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もふもふ帝国犬国紀  作者: 鵜 一文字
三章 逆襲の章
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第二十九話 勝利と敗北。そして……




 決闘の場に部下を率いたコンラートが最も早く到着したのは偶然では無い。

 キジハタとの戦いに決め手を欠いていたコンラートが、消耗した戦力を整理するために一度後方に下がっていたからである。


 オーク族の中で最も帝国との戦闘経験が豊富であるコンラートは要塞での異変を察し、参謀のコボルトリーダー、バセットの進言を受け入れて、本隊と合流するべく手持ちの軍を進めていた。



「キジハタの戦力は削がれており、戦局を左右することは出来ません。ここは手探りで戦うよりはフォルクマール様から情報を得ることが第一です」

「できれば全滅させたかったが、あいつらは最精鋭だったようだからな。部下の質の差を考えれば上出来か。訓練としては申し分ない」

「はい。成果は出ています」

「さて、フォルクマールと合流し、今後の方針を決めるとするか」



 無精髭を生やした精悍なハイオークは、知性が先立った冷たい瞳の女性のコボルトの頭に手を載せる。非難するようなバセットの視線を気にすることもなく、コンラートは本陣の方を向いて、楽しげな笑みを浮かべていた。


 コンラートの子飼いの部下は、今はモフモフ帝国の支配下にある東部から付き従った者が中核を担っている。彼は部下達に徹底した集団戦闘を教え込み、キジハタを相手に実践での効果を試していた。

 無理に一騎打ちで勝負を決めず、退いた理由はそこにある。


 目的を完遂していないにも拘らず、彼は余裕を崩していない。

 怠慢とも取られかねない行動だったが、コンラートは気にしてはいなかった。彼自身の目的は果たしていたからである。


 コンラートは『戦争』でクレリアに勝利するべく、この数年、自身の妹が統治する北部を利用し、準備を続けていたのである。彼が以前は軽蔑していたフォルクマールに惜しみなく協力したのも同じ理由だった。



「この戦争で量の差は縮まりますが、質の差は無くなります。いえ、上回るでしょう」

「要塞は取れないだろうが、次の戦いでは野戦に引き釣り込めば勝てるな」

「策は考えねばなりませんが」

「それはバセット、お前の役目だ。期待しているぞ」



 コンラートもバセットも、この戦争では勝ちきれないと割り切っている。帝国の主要指揮官である『剣聖』キジハタ、タマ、ブルー、カロリーネ、『隠密』ヨーク、シルキーを戦争の前半で討てなかったことで、後は『落としどころ』を探るだけだと考えていた。



(しかし、フォルクマールは要塞に執着している)



 そう思いながらもコンラートは厳しい表情で眼を細めている


 確かにオッターハウンド要塞を落とせば、次の戦いにおいても格段の優位を確保できる。

 だが、リスクが高すぎるのだ。


 モフモフ帝国は防衛に長けている。

 その要塞の堅固さはコンラートはオーク族の中で最も理解していたし、フォルクマールにも数字を使って説明をしていた。このような理屈はフォルクマールの理解の方がコンラートに勝っており、その困難は熟知しているはずなのである。


 ハリアー川以東はモフモフ帝国によってその集落の全てが強制移住されており、抑える価値もゴブリン族の感情を除けばそれほどにあるわけではない。次の戦争を考えるのならば、戦力を温存した上で要衝であるハリアー川対岸、ガベソンを確保しておけばいい。


 後は軍を再編し、今度は比較的に防備の薄い北東部を狙うも良し、準備期間の間に迂回路を作るも良し、戦力比を考えればまだオーク族に主導権があるはずだった。


 フォルクマールも当初は要塞を攻撃せず、いや、ガベソンを抑えた後は追撃すらせず、戦争を終わらせることを考えていたのではないかとも思う。臆病者の謗りを受けようとも。



(俺の想像以上にあの女に入れ込んでいるというわけか)



 精悍な顔に不快の色が映る。

 コンラートは己が考えていた以上にフォルクマールが有能であることを認めていた。そして、彼の想いも直接聞いている。だが、それでも納得できない何かが心の底で蠢いていた。


 彼自身、それが何かを理解できず、それがまた更に不快な気分を増幅させている。

 名状しがたいその不快さはフォルクマールとクレリアの戦いを目のあたりにした時に、はっきりとした形でコンラートは感じていた。



「やはりコンラートが一番か。お前達は手を出すな! 俺の戦いだ!」



 フォルクマールが余裕のない声で叫ぶ。

 心配そうにバセットが自分を見ていたが、コンラートは手を出す気は毛頭無かった。



「戦争ではなく私闘ということか。くだらないな」



 コンラートは繰り広げられている死闘を無表情で見つめ、ぽつりと呟く。

 小首を傾げるバセットの頭に無意識に手を置き、彼は続ける。



「借り物の力同士の戦いとは。ここまで温存した以上無制限ではなさそうだが」

「想像以上の隔絶した力です。恐らく……最終的には……部下を増やした魔王候補同士の戦いに集約されるということでしょう。ですがそこに至るまでの戦いはそうではありません。決して我らが無意味というわけでは」

「む……ああ、お前は正しい。だが、結局のところ、やはり俺はあの敗北から戦えてすらいないのだ。どれだけ力を尽くそうが勝負を決めるのはフォルクマール」



 小さく声を上げてコンラートは笑う。数年従っているバセットも見たことの無い、力を失った笑みだった。彼女はそれを見ない振りをして、続く戦いを見つめている。

 彼女にとっては都合のいいことに、戦いは終局を迎えていた。



「決着が付きます」



 こんな戦いは早く終わって欲しい。

 張り裂けそうな心を押さえつけながら、彼女は自らの主に声を掛けていた。



 

 剣を構えながら、クレリアは精神を落ち着かせる。

 純粋な力は相手が圧倒しているが勝機はあった。


 フォルクマールの剣は自衛の為の剣である。

 彼の剣は守備に特化しており、攻撃は恐るに足りない。


 カロリーネは彼の剣を『欠片の面白みもない剣』と評価していた。

 それは奇をてらわず、相手の隙が見つかるまでひたすら待つ守りの剣だから。



(短気なハイオークからはさぞ嫌われたことだろう)



 あるいは人間に生まれていれば、コボルトに生まれていれば。

 その資質は認められていたかもしれない。



(今、フォルクマールは不得手な攻めに回ろうとしている)



 クレリアは攻守のバランスの取れた剣士であり、技量の劣る、しかも、戦いの中で剣技を殆ど見切ったフォルクマールには負ける気がしなかった。

 だが、だからこそ油断ならないと気を引き締める。



「っ!」



 時間の流れが遅くなる感覚。


 フォルクマールが地を蹴り、空気を引き裂きながらクレリアの顔を目掛けて左の剣を突き出す。

 クレリアは外側に動くと最小の動きで受け流し、剣を振る間合いを作るために僅かに後方に飛びながら剣を切り上げる。

 ロスの多い切り上げをフォルクマールは腕を引いて回避し、右の剣を振り下ろす。


 それはクレリアの想定通りだった。


 既にそこにクレリアの姿はなく、体勢が崩れたフォルクマールに全ての力を込めて剣を振り下ろす。かろうじてフォルクマールは二本の剣を交差させて防いだが、大きくよろめいた。



(もらったっ!)



 勝利を確信し、クレリアの脳裏から警戒が消えていたのかもしれない。

 彼女の剣はフォルクマールの身体を庇った右腕を切り落としていた。


 だが、首を落とそうと横に薙ごうとした瞬間。



「え……」



 見えない衝撃を彼女は受けた。


 フォルクマールが散々オッターハウンド要塞を破壊していた魔力を叩きつける技、『咆哮』。その威力は要塞に用いたものに比べれば極めて弱いものであったが、隙を作るだけであれば十分な威力でもあった。



「油断したな! クレリア・フォーンベルグ!」



 クレリアの剣がフォルクマールの首から僅かに逸れる。

 信じられない思いでフォルクマールの苦痛に顔を歪めながらも浮かべている勝ち誇った笑みを見つめ、



「俺の勝ちだっ!」



 残った左拳がクレリアの下腹部にめり込んでいた。



 誰もが現実味のないその光景に言葉を忘れていた。


 木々が根こそぎ薙ぎ倒された荒地。

 そこで戦いを見守っていた者達は、差し込む陽の光を浴びながら立ち尽くしている。


 フォルクマールは脂汗を掻き、大きく肩で息をしているが、その表情は苦しそうでありながら、歓喜に満ちていた。

 掴んだ勝利は大きい。失った右腕などには興味も無かった。



「は……ははっ……はははははっ……ははははははははははっ!!!!」



 狂ったように笑う。己でも信じられぬように。

 クレリアは意識を失って横たわり、起きる気配はない。


 奥の手、『咆哮』は賭けであった。

 クレリアをおびき寄せる為には魔王候補の力を使い切らなくてはならない。


 使い切っていなければ誘いには乗らない。強大な魔力は警戒を呼んでしまう。


 魔力をほぼ使い切った上で一撃分の魔力を残す。

 魔力が少なすぎれば己が死に、多過ぎればクレリアが死ぬ。


 さらにこれが回避された場合も負け。

 ここまで上手くいく可能性は五分もなかったろうことは、彼自身が一番良く理解していた。



「俺は勝った! 勝ったんだ! この恐るべき女にっ! はははははっ!」



 遠くに倒れるクレリアに近付きながら、フォルクマールは狂笑し続ける。



「俺は全てを手に入れた! 死の森も! この才能に溢れた女もっ!」



 普段は強固な理性で押え付けている感情を、少しの制御もすることなく爆発させ、フォルクマールは歓喜の声を上げていた。


 だが、それも僅かな時間だった。

 彼は大きく息を吸うと、気絶しているクレリアを愛おしそうに優しげな視線を向けて呟く。



「俺のモノだ」



 フォルクマールは戦争でのクレリアしか知らない。

 気に入らない相手に力尽くで奪われるくらいであれば、死を選ぶような者であることもわかっていなかった。無邪気に己のモノになるのだと信じきっていたのである。


 そして、眷属を眷属に出来るのか。それも彼は知らなかった。

 

 何も考えていない。だが、そんなことは関係はない。

 やらないという選択肢は元よりないのだから。


 手の届く範囲まで近付こうとして、フォルクマール足を止める。

 そして、煩わしそうに眉間に皺を寄せた。


 クレリアの傍には既に鋼の槍を抱えたオークリーダーとゴブリンの集団が全速力で走り込んで護りに付き、彼に向けて武器を構えていたのである。



「やれやれ、追いついたか。馬鹿みたいに轟音を立ててやがるから助かったぜ。悪いがお前なんかにゃやれねえな。姐さんは。そいつにゃ先約がいるんだ」

「ルートヴィッヒ……いや、タマか。一歩遅かったな」

「生きてるんなら遅くねえよ。今のお前ならなんとかなるかもしれねえしな」

「身の程知らずだな。力は使い尽くしたが、お前に負けるほど俺は弱くない」



 ニィッと不敵に笑みを浮かべて、タマはフォルクマールに向けて右手の親指を下に向けた。それはクレリアから教わった人間流の挑発だったが、当たり前のようにフォルクマールには通じていない。



(ま、流石に勝てないだろうな。コンラートまでいやがる。逃げる隙を作らねえと……)



 腹の中では冷汗を掻きながらも、タマは油断なくじわりと後退していく。

 しかし、片腕を失い、大量の血を流しているフォルクマールは余裕の笑みを浮かべていた。彼は普段と同じ、落ち着いた口調でタマに問い掛ける。



「タマ。その女は俺に負けたのだ。愚かにも罠に掛かって。勝負は付き、後の戦いは全て無意味でしかない。何故命を懸けてまでこいつを助ける? オーク族のお前が」

「はんっ! 姐さんが完璧には程遠い女だなんて俺にゃ元からわかってんだよ。本当にどうしようもない、欠点だらけの困った女ってくらいは!」



 ピクリと眉を動かしたフォルクマールを気にもせず、タマは必死に、だが明るい声で叫んでいた。



「失敗もするさ。意外と甘いところだってある。非情の策で殺された仲間の為に怒り狂うとか、姐さん自身も馬鹿だと思っているには違いねえんだ。だがなぁっ!」



 タマは重傷のはずのフォルクマールが持つ絶対的な力に圧倒され、膝が震えている。

 だが、それでも大声を絞り出し、相手には負けじと強がって力を込めて睨みつけていた。



「だからこそ俺達は姐さんが気に入ってんだよ! 命を掛けてオーク族の俺を助けてくれたこともある、おかしな俺の親友に相応しい情に厚い女なんだ。あいつが孤独な魔王なんて下らない存在にならないためにも姐さんは必要なんだよ」

「ほう」

「親友の幸せの為に命を掛ける。どうだっ! これでもオーク族らしくねえか?」

「なるほど。確かに口ばかり威勢のいい俺の部下共よりはオーク族らしい。惜しいな」



 そう言ってタマは精一杯の強がりの笑みを浮かべる。

 フォルクマールはそんな彼に苦笑して頷き、タマを縊り殺すために歩を進める。他のゴブリンなどは彼にとっては居ないのと同じであった。



「待て。フォルクマール」



 そんな彼を引き止めたのは見物を決め込んでいたコンラートである。フォルクマールは振り向きもせず、ただ足を止めた。



「そいつは俺がやる。お前は十分楽しんだだろう。治療も必要だ。少し休め」

「コンラート……わかった。任せる」



 コンラートがフォルクマールの肩を叩いて前に出て、愛用の巨大な剣を構える。

 かつての上司はどんな表情も浮かべず、まるで作業のようにタマに武器を向けていた。


 それがタマに強烈な違和感を感じさせる。

 彼の知るコンラートは戦いを楽しむ男だった。相手が見知った自分であっても、全力で抗うのであれば、嗜虐心に満ちた笑みを浮かべるはずである。

 有り余る才能がありながら、その性格の為に彼は東部を失陥したのだから。


 不自然さに落ち着かないものを感じつつもタマは部下に目配せをする。

 自分が抑えている間にクレリアを抱えて逃げろと。



(本気……ということか? 仕方がない)



 例え逃げ切れなくても一縷の可能性に望みを繋げるために。

 タマは怯えを振り払い、己に背中を向けたフォルクマールを一瞥すると、真っ直ぐ槍をコンラート向けた。


 コンラートは淀み無く剣を振り上げる。

 蜜蝋のように青白くなっていた表情に、狂気に近い憎悪の表情を浮かべて。


 タマが呆然として口を開く。

 彼は『後ろ』を向いた。





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