第二十四話 第一次オッターハウンド要塞攻防戦 死兵の特攻
オッターハウンド要塞から遠く、北部においてはモフモフ帝国のケットシーリーダー、クーンとハイオーク、グレーティアが小競り合いを続けていた。
「もうっ! 本当に面倒な相手ね。手袋が木に引っ掛かって破けたじゃない」
グレーティアはトレードマークになっている過剰なほど装飾の施されている黒を基調とした服についた埃を払い、破れた白い手袋を外して悪態を吐いた。
圧倒的に優位な戦況であるものの、彼女は苛立ちを隠せない。
戦力に劣るクーンは決して正面からは戦わず、あちこちに分散して住んでいるケットシー族の情報網を活用して徹底したゲリラ戦を行い、彼女と戦わないように細心の注意を払っていたからである。
かといって北東部の拠点であるサーフブルームを落とせるだけの戦力をグレーティアは所持していない。お互いに嫌がらせ以上の打つ手が無かった。
「お嬢様、申し訳ありません。我々が不甲斐ないばかりに」
「あのねー別に爺のせいじゃないって。これがあいつらの得意な戦い方なのよ」
相手が引いた為に振るうこともなかった双子の剣を鞘に収め、グレーティアは苦笑いして老いたオークリーダーの肩を叩いて慰める。
自分が自由に動いたせいで、後を任されていた老オークが背負った苦労を考えると、彼女としても責めることは出来るわけがなかった。
(ここで時間を喰いたくないのにっ!)
フォルクマールの計画での彼女の役割は中央の戦力を北部に振り分けさせた時点で終わっている。だが、彼女は何故か小さな胸に燻る焦りを抑えきることが出来なかった。
一刻も早く駆けつけなければいけない。
グレーティアの鋭い直感はそう彼女に警告を発し続けている。
普段であれば彼女は全てを打ち捨てて、その直感に従ったはずであった。
(大丈夫よね。フォルクマールだし……きっといつも通りなんとか……)
しかし、彼女は迷っている。
それはフォルクマールの優秀さを信じているが故であり、彼の立てている作戦を正確に遂行しようとしているからであった。だが、彼女の胸騒ぎは止むことはなく、クーン相手の戦闘においても、精彩を欠く結果になっている。
「私らしくないわよね。さて……」
グレーティアは目を閉じる。
彼女自身、迷いによって普段の力を出せていないことを理解していた。
答えは出ている。後はどうするか。
「よしっ! 半数はベリーダムゼルを死守。時間を稼ぎなさい。後は放棄しても構わない。残る半数で中央部に行くわ」
「お嬢様! それでは命令が……!」
「そんなもん知るかっ! 後で考えるっ!」
迷いを振り切ったグレーティアは久しぶりに明るい笑顔を見せ、言い切った。
(フォルクマールをちゃんと守れるのは私だけだしね。行ってあげないと。あいつったら根暗だから私くらいしか背中を守ろうとか考えるモノ好きもいないしね)
グレーティアは不安な気持ちを騙すように、努めて明るく考えるようにする。
決断を下すと彼女の行動は早い。
その場にいた足の早い者を選別し、ハリアー川の方向へと全速で駆けていった。
『魔王の命令』は命すら無視することが出来る絶対の命令である。
これは全ての魔王候補の基本能力であり、魔王という存在の根幹を支えるものでもあった。この力があればこそ、どれ程非道の者であっても、それまで敵対していた者であっても魔王候補は部下として従えることが出来るのである。
「む……空気が変わった。何だ?」
夜明けの太陽に照らされたオーク族の軍を見下ろしながら、タマは訝しげに呟いた。
幾多の戦場で鍛えた勘は、これが異変であることを彼に告げている。
(おかしい。静かすぎる。誰も一言もしゃべっちゃいねえ)
ぞわりとタマの背筋に冷たいものが走っていた。彼は自分が臆病であることを知っており、その感覚の正体も知っている。
『恐怖』であった。
他の帝国軍の戦士達も彼には遅れたものの、そのおかしさに気付き、ざわめき始める。
「全軍戦闘準備! 矢を打ち尽くしても構わねえ。死に物狂いで守れ! 来るぞ!」
奥歯を噛み締め、タマは叫ぶ。恐怖を知り、それでも彼は怯えて竦むことはない。
彼の部下達もそんなタマの言葉を信じて一瞬で立ち直り、武器を構える。
同時にフォルクマールの魔王候補の力が彼らの守る第二防衛線の一部を吹き飛ばし、大きな穴が開く。それでも何でもないことのように、帝国軍の戦士達はその穴を埋めていく。
だが、次の一瞬で全ての戦士達の表情が初めて固まった。
「タ、タマ様っ! 先頭は俺達の……っ!」
「撃てっ!」
タマは一瞬も迷うことなく命令を下す。
つい先日まで共に戦った者達を見間違うはずもない。
矢を受けても、まるで痛みを感じていないかのように表情もなく、黙々と空いた穴に突入してきたのは行方知れずになっていた帝国軍の戦士達だった。
彼らは立ちはだかる『障害物』を掴むと、有り得ない力でそれを引きちぎっていく。自分の腕まで叩き折るかのように、武器を振るう。
斬られても仲間を倒されても、彼らが足を止めることはない。
帝国軍が恐慌に陥ろうとする中、タマだけはこの異変の正体を理解していた。なぜなら、彼は『命令』がもたらした惨状を知っているから。
「そうか、これが……あの時の……だから、あんなに酷いことに……」
タマはかつてウィペット要塞でシバが彼を助けるためにやったことを、この敵の姿を見ることでようやく察することが出来ていた。だからこそ、それがもたらす結果も正確に理解していた。
「魔王候補の『命令』だっ! やらなければ皆殺しになるぞ!」
タマは涙を流しながら、かつての部下の頭を叩き潰す。
彼の指示により、動揺は収まり、多大な被害をだしつつも、かろうじて第二防衛線は維持されていた。
同じ頃、反対側の守備についていたブルー達は、『命令』を受けたオーク族を相手に乱戦に持ち込まれている。彼の受け持つ第二防衛線は既に壊乱しており、浮き足立って士気を保つことにも失敗していた。
当然まともに対応することも出来ていない。戦いとは名ばかりの一方的な虐殺である。
(僕は……みんなを……)
歯を食いしばりながら剣を振るい、元仲間であるケットシーの首を落とす。
ブルーもまた、かつての魔王候補であり、この『命令』の力を知っていた。にも関わらず、彼はタマとは違い、無表情で近付く味方に対して咄嗟に反応することは出来なかった。
「全軍、第三防衛線に撤退。殿は……僕が……やる」
軍の指揮官として、非情に徹することも出来ない。彼はそんな己自身に失望しながらも、仲間達を一名でも多く逃がすために指示を出す。
「ブルー様っ!」
「大丈夫、僕だけなら……いつでも逃げられるから。急いで」
責任を果たさねばならない。ブルーはそう考えていた。
彼を心配し、踏み留まろうとする部下に、彼は自分でも信じていないことを言って先に行かせる。同時に武器を持たない左手に、全力の魔力を集めた。
「何分持つかな……仕方ないね」
強力な魔法を放ち、爆風で敵を吹き飛ばしながら、ブルーはそう苦笑する。
元魔王候補である彼の魔法を見ても、オーク族の戦士達は怯むことはない。ブルーは後先を考えることもなく、無造作に迫る敵に対し、力を振るっていく。
魔力が尽きた時が最期。
その時間はすぐにやってきた。左手に魔力が集まらなくなると、ブルーは汗で顔に張り付いた青い髪をかき上げ、周囲を見る。
「既に皆逃げた。周囲は囲まれている……道連れはせめて、あいつかな」
魔法と同時に剣も振るい続けているため、ブルーは息も荒い。普段の冷めた雰囲気はそこにはなく、覚悟を決めた必死さだけがそこにはあった。彼が親友の為に出来る最後のこと。今の彼にはそれしか思い浮かばなかった。
「ベルンハルトだっけか。ずるいよね、ハイオークって。強すぎるよ」
オーク族の遥か後方に控えている、瞳から意思の光を感じない容姿端麗なハイオーク、ベルンハルトに彼は微笑みを向ける。
ここからでは遠い。だが、自慢の敏捷さで彼はやり遂げる自信はあった。
本当なら逃げ切ることもできるのかもしれない。
だけど、仲間殺しをした自分にはお似合い。ブルーは思考を打ち切ると、剣を握る手に力を込めた。
「やれやれ、間に合ったか」
しかし、その瞬間、ブルー以上の魔力が込められた光の矢が無数にオーク族に降り注ぐ。そのあまりの威力にあっけにとられている彼の前に現れたのは、不敵な笑みを浮かべている、白衣を着た銀髪のエルキー族の美女だった。
「ターフェ……何故……エルキー族は戦争には関わらないはずじゃ……」
「ふふっ。少年の危機に、この私が何もしないわけがなかろう。危ない怪我人だけは片付けた上で、こっそり要塞に忍び込んでいたのだよ。掟? 一族? そんなもの、私が知ったことか。私の旦那様への愛は全てに優先するのだ」
「相変わらず……だね」
新たに現れたエルキーを侮ることのできない敵と見なした死兵達は、じりじりと迫る。だが、ターフェは戦場に見合わぬ気楽さでブルーの頭を労るように撫でていた。
「私は医者だ。戦争には加担しない。だが、これは戦争ではなく、虐殺だ。違うか?」
「これも……戦争だよ。そして僕は失敗した」
「ならば次はその失敗を活かせばよい。私の見込んだ旦那様だ。出来るだろう?」
きょとんとしているブルーに、ターフェはいたずらっぽく、からからと笑う。
ターフェの医者としての誇りを、接する機会の多かったブルーは把握していた。普段はふざけているが、命を救う者としての姿勢は本物である。
他者を傷つけない。それは本心から彼女が誓っていることであり、これまでどれ程の苦戦であろうと、直接的に彼女が力を振るうことはなかった。
それを己のせいで曲げさせてしまった。
(表には出していないけれど……借りを作ってしまった)
強くならねば。ブルーは不甲斐なさを感じつつも、ようやく前向きになるための溜息を吐いた。
「わかった……僕は……この戦いに生き残れたら……二度と君に戦わせない。退路を作る。今だけは……援護をお願い」
「お? それは愛の告白かね。好感度上がったかな? 本当に旦那様になる日も近いな」
「調子のるな」
重畳重畳と頷くターフェに、ブルーは冷たい視線を向け、ぼそっと呟く。
「おおっ! 美少年のなじりはゾクゾクするなぁ」
「変態」
「そう褒めなくても」
他愛もない会話をしながらも、二名とも的確に身体は動かしている。後方を遮断する敵をかき分けながら、彼らは仲間の逃げ去った第二防衛線を後にした。
第二防衛線での苦戦が始まりは、当然にシバとクレリアは確認している。
タマは防いでいるが被害は甚大。ブルーは第三防衛線の退いている。タマもブルーが退くのに合わせて後方に退いた。
第三防衛線は両者が合流する地点もあり、シバやクレリアのいる場所でもある。
最後の一線であり、この要塞で最も堅固な作りの場所でもあった。
そこに作られている会議室の敷物にシバは横たわり、クレリアは座っている。
「良かったのですか? クレリア様」
「ええ」
伝令のコボルトが、眠っているシバの頭を大切そうに抱えているクレリアに心配そうに尋ね、彼女は短くそれに答えた。
「呼んだ者はもうすぐ揃います。ただ、戦況は悪く、短い時間しか取れません」
「わかっている。怪我人のラルフエルドへの搬送は?」
「もうすぐ終わります。夜の間に殆ど済ませておりましたので。非戦闘員も」
クレリアは頷くと、静かに呼んだ者達が揃うのを待つ。
そして、しばらくすると全員がオッターハウンド要塞の会議室へと姿を見せていた。
タマ、カロリーネ、ブルー、ターフェ、コーラル、シルキー、カナフグ。
種族はバラバラだが、モフモフ帝国の主要な幹部達である。
「ハウンドは来れねえ。あいつにゃ全体の指揮をさせてある。他の奴じゃ無理だ」
「わかった。命令は遂行させてあるな?」
「ああ。で、何故うちの皇帝様は膝枕で寝てるんだ?」
「シバ様は……仲間殺しの罪を『命令』することで全て被るつもりだった。だから、気絶させた。これは私の独断。すまない」
戸惑い、皆が押し黙る中、親指を立てて明るい大声で笑ったのはタマだった。
「さすが姐さん! シバ様は悪いことは全部自分でやろうとするからいけねえ。俺が残ってても同じことやってますぜ。それに『命令』されたらまず勝てねえ」
「どういうことだ? 見る限り普段以上の力を出せるようだが」
気難しげに顔をしかめてコーラルがタマに確認を取る。それに答えたのはシルキーだった。
「組織として戦えなくなり、無秩序な乱戦になります。それは数に勝る相手に有利です」
「ふむ、そういうことか。この状況でもお前は勝つことを考えていたか……」
「変か?」
「いや、大した男だ」
「エルキー族に褒められるたあな。おかしな気分だぜ」
タマが困ったように頭を掻き、僅かに表情を緩めてコーラルが微笑む。
「そう、数だ」
そっとシバの頭を床に置き、クレリアは立ち上がった。
「フォルクマールが手段を選ばなくなった以上、我々は選択せねばならない」
その言葉に全員が頷く。
『命令』が死すら無視する効力を持つ以上、どちらもが使えばその帰結は明らかである。それは皆、共通して考えていることであった。
「作戦は二つ。そして予備の作戦が一つ。そのために────」
クレリアの表情は無風の湖面のように澄んでいる。普段とは僅かに異なる表情。
この場で気付いているのはたった一名。
「────オッターハウンド要塞を放棄する」
普段通り、氷のように冷たく言い放つ。
敗北宣言であるにも関わらず、その言葉は戦意に満ちていた。