもしれねえな。だが、こうするしか手はない」

「私には何故お前がそこまでするのか理解しかねるな」



 剣を構え、包囲を狭めながらベルンハルトは不思議そうに首を傾げていた。



「私はお前に興味は無いが、優秀であることは認めている。あの眷属が敗北した以上はオーク族の勝利は揺るぎないはずだ。命を賭けて助けたとしても、傷が癒える前に魔王候補が死ねば、眷属も死ぬ運命にある。それくらいは理解しているだろう」

「ま、俺はあんたとは勝ち負けの判断の基準が違うからな」

「ほう?」



 気負い無く言葉をタマは返す。



「生きていれば逆転の目なんていくらでもあるんだよ。だが、死んだフォルクマールにはその可能性はないわけだ」

「フォルクマールが……死んだ?」



 それまで事務的な調子で淡々とした様子であったベルンハルトがタマの言葉に訝しげに眉を潜めた。当然だろうとタマは思う。

 ここで話すことはタマにとっても賭けだった。


 未来への影響は彼には予測できないから。



「フォルクマールはコンラートに殺された! 姐さんを倒した後にな」



 不敵に笑みを浮かべ、タマはその場の全員に聞こえるように大声を上げる。

 ベルンハルト自身は動揺してはいない。しかし、部下達は違う。


 困惑したようなどよめきが、タマ達を囲む者達に広がっていく。



「オーク族は混乱するだろう。その間に帝国は必ず蘇る。最後に勝つのは……俺達だ」



 そして、力強く言い切る。それはタマの持つ確信だった。

 自信に満ちたその言葉にどよめきは止まり、全ての者がタマを注視する。


 そんな中、ベルンハルトは常に無表情な秀麗な顔に微笑みを浮かべていた。



「成長したな」



 微かに嬉しそうな響きの篭った言葉。それも一瞬の事。



「どのような状況であろうと、お前を生かして逃すわけにはいかない」



 味方も周囲から離れるほどの殺気を放ちつつ、ベルンハルトはタマとの距離を詰めていく。彼は他の者は気にも留めてはいない。




「『タマ』。お前は危険……あの女以上に……オーク族にとっては最大の脅威だ。我が一族の勝利のために、私はお前を倒し、クレリア・フォーンベルグを捕捉する」



 かつては腕の差から触れることすら叶わなかった師と、圧倒的に不利な条件で対峙してもタマはまるで怯まなかった。落ち着いて彼は槍をベルンハルトへと向ける。



「心配せずとも俺程度は帝国には無数にいるさ」



 対等の敵と見たことはベルンハルトにとっては最大の敬意であっただろう。それを理解しながらも、タマはあくまで友人に声を掛けるように気さく笑い飛ばした。



「だからと言って、むざむざ殺される気もねえがな。勝負だ。ベルンハルト! 俺が生きている限り、この川は一歩も渡らせねえっ!」



 第一次オッターハウンド攻防戦終了後の混乱の中で、数奇な運命を経てモフモフ帝国の将となった男と、ハイオークの中でも最強を謳われる全てのオーク族幹部の武芸の師であるオーク族の重鎮は武器を交わす。


 16対100余名。

 主戦場以外で唯一名を残すことになる、凄惨な遭遇戦が始まる。




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