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もふもふ帝国犬国紀  作者: 鵜 一文字
三章 逆襲の章
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第二十六話 第一次オッターハウンド要塞攻防戦 要塞の陥落




 オッターハウンド要塞の放棄。

 その宣言を行なった時、クレリアの周囲に集まっていた主要幹部達の反応は様々であったが、殆どの者の内心は驚きに満ちたものであった。


 要塞の陥落はモフモフ帝国の敗北と同義であると考えていたからである。



「敵の勢いは圧倒的。要塞で守備を続けては再起不能の損害を被って敗北する」



 ただ、絶望している者はいない。

 それはクレリアが普段通りで言葉に、敗北の後悔などといった昏い色が微塵も存在しなかったのと、



「ま、要塞なんてのは戦い易い場所を作るためのもんだし、勝てばなんでもいいわな」



 機先を制して、タマがとぼけたような明るい声を上げたお陰だっただろう。


 クレリアはまじまじとタマを見る。

 彼女としても彼の反応は意外なものだった。だが、それが彼女をやりやすくするためであると気付くと微笑し、小さく頷く。



(見事に化けたな。おもしろいものだ)



 クレリアはほんの気まぐれで命を助けたオークリーダーの成長に感嘆していた。

 彼女にとってタマの命を助けたことはコボルトに、『目に見えるオークへの勝利』という明確な形を見せることで士気を上げるためであって、彼自身の成長を期待していたわけではない。


 そんな男が気が付けば帝国に無くてはならない存在となっている。



「『命令』は命令を受けるものの思考を縛る性質上、単純な形でしか使えない。また、肉体を限界を超えて使うために、短時間での行動に限られる」



 説明を続けながらもクレリアはその偶然に感謝する。

 自分以上に自然と帝国に溶け込んでいるタマは、彼女にとっても未来の帝国の姿を示す希望の存在であった。



「従って、この要塞から離れれば、敵の『命令』は無力化出来る公算が高い。仮に追撃をされても、時間を稼ぐことによって相手の限界を誘い、優位に立つことが出来る。大規模な『命令』は魔王候補の力をも大量に消費する。相手に切り札は存在しない」



 幹部達をクレリアは見回す。そして、全員が要塞放棄の意味を理解していることを確認すると眠っているシバを両手で抱え、タマに渡した。

 いきなりのことに驚くタマの背中をクレリアは軽く叩き、宝石のような深い蒼の瞳を彼に向ける。



「これは大きなチャンスでもあるのだ。今、フォルクマールは魔王候補の力を使い切った状態で孤立している。魔王候補としての力の差も以前程ではない。ならば、躊躇する必要はないだろう」

「おい、姐さん、冗談だろ。何考えていやがる……」

「私はこれ以上、醜い茶番に我が同胞達を付き合わせるつもりはない」



 クレリアはそう言い捨てるとミスリル銀製の愛剣を掴み、弓を背負う。タマ以外の他の者は彼女の言葉の意味がわからず、ただ困惑するばかりだった。

 クレリアはタマに小声で囁く。



「フォルクマールは私を誘い込むためだけに、帝国の者を先頭に立たせたのだ」

「ああ、やっぱりか。だが! なら余計に……っ!」

「タマ。これは”必要なこと”なのだ。最早最終的な勝利は揺るぎないが、最悪の場合はシバ様が背負う罪を『私達』で贖わねばならん。協力しろ」



 他の者とは違う関係をタマがシバに持っていることをクレリアは知っている。それはケットシー族であるブルーとシバとの友情ともまた違う性質のものだった。


 どちらかといえば、タマの考えは自分に近い。

 クレリアは感覚的にそのことを理解しており、彼を同志としてある意味で認めていた。



(意思を無視して『命令』を使えば皇帝ではなく、ただの魔王となる。『命令』を使うには大きな理由が必要になってくる。そう、誰もが使われることを望むほどの理由が)



 相手の一連の行動が、魔王候補の圧倒的な力を前提としたフォルクマールの罠であることを、クレリアは理解している。それでも尚、彼女に他の選択肢を選ぶ余地はなかった。


 選択肢は存在したが、彼女は有効であり最善手であるその手段を、どうしても取ることが出来なかった。


 フォルクマールであれば迷わず取っている手段。シバなら、もしかしたら悩みつつも取ったかもしれない手段。だが、クレリアには取ることが出来ない。


 あくまでクレリアは騎士であり、一人の戦士であった。

 彼女の心中を占めているのはただ、自らが戦場へ送り込んだ仲間への責任である。



「オッターハウンド要塞を放棄し、ラルフエルドで態勢を立て直せ。詳細はシルキー、お前に任せる。相手の攻勢は既に限界点にある。上手く利用しろ」

「はいっ!」

「ブルーは伏兵としてラルフエルドに近付く軍を牽制」

「了解」

「カナフグ! お前の役割は……だ。キジハタとシルキーにだけ詳細を伝えておけ。辛い役目だがお前以上の適任がいない」

「……っ……承知」


 

 幹部達に次々と命令を与え、キジハタの副官であり最古参のゴブリン、カナフグには、小さく耳打ちする。全ての者に命令を伝え終えると、クレリアは気負いのない落ち着いた口調で言った。



「私はこの要塞を囮とし、フォルクマールを討つ」



 幹部達の顔色が変わる。暴挙としか思えない、軍事作戦とはとても言えないものだった。


 しかし、クレリアは勝算のない戦いはこれまでしていないし、部下達にもそれを教えていない。だから、迷ったものの彼等には止めることは出来なかった。ただ、一名を除いて。



「姐さんそりゃ駄目だ。万が一にもあんたに何かあったらいけねえ!」

「心配ない。既に帝国の成長は私の手を離れている」

「姐さん……!」

「私に何かあればモフモフ帝国全軍の指揮はタマ、お前が取れ。大軍の指揮にお前は私以上に向いている。どう状況が動いてもそれを利用しろ」



 タマは表情を真剣なものへと変える。

 全てを察した彼は隙のない戦闘用の構えをとって、クレリアと対峙していた。



「そんな役割、俺にゃ向いてないですぜ。考え直してくださいよ」

「シバ様を孤立させず、確実に勝利するにはこれしかない。私が奴を殺せば良し、仮に負けても……帝国の民は自らの意思できっと立ち上がる。そうなれば疲れきったオーク族はどうすることもできない」

「姐さんはてんでわかっちゃいないな……そんな勝利に何の意味があるんだよ……」



 顔をしかめ、タマは溜息を吐く。彼はこの時、クレリアの見え難い内心と、彼女の行動の意図を完全に理解していた。それが出来たのはタマが殆ど全ての戦士達のように”クレリアの部下”というわけではなく”シバの部下”であったからかもしれない。


 タマはクレリアを完璧な存在であると盲信してはいなかった。

 彼は彼女に重大な欠点があることにも気付いていた。ただ、普段それが問題とならないのは彼女自身が余りにも優秀であるからだということも。



「決まっている。勝利すればシバ様も帝国の仲間達も、自分の力できっと未来を掴んでくれる。タマ、お前のようにシバ様の助けになれる者も必ず現れる」

「姐さんは意外と馬鹿だな。力尽くでも止めるぜ!」



 勝てるとはタマ自身考えてもいない。クレリアと彼では圧倒的な実力の差が存在している。それでも彼は止めることを諦めはしなかった。


 掴み掛ろうと迫るタマにクレリアは優しく微笑む。

 それは常に無表情な彼女の精一杯の穏やかな笑みだった。



「……やれやれだな。お前は私が今まで出会った男の中でも一等馬鹿で、本当にどうしようもない奴だ」



 巨躯の彼が迫ってもクレリアは微動だにせず、彼を見上げる。



「だけど、お前ほど気持ちのいい馬鹿も中々いなかったな」



 珍しい茶目っ気のこもった口調でそう続けると、クレリアは表情を引き締めた。



「お前は絶対に生き抜け。『命令』だ。タマ、お前はシバ様を安全な場所にお連れしろ」

「グッ!!!」



 瞬間、タマの瞳から光が消える。同時にクレリアは口笛を鳴らした。

 時を置かずして、鐙が備えられたゴブリンの背丈ほどもある大きさの一羽のバルハーピーが砂煙をあげながら、轟音と共にその場に走り込む



「コリン。お前には相手を見つけるまで手伝ってもらうぞ」

「はいっ! よくわかりませんけどお任せを」

「空を翔けろ。お前の翼なら正面からでも飛び越えて、敵を避けられるだろう」



 活躍の機会を与えられたことを理解したバルハーピーの少女は、巨大な黄色い翼をばさりと広げ、歓喜の声を上げた。彼女にとってはクレリアの重さなど無いのと変わりはない。

 馬と同じ要領で跨っているクレリアを背に載せ、要塞を滑空しながら降りていった。



 クレリアがその場を去った後、一番初めに我に返って行動したのはタマである。

 『命令』を遂行するために彼は即座に動いていた。



「これは……どういうことかしら?」

「俺が知る限り、一番安全な場所にうちの皇帝様を運んだんだよ」



 脂汗を掻きながらもタマは笑う。カロリーネはその凄みのある笑みで、彼が『命令』に対して全力で抗っていたのだと理解していた。



「なるほど。『命令』は達成すると効果が切れるのね」

「そういうこった。姐さんもツメが甘いぜ」



 彼がやったことは、カロリーネにシバを預けることであった。彼の行動がシバにとって安全であることを『命令』の力から認められている。



「カロリーネ。シバ様を頼む」



 それはタマの傍が危険であることを意味していた。



「行く気なのね……と聞くのも野暮な話ね」



 常に自信に溢れているカロリーネの瞳が僅かに揺れている。タマがやろうとしていることの危険さを理解しているが故だった。



「でも、クレリアはどうしてこんな無茶なことを……」



 だが、彼女にはどうしてもクレリアの行動が理解できない。普段の性格とは掛け離れた行動に思え、うさぎの小骨が喉に刺さるかのような違和感が消えなかったのである。

 しかし、タマは迷いなく彼女に断言した。



「姐さんは怒り狂ってんだよ。ああ見えて情に厚いからな」

「……普段と変わらなかったけれど」

「自分でも冷静なつもりなのかもな。さっきの姐さんの言葉にゃ嘘と本当が入り混じってやがるんだ。いや、もしかすると……怒りを表に出す方法を知らないのかもしれん」



 感情を普段表には出さないが、タマの言葉に思い当たることはカロリーネにもある。クレリアは彼女に激情の片鱗を見せていた。苦笑するタマにカロリーネは頷く。



「フォルクマールは本当に他人を怒らせるのが得意ね」

「いや……まあ、そうなんだが、今回は無自覚じゃない。恐らく奴の計算通りだ。罠でも準備してるんじゃねえか? そうだとすれば十中七八、姐さんは負ける。姐さんもわかっているはずなんだ。本当に取れる姐さんの最善手は特攻じゃない」



 タマは言葉を切り、戦略と謀略を主に司っているコボルト、シルキーを見る。彼女は視線を彷徨わせ、躊躇しつつも頷いた。



「クレリア様の言葉通り、民を立ち上がる為の怒りを掻き立てるのであれば……負傷者を見捨てるのが最善です。何もわからなかったことにして」

「そんなこと、姐さんにできるわけがねえ。そんな冷酷な女じゃない。だが、姐さんは何もわかっちゃいない。自分を軽く見すぎているんだ。戦士として自分自身の命すら『駒』と考えるのは確かに凄いんだろうが……」



 愛用している傷だらけの鋼鉄製の槍を決意を込めてタマは握る。



「クレリアを助けに行くのは帝国に彼女が必要だから?」



 カロリーネは落ち着いた口調で微笑みながらタマに問い掛けた。

 彼女はそうではないことはわかっている。理より感情で動くオーク族が真に命を賭ける時には複雑な事情はなにもいらない。単純明快なのだ。


 彼女の印象ではタマは誰よりもオーク族らしかった。

 カロリーネの予想通り、タマは笑って首を横に振る。



「戦場で交わした男同士の約束を守るためだ。そのためには姐さんが要るんだ」

「難儀な男ね」

「シバ様は俺の大事な……そのなんだ、弟分みたいなもんだから」



 周囲からの呆れるような視線を受け、照れ臭そうにタマは鼻の頭を掻いた。



「兄貴分としては助けてやらんとな。ははっ! こりゃシバ様に失礼か」

「いいんじゃないかしらね。私達オーク族らしくて。ただ、私にももう少し構って欲しかったけれど。気付いていないでしょう。全く、仕事馬鹿のクレリアでも気付いたのに」



 仕方なさそうに溜息を吐き、カロリーネは片手をお腹に添えながら苦笑した。



「子供がいるわ。死んだら許さないわよ」

「何ぃっ! くははっ! なるほど、それは確かに死ねねぇな……っと、さてさて、手の掛かるうちの姫様を連れ戻しに行ってくるわ」

「行ってらっしゃい」



 そんな二名のオークのあっさりとした別れを複雑そうに見ていたシルキーは、歩き出そうとしていたタマを引き止める。



「タマ。私はあんたが死んでも何とも思わない」



 ウィペット要塞に一緒に赴任した当時はシルキーは一方的な敵対心をタマに抱いていた。激戦をくぐり抜け、わだかまりは解消しているが、これは彼女の本音である。

 コボルトである彼女はタマだけではなく、誰の死をも淡々と受け入れることが出来るようになっていたから。それでも彼女は歯を食いしばっていた。



「相変わらずきついな。シルキー」



 彼女の複雑な心中を知ってか知らずかタマは苦笑する。本当はシルキーは『私も行く』と言いたかった。しかし、直接戦闘が出来ない彼女では足でまといになるだけであることを、彼女自身が一番良く理解している。


 シルキーに出来ることは彼が少しでも目的を達成しやすよう助言することだけだ。

 だから、代わりに彼女は簡単であるかのように、からかうように笑う。



「煩いわね! ハウンドに声を掛けていきなさい。あいつなら多分フォルクマールの位置を特定している。闇雲に探すよりはきっと早いわ」

「なるほどな。お前のアドバイスはいつも的確だ。助かるぜ」

「無駄死にしたら馬鹿みたいでしょ。運良く生きて帰ったらクーンと呑む予定だったお酒を上げるわ」

「おっ! ケチなお前にゃ珍しいな!」

「酒、ちゃんと取りに来なさいよ。ラルフエルドで待ってるから。絶対だからね」



 タマは片手を上げて答えただけで、振り向かなかった。

 彼はハウンドから正確なフォルクマールの本陣の位置を聞くと、自主的に付いてきたゴブリン達を引き連れて要塞の後方から離れ、深い森に紛れてクレリアを追っていった。



 第一次オッターハウンド要塞攻防戦は終盤まで、常にモフモフ帝国の優位に進んでいた。

 しかし、フォルクマールが自軍の被害をも無視する『命令』を使用したことにより、戦況は大きく移り変わる。数に勝るオーク族が限界を無視した力を発揮し、モフモフ帝国を圧倒したのである。


 モフモフ帝国軍は要塞の放棄を決断。タマの副官、ハウンドの的確な指示により多大な被害を出しつつも撤退に成功する。

 こうしてモフモフ帝国の最大防衛拠点、オッターハウンド要塞はついに陥落した。


 防衛戦に参加したモフモフ帝国軍は補給担当の非戦闘員を含め、約800名。うち、死者250名、重軽傷者400名。オーク族軍1500名のうち、死者700名、重軽傷者450名。

 戦闘は熾烈を極め、両軍共に壊滅に近い被害を被っていた。


 だが、第一次オッターハウンド要塞攻防戦はまだ終わってはいない。




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