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もふもふ帝国犬国紀  作者: 鵜 一文字
三章 逆襲の章
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第二十七話 それぞれの想い 混迷の戦場




 要塞の放棄の命を受け、最も精力的に行動したのは三名のコボルトだった。


 コボルト達の中でも特に名の通っているシルキー、ハウンドの両名。

 そしてウィペット要塞での死闘を乗り越え、幹部としてキジハタの元で経験を積み、この戦争を通じて頭角を現しつつある黒毛の若き弓使い、グレーである。


 この三名は揃って組織的な戦いを得意としていたが、専門は異なっていた。

 シルキーは未来を見据えた戦略的な思考を持ち、ハウンドは現場の状況にとって最善の戦術を用いることが出来る。グレーは彼らの立てた策を部下を率いて確実に遂行することが出来た。


 被害を最小に抑えることに成功したのは、お世辞にも仲がいいとは言えないこの三名が、初めて個を殺して完全に連携したことも大きな要因である。

 皮肉なことに絶望的なこの戦況が、彼らを速やかに協力させたのであった。


 彼等は後に敵手から『皇帝の番犬』『ケルベロス』と呼ばれ、忌み嫌われることになるが、当面の敵であるオーク族の間で名が通り始めるのはこの戦役においてからである。



 圧倒的な戦力差のある第一次オッターハウンド戦役に置いては全ての者が活躍と共に労苦を負っていたが、その中でもハウンドは特に過酷な役割を背負っていたといえるかもしれない。


 身体的には脆弱なコボルトの中でも決して強くはない小さな体で、状況が二転三転する戦局を彼はプレッシャーに押し潰されそうになりながらも必死に乗り越えた。

 要塞戦においても自分を庇って死んだ仲間の意志を引き継いで戦い抜き、ハイオークすら罠に引き込んで戦死させている。


 彼は結局自らの役割から最後まで逃げなかった。

 大勢の仲間を失いながらも常に最善を追い続けた。


 だが、彼にとってそれは本意ではない。



(何故……誰も僕を連れて行ってくれない……)



 要塞から離脱し、ラルフエルドまで急ぐ道中でハウンドは疲れきった戦士達を引き連れ、それでも胸を張りながら先頭を歩いていた。だが、心中では血の涙を流し続けている。



「後は僕だけでも大丈夫だから」



 コボルト族には珍しく、近接戦闘用のレイピアを腰に下げた黒い毛並みのコボルト、グレーがそんなハウンドの肩を叩いた。

 ハウンドは首を横に振ろうとしたが、殿を勤めているブルーからの報告がないことを思い出し、疲れきった苦笑を浮かべて頷く。


 オッターハウンド要塞からラルフエルドまではシバが作った道が引かれており、追撃は容易である。そして状況を把握しやすい。ここで何もないということは追撃がないことが確実であることを意味していた。



「後は任せる」

「了解」



 多くの仲間の戦士達の中にあってもハウンドは孤独であった。

 彼の思考はあまりにも怜悧であり、冷徹に生死の関わる指示を下すため、戦士達の中では溶け込んでいなかったからである。


 また彼自身も意識して周囲と距離を取っていた。それは、戦術を組み立てる上で私情が反映されることを恐れたからでもある。

 そんな彼を理解し、支えることが出来たのは底抜けに明るい彼の上司だけであった。



「毛がくちゃくちゃよ。情けない顔」

「君と同じくらい情けないことは理解している」



 退却の残りの指示をグレーに任せ、一息ついた彼に声を掛けたシルキーに対して、内心の見えない淡々とした口調で答える。



「失礼ね。私は普段と変わらない」

「そうか。すまない」



 ハウンドは彼女をからかったわけではなく、正直な感想であったが言い返すことなく頭を下げる。シルキーも彼の本音を察し、黙って苦笑した。


 三名のコボルトの中でもハウンドとシルキーの仲は最悪の一語に尽きる。

 性格が合わないのは勿論であったが、お互いの得意分野にコンプレックスを抱いていたことも原因であった。


 だからこそ、役目が異なるが故に戦争が始まるまで、そして戦争の最中でもこの二名は殆ど視線を合わせていない。それでも問題が無かったからであった。

 だが、力を合わせなくては乗り越えられない問題を乗り越えた今、彼等には以前ほどの険悪さはなく、お互い疲労で足を引きずるようにしながら隣を歩いている。



「僕達は何故弱いのだろう」



 腕を震わせ、弱々しい呟くハウンドの声。

 それは、感情を必死に抑えた彼の悲痛な叫びだった。


 彼は許されるならば何もかもを放り出して、自分を認めてくれているタマに付いて行きたかったのである。


 直感による作戦変更をぶつくさ言いながらもハウンドが修正する。悪びれる様子もなく、彼の上司が笑いながら謝る。後になったらその変更が正しいことだとわかるのだが、それを誇るでもなく、タマはハウンドの手柄と認めて、大声で褒める。


 だから、彼も必死で期待に応えてきた。


 だが、死地に向かおうとしているタマは彼の願いを退け、真剣な表情で要塞の放棄をハウンドにしか出来ない仕事だと言った。本心からだろうとハウンドは思い、断ることは出来なかった。


 彼に出来たことは軍属となった時に拝領した大切な剣を強引に預け、後で返せと言ったことだけ。 



”上司も仲間も命を掛けているのに自分だけが生き残っている”



 そんな思いが彼にはある。

 そしてそれは多少形は違っていたが、シルキーの抱いている思いにも似通っていた。


 だが、シルキーは何故そこまで悔しそうな顔をするのか理解出来ずに驚いている。彼女の知るハウンドは彼女以上に他人に対し冷淡であると考えていたから。

 足を止め、まじまじとハウンドを見つめるシルキーは自らの誤解にようやく気が付き、己の見る目の無さに自嘲して溜息を吐いた。



「男ってやつは本当に暑苦しいんだから」



 そうシルキーは微笑んで小声で呟く。言葉ではそう出してしまったが、身近な同胞が自分のように感情を摩滅させず、熱い思いを抱えていることを彼女は嬉しく思っていた。


 若いからかもしれないともシルキーは思う。


 モフモフ帝国の成長と共に育ち、成人したハウンド、グレーとそれ以前に成人した彼女との違い。コボルト族の宿命として、ある種の諦観を抱えているシルキーとそんな諦めが必要のない彼らとでは違って当然なのかもしれないと。



「……何か?」

「何でもないわ。暗いこと言わないで。私達には私達の得意があるんだから。それに」



 シルキーは明るく笑う。ハウンドをからかうように。



「思ったよりあんた馬鹿ね。あいつがそう簡単に死ぬわけないでしょ。案外抜け目なくて本当にしぶといんだから」



 軽い調子のシルキーにハウンドはぽかんとしていたが、頭を掻いて頷く。

 彼女の言葉を鵜呑みにしたわけではないが、気遣われたことは理解していた。



「あ……そう……そうだった」

「そう。絶対に帰ってくる」



 自信に溢れたシルキーの言葉にハウンドは笑う。

 幾分か彼の顔にも生気が戻っている。


 彼女の言葉を信じるならば、まだまだ彼には仕事が残っており、個人的な思いよりもそちらを優先するべきだということに気付いたのだ。



「クレリア様とタマ様が帰る場所は必要か。僕が用意しておかないと」

「そういうことよ。私の仕事は概ね戦争前なんだから、しっかり働きなさい」

「了解……ぁ……ありがとう」



 消え入るような小声でハウンドは礼を言うと悲観的な気分を振り払い、次の戦いに向けて気持ちを切り替えた。




 数名のゴブリンと共にオッターハウンド要塞を抜け出したタマは、要塞の背後で遊撃隊として活動していたキジハタと一度合流し、そこでさらに十名程のゴブリンを加えて、ハウンドが予測するフォルクマールの本陣に向かっていた。



「タマの旦那。よかったんですかい?」

「これでいい。だから無理してついてくるなって言ったろうが。今からでも帰っていいぞ」

「まさか」



 要塞から付いてきた包帯まみれのゴブリン、カダヤシの困惑した声にタマは呆れるように答え、それに対してカダヤシは首を横に振る。


 彼が困惑している理由は、タマがキジハタにはフォルクマールの本陣の位置を教えなかったからであった。それだけではない。キジハタが持ち場を離れ難いよう、有り得ない追撃の可能性も伝えている。


 キジハタの剣の腕があれば、生還率はかなり高まるはずである。

 なのに、タマはキジハタと別行動を取ることを選んだ。彼に従うカダヤシにはそれが不可解に映っていた。



「うひひ、まあいいじゃねえかカダヤシ。あのおっかない女に恩を売るチャンスだぜ~?」

「そうだそうだ。手柄は俺達が独占だ! 俺は帰ったらあいつに酌してもらうんだからな。悔しそうな顔が目に浮かぶぜ。腕を折られた恨み、それで晴らすんだ」

「お前らなあ。命賭けてんだぞ。バカ野郎共が」

「はっは! 大将にだけ無茶させるのもなぁ。ま、わしらは十分面白おかしく生きたし、どうせ老い先短いんだ。好きにやるさ」



 走りながらも下品な笑い声を上げる槍を担いだゴブリン達は、かつてタマと共にクレリアに降伏した者達である。彼等は幾多の死地をくぐり抜け、最精鋭の戦士としてキジハタの指揮下に所属していた。


 キジハタへの説明がかつての上司の嘘であることを察した彼等は、危険であることを承知でタマの部隊に入ることを志願したのである。

 当然そのことは誰もタマには言わない。タマの方も何も言わなかった。



「しかし、静かすぎる。タマの旦那ぁ。変じゃないかぁ?」

「俺達にとっては好都合だ」



 彼らが駆けている場所は元来敵が待機していた場所である。しかし、森の切れ目となっているこの場所には食事の後が残るばかりで、魔物の気配は欠片もない。

 森に住む虫や鳥だけが、早朝を知らせるために鳴いている。



(罠じゃないのか? まさか全軍を要塞に向けたってこたぁないよな。フォルクマールの性格だと。コンラートは残しているはずなんだが)



 気難しげに眉を寄せ、タマは悩んでいた。

 罠を仕掛けているにしては、不気味なほど”自然”な静けさだったからである。


 腑に落ちないものを感じながらも彼等は目的の場所に向けて、駆け続けていた。

 背後で繰り広げられている遭遇戦には気付かずに。



 第一次オッターハウンド戦役において、最も奇妙な遭遇戦。

 それはタマ達が駆け抜けた後方で起こり、当事者達が誤解を重ねながら戦うことになった偶然の戦いであった。


 不幸な偶然でありながら、戦闘に参加しているどちらもが戦っている相手が敵の罠だと信じ、お互いが助けるべき相手の元へ向かうために牽制しあったのである。


 帝国側の当事者、『剣聖』キジハタはタマの嘘を見抜き、彼を追ってクレリアを救出するために動いており、オーク族の当事者、グレーティアは命令を無視して北部からフォルクマールを救うべく動いていた。

 その道中で真正面から鉢合わせしたのは両者にとって不幸なことであった。


 お互い、強行することは出来ない。

 戦力的には質で帝国軍が勝っており、数でオーク族が勝っている。



「小柄だが……ハイオーク。ならば拙者の役割は一つ。タマ殿が目的を果たすまで時間を稼ぐぞ。負けなければそれでいい。全軍、無理はするな」

「何こいつっ! 私の邪魔をするなぁっ!」



 だが、彼等を率いるキジハタとグレーティアには明確な差があった。

 キジハタがタマに全幅の信頼を置いていたのに対し、グレーティアは戦況を正確に把握することが出来ていない。その焦りは剣に如実に現れている。



「二刀流か……速いな。だが粗い」

「うるさい! くぅっ!」



 普段の余裕をかなぐり捨てて、グレーティアは両手の剣を必死に振るうが、キジハタは最小の動きと力で剣を弾く。ハイオークの中では非力なグレーティアだが、その膂力はゴブリンとは比べ物にならないほどに強いはずだった。

 彼女の剣の一本一本はキジハタの剣と同じくらいの大きさなのである。


 それでもキジハタは嵐のようなグレーティアの剣舞を、森の木々を利用しつつ落ち着いて捌き、反撃すら行なっていた。



(噂の『剣聖』か。よりにもよってこんなときにっ! フォルクマール!)



 彼女にさらに焦りが募り、土を踏み締める。

 目の前の何の変哲もない非力なはずのゴブリンが、モフモフ帝国最強の剣士であることに気付いたからだった。


 相手の攻撃は直感で避けることに成功しているが、打ち崩すことが出来ない。

 同僚のハイオークを除けば、グレーティアはこれ程の強者とは戦った事がなかった。全力を尽くしても勝利することが難しい相手とは。



「早く……早く行かないと。助けに……あいつは私が守る!」



 間合いを取り、彼女はお気に入りのスカートを動きやすいように破る。そして自らを落ち着かせるように深呼吸をして、目の前の強敵に闘志の篭った瞳を向けた。



「絶対に行かせぬ。お前達の罠を完成させはせん」



 キジハタはそれを受け流すように剣を静かに構えなおす。


 両軍に取って大きく戦局を変えるであろう二名の指揮官の戦いは、無為に時間と労力を掛けるだけのものとなってしまっていたのである。



 オーク族の魔王候補、フォルクマールの本陣近辺。

 クレリアは乗ってきたバルハーピーのコリンにラルフエルドに戻るように命じ、草むらに伏せていた。


 彼女も当然に敵本陣の位置を把握している。それでもコリンに乗ってきたのはオーク族の伏兵を警戒していたからであった。


 伏兵の置き易い場所を足の速いコリンに回らせ、先にこれを撃破し、心理的に優位を取った上でフォルクマールを一騎打ちに持ち込む。それがクレリアの計画だった。


 しかし、伏兵はおらず、魔物の一匹も本陣の周辺には残っていない。

 オーク族の本陣は不気味なほどの静けさに包まれている。



(意図がわからない。しかし、不注意ということもあるまい)



 音を立てぬよう注意して進んでいたクレリアの視線の先には、端正な顔立ちの長身の男が朝の太陽の陽を体に浴びながら静かに眼を閉じて立っていた。


 自然と薄茶色の尻尾が逆立つ。

 隙だらけでありながら、身体は彼女に最大の警戒を促していた。


 距離を計り、クレリアは弓を引く。



「そこにいるのはわかっている。待ちわびたぞ。クレリア・フォーンベルグ」



 喜びに満ちたその声にクレリアは何も答えず、ただ、無造作に矢を放った。


 それぞれの思いが交差しながら、戦いは始まる。

 残された役者達もまた、混迷の戦場を手探りで進んでいた。




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