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もふもふ帝国犬国紀  作者: 鵜 一文字
三章 逆襲の章
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第二十五話 第一次オッターハウンド要塞攻防戦 幕間 氷の姫の心情




 クレリアの脳裏に忘れかけていた幼少の頃の記憶が蘇る。


 記憶の中の彼女は今とは違って銀色の髪で、背丈も低くなってしまった今よりも更に低い。青い瞳にガラスのように輝きが無く、遠目には人形にしか見えないかもしれなかった。

 ただ、無駄なく動く腕が、彼女が人間であることを示している。



「アル兄は?」

「あいつはくたばった」



 薄暗い天幕の中、無愛想な髭面の大男が腰を下ろし、無造作に積まれた荷物を布で拭きながら、ナイフを投げて遊んでいる幼いクレリアに答えた。



「うそ」

「本当だ」



 クレリアは手を止め、大男、父親の顔をまじまじと見る。


 『アル兄』は実の兄というわけではない。フォーンベルグ傭兵団に所属する若い青年で、子供なのに感情がないようにしか見えず、傭兵団でも腫れ物のように扱われていたクレリアを、本当の妹のように大切に接していた数少ない男だった。


 彼がそうしていたのは本当の妹を失っていたという事情もあったからかもしれない。


 眷属となってからは仕事に追われ、思い出すことも無くなった思い出。だが、戦争が激しくなるにつれて、こうした記憶も度々思い浮かぶようになっている。


 傭兵団の団長の娘として生まれた彼女にとって死とは身近なものであった。

 そして、現在に至るまで、彼女の生は望む望まぬに関わらず戦争と共にある。



「何をしているの?」



 この幼少時の記憶が色濃くクレリアに残っているのは、安宿の薄暗い部屋の中、大きな手を不器用に使って荷物を拭いている父親の姿と、一人の青年の死が彼女に大きな影響を与えたからかもしれない。



「仕事だ。責任を持って俺が奴の財産を家族に送ってやらねばならん」

「どうして?」

「正当なあいつの報酬だからな。それに俺達は仲間だ。馬鹿野郎がくたばってもな。ちっ、俺に本の手入れなんてわからんぞ。アルフォンスめ」



 自らに優しくしてくれた青年の死にも眉一つ動かさない、氷のように冷たい娘の視線を受けても父親は気にせずに答え、荷物……戦死した青年の遺品を丁寧に磨いている。



「アル兄の家族はザーンラント王国との戦争に巻き込まれて死んだって言っていたけれど」



 悪態を付きながらも本の埃を払っている父親の言葉にクレリアは首を傾げていた。

 確かに戦争の度に父親は同じことをしている。だが、アルフォンスの家族は生き残っていないはずであった。少なくとも彼女が聞いた限りは。


 父親は手を止めると『ふむ。天涯孤独だったか』と呟き、一度髭を触る。



「だからリグルア帝国の騎士となって国を守る……ときたわけか。騎士など、ろくなものでもなかろうに。何を考えていたのやら」



 手に持っている書物。眼を細めて戦争に関する本を見つめながら、父親は独語した。

 戦死したアルフォンスは元々無学であったが、傭兵として鍛える傍ら、騎士となるために様々な書物を苦心して読んでいたのである。それは傭兵団の中でも有名なことであり、変わり者として知られていた。


 ただ、クレリアは知っている。

 父親が彼に期待していたことを。


 それは騎士のように武器を振るう者としてではなく、兵站面での素質を買っていたのである。

 無学で無骨な者が揃う傭兵団では後方の管理は死活問題であったから。



「俺も奴の素性は聞いていない。うちの傭兵団では余計な詮索はしないからな。他にあいつは何か言っていたか?」

「本は読んだら私にくれるって。後、戻ったら何かくれるって言ってた」

「……なるほど」



 父親は本を拭く手を止めて眼を閉じ、黙り込む。

 数分程そうした後、彼は頷いた。



「本はお前が読め。後の荷物は部下に与える」

「字、知らない」

「覚えろ。その本はあいつが生きた証だからな。お前があいつを少しでも仲間だと思っているのなら大事にしろ。残さず全部読め」



 熊のように大きな父親は穏やかに微笑むと、持っていた本をクレリアに渡し、ひょいっと掴んで膝の上に彼女を載せて頭を撫でた。

 珍しいことで、クレリアは上を向いて父親の顔をじっと見つめる。



「もう一つ、お前にだ。多分これもお前のだろうよ」



 そう言って渡されたのは手作りらしい不細工な犬の人形だった。

 あんまり可愛くもない人形を信じられないようにクレリアは抱きしめる。それはある街を訪れた時に何となく惹かれて視線を向けた物に似ていたから。



(見ていただけだったのに)



 だけど、傭兵団の旅続きの生活では邪魔にしかならないため、何も言わずに諦めた物だった。アルフォンスにはわかっていたのだと、この時彼女は知った。


 頬に涙の熱さを感じる。

 母が死んで以来のことだった。


 父親は何も言わず、クレリアの華奢な身体を抱きしめ続けていた。


 傭兵団の団長の娘として生まれた彼女にとって、死は間近な場所にある。


 だが、それだけではない。

 情を大切にし、金と仲間の為に闘うフォーンベルグ傭兵団での生活は、様々な面で後の彼女に大きな影響を与えていた。

 




「『命令』を使ったんだね。フォルクマールは」



 タマ達を集める少し前、モフモフ帝国の皇帝であるシバは悲しそうな表情で眼下に広がる光景を見下ろしていた。

 傍に控えるクレリアはその異様な光景に息を呑んでいる。



「これは……」

「クレリア、彼は恐怖で支配することを選んだのかもしれない」



 少年のような容姿のシバの手は、湧き上がる怒りを押し込めるかのように握り締められて震えていた。だが、彼の瞳は冷静さを保っており、唇を引き締め、相手を真っ直ぐに見据えている。



「捕虜となった戦友を盾にされ、ブルーが動揺しています。タマは良く防いでいますが、こちらも被害は甚大。第二防衛線は持ちません」



 努めて普段通りの口調で話すクレリアも内心は穏やかではなかった。

 戦友を殺す。


 それはかつて人間であった頃、クレリア自身も経験したことである。

 そのことに関しては彼女は特に後悔はしていない。生き延びるために降り掛かる火の粉を払っただけであるのだから。


 しかし、無表情で容赦なくかつての仲間に武器を振るう者達、そして、抗う者、動揺する者、それぞれの姿を見たとき、クレリアの中で、己を罠に仕掛けた者達の印象が少しだけ変化していた。



(私は確かに妬まれていたが、騎士団の同僚達を仲間だと考えていた。彼等はどう考えていたのだろう。本当に全ての者が私を殺したかったのだろうか)



 クレリアは眼を細める。当時は彼女も必死であった。追跡者達の心境を図る事など出来るわけもない。だが、彼女はこうも思う。



(騎士団長は有能な人間だった。しかし、私は五体満足で死の森に逃げ込む事に成功している。あるいはそれが答えなのかもしれない)



 彼等は命令を受け、自身を殺そうとしたが全力は出さなかった。もしくは、出すことができなかった。軍人として命令を順守しても心の自由は持っていたということ。

 もし、そうでなければ死の森に逃げ込む前に確実に死んでいただろうと。


 力尽きていたら素晴らしい奇跡にも出会えなかった。



(戦友達に感謝を。巻き込んでごめんなさい)



 眷属になってから初めて心の中でかつての戦友へ感謝と謝罪の言葉を心の中で告げる。



「タマにだけ辛い役割を押し付けるわけにはいかない。罪は僕が負う」



 伝令から状況を聞くと、シバは強い意思を感じさせる口調で言い切った。

 その言葉を聞き、クレリアは僅かに口元を緩ませる。純粋な少年のような心を残しつつも彼女が愛する皇帝は逃げることをしない。



(だが、それではいけない)



 クレリアは思う。フォルクマールと同じことをしてはいけないと。

 皇帝の完全なる孤立。モフモフ帝国はそんな統治者を望んではいない。


 シバがその力を振るう時は、全ての者が納得の上でなくてはならないのだ。



「シバ様、申し訳ありません」

「クレリ……?」



 クレリアは静かに近付くとシバに当身を打ち、崩れ落ちる彼を優しく抱きしめた。

 そして髪を一撫でし、静かに横たえると伝令を呼ぶ。


 冷静であるかと問われれば、彼女自身にも自信はない。

 様々な感情が心から強く湧き上がっており、何が本当で何が欺瞞であるのかも判別がつかない状況にある。


 だから、彼女は一つのことだけを考えていた。



”どうすればモフモフ帝国が勝利することができるのか”



 そうすることで、クレリアは一つの解答を得た。

 シバが孤立せず、戦況がどう転んでも確実に勝利する方法を。


 タマを始めとする幹部達が集まる。

 クレリアに迷いは無かった。




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