第二十二話 第一次オッターハウンド要塞攻防戦 戦場の歌
煌々と月の光が深夜のオッターハウンド要塞を照らしている。
森を切り開いて作られたこの要塞では、星空が良く見えた。それは、鬱蒼と木々が生い茂る死の森に住む者達には馴染みの少ない光景だ。
周囲はそれまでの激戦が幻であったかのように静寂に包まれている。
「エーゴンの旦那ぁ。何とか今日も生き残ったなぁ」
「不思議と死なないものだ。あのギルベルトですら死んだというのに」
「ハウンドでしたっけ。あのコボルト。いやはや怖いねぇ」
二日間、夜通しで続いていたオーク族の攻撃は一時間ほど前に突如止み、包帯を巻いたゴブリン、カダヤシとオークリーダー、エーゴンは配布された食事を齧りながら座って星空を眺めていた。
二名の魔物は生き残ったことを感謝しつつ、雑談に興じている。
かつての上司と部下、戦争が始まるまで流れていた気まずい空気は最早なく、ただ戦友同士の連帯感がそこにはあった。
「こりゃ勝ったのかなぁ」
「まだだな。負けを認めたなら要塞から離れているだろう。だが、奴らにそんな様子はない。それはルートヴィッヒもわかっているはず」
「懐かしい呼び方だねえ。だけど、今は」
「ああ、そうだったな。タマだ。もう癖でな」
オーク族は戦闘を控えているものの、撤退はしていない。
タマも警戒しつつ、休息を取るようにと命令している。
(勝敗を分ける攻撃が次に来る)
エーゴンは直感でそう感じていた。
そしてそれが、この戦いにおける最大の攻勢となるであろうことも。
「過ぎ去っていく季節のように我等は彩りを添えるだろう。神が一つの色に染めんとしても、魔王が一つの色に染めんとしても、屈することはない……」
要塞での守備。死地の戦い。彼に戦うことを決意させた死んだ友と同じ状況。
エーゴンは自然と口ずさんでいた。
昏いように思える詩にも関わらず、曲調は軽く、明るい。
「お、そりゃ、ラルフエルドで流行ってる歌だな。旦那は意外とお洒落だねぇ」
「友が作った歌だ。勇気の出る歌を残すんだってな」
「えっ?」
カダヤシが驚きで言葉に詰まりながらエーゴンの方を向く。
その歌を作ったのがコボルトであったからだ。オークリーダーである彼が戦争に参加した理由、それが戦死した友の代わりとはカダヤシは聞いていたが、コボルトであるとは思っていなかったのである。
パイルパーチのオークリーダーはコボルト達にとっては、ハイコボルト達を殺した憎悪の対象であるはずであった。タマのように、命を賭けて帝国の為に戦っているわけでもないエーゴンがコボルトを友と呼ぶことを、カダヤシは意外に思ったのである。
だが、そういうこともあるのだろう、コボルトだし。とカダヤシは苦笑した。
「作者は戦死したって話だが、どんな奴だったんで?」
「いつもビクビクしてる奴だった。怖がりで、戦士にも志願しなかった。普段は農具の整備をやってたんだが、俺も普通に話せるまで半年は掛かった。だけど、整備には手を抜かない奴でな。話す相手もいない俺と農具の話だけはやってたんだ」
だが、とエーゴンは言葉を区切り星空を仰ぐ。
「そいつの友……歌に曲を付けたケットシーが戦死してから、塞ぎこんでな。俺にもよく悩みを話してたんだが、結局、帝国を守るんだって戦士に志願したんだ。全く向いてなかったてのにな」
「コボルトってな妙な種族だなあ。臆病な癖に、くそ頑固だ」
「ああ。そんな奴が赴任先のウィペット要塞で矢が尽きた後、持ち場を守るために死んだ仲間の武器を持って、死ぬまで戦ったらしいんだ。臆病者らしく、さっさと逃げりゃいいのによ」
「そうかぁ」
カダヤシは上手い言葉が思い浮かばず、ただ頷く。エーゴンも一度黙り込み、沈黙の時が流れた。そして、時間を掛けて溜息を吐き、彼は重々しく呟く。
「あいつはオーク族を恨んじゃいなかった。ただ、全ての種族と共存しようとしている自分の国を守りたかっただけだ。それが同族と戦うことを意味していたとしても。俺にはそれが理解できなかった」
「今は?」
そう言ってからカダヤシは顔をしかめる。その問いは聞いてしまった彼自身の疑問でもあった。彼もまた迷いを持っている。数年戦おうともそれは変わっていない。
ただ、他集落とのつながりが薄いゴブリンだから割り切れているだけだ。
エーゴンはカダヤシに何も答えなかった。カダヤシも星空を見て苦笑する。
「幾多の絶望に染めんとしても、一つの希望を忍ばせる。楽園の始まる場所を忘れぬ限り……って、その歌こう続くんだよな。なんかコボルトらしい地味な歌だぜ」
「よく覚えているな」
「俺も好きなんだ。稚拙なんだが、どうしてかな」
包帯を巻いたゴブリンは続きを歌い続け、やがて傍に座るオークリーダーも照れくさそうに笑うと、合わせるように歌い上げる。
”全てを焼きつくす、紅の夏が訪れたとしても”
彼らの歌に周囲の戦士達も楽しそうに声を上げ、徐々に、ゆっくりと要塞中に歌声は広がっていく。
”全てを凍らせる、純白の冬が訪れたとしても”
「確かにあいつの生きた証は残っている」
「くけけ! みんな、楽しんでやがるねぇ。歌ってる奴らの顔が目に浮かぶぜ」
”希望を持って前を見よう。臆病風に吹かれても、心は決して屈せぬように”
ゴブリンとオークリーダーだけだった歌にどこからともなく、コボルトの歌が混ざり、ラウフォックスとケットシーがバケツをひっくり返した即席のドラムでリズムを付ける。そして、ビリケ族が低い声で歌い、バルハーピーが高音を担当し、彩りを添えていた。
それを聴く者達はそれぞれの想いを持って、耳を傾ける。
”出会いという名の奇跡はきっと起きるのだから”
「クレリア」
「はい」
己の理想を目指す皇帝と、その剣は寄り添って笑みを零し、
”胸を張って理想を語ろう。きっと誰かが理解してくれるから”
「風情があるねぇ。楽しい痩せ我慢だ」
「お酒が欲しくなるわね。ここに置いていないかしら」
最も視線をくぐり抜けたオークリーダーが口の端を上げ、傍らで柵に腰掛けている背の高い赤髪の美女が勿体無いと首を横に振る。
”諦めずに剣を取ろう。意思ある限り折れることのない剣を”
「まだ……僕達は戦える」
長い防衛戦に疲労の極みにあった皇帝の盟友である青い髪の少年は、再び生気を取り戻し、
”全てを染める者に、我等を染めることの困難さを示すために。全ての悪意に打ち勝つために”
「ハウンド、これも作戦?」
「そんなわけないだろ。シルキー。こんなの僕の計算にはない」
”奪うためではなく、大切なものを守るために”
傷付き、戦いに疲れていた戦士達も闘う目的を思い出し、衛生兵の元で休んでいた負傷者達も武器を片手に立ち上がっていく。
そんな中、モフモフ帝国の参謀達は、予想外の出来事に苦笑いしていた
歌声は当然、オーク族の元まで響いていく。
「部下達が騒いでいます。何故歌が……」
「儂達は初めから分の悪い戦いを挑んでいたのかもしれぬな」
疲れきって瞳にも覇気のない少年のハイオークが力無く呟き、最前線に出ることを余儀なくされた老境のハイオークは苦々しく歯を食いしばっていた。
ハイオーク、ギルベルトが戦死し、ショックから立ち直れずにいるルーベンスを支えているアルトリートは狙ってか偶然か奏でられたこの歌の効果を正確に把握している。
オーク族にとって、様々な種族が一つとなって歌うこの歌への驚きは、モフモフ帝国側の比ではなかった。それはすぐに全軍の動揺という効果を生み出していく。
その動揺は、オーク族すらも肩を並べて歌を歌っていることへの驚きからだけではない。
細い糸の上を歩くような戦いの中、オーク族はいつ終わるともしれない戦いを、相手が屈服すると信じて戦っていた。だが、この『歌』は重なる戦闘で疲れきっている自分達とは違い、事実はどうであれ、相手には余裕があると錯覚させるに十分な効果を発揮していたのである。
アルトリートがかろうじで部下から逃亡者を出さなかったのは、オーク族の長老としての手腕と威容の賜物であった。
その彼をして、苦い焦りを抑えることは出来ていない。
「またあの犬どもの小細工か!」
別の場所では隻眼のハイオーク、クレメンスが怒りの声を上げている。彼は恐怖によって……逃亡兵の殺害を命じることで、動揺する部下を押さえつけていた。
怯える部下に苛立ちを隠せず、クレメンスは近くの戦死者を蹴り飛ばす。
「違うな。これが謀略であれば、全面攻勢に出ているはずだ。そうなれば敗北は必至。最早戦闘にはなるまい。いつまで遊んでいる。本陣に行くぞ」
方面の責任者であるオーク族幹部の武芸の師、ベルンハルトはそんなクレメンスを見ても眉一つ動かさずに淡々と彼に付いてくるように命じていた。
「どうするんだ? 先生」
「撤退を進言する。あの要塞は何日掛けようが落ちない」
「だが、コンラートがっ!」
「アルトリート殿の受け持ちに、『あの』ゴブリンの姿がないそうだ。こちらにもな。ようするにコンラートも苦戦しているということだ」
「いや、それでも戦うべきだ! まだこっちの方が数が多いんだ。腕が無くなろうが、足が無くなろうが最後には奴らの首を食い千切ってやればいい!」
「お前はそれでいい。その執念こそがお前の強さだ」
クレメンスはベルンハルトに怒号を浴びせたが、ベルンハルトは静かに受け流し、小さく笑うだけだった。
(信じられぬ光景だな)
死の森に住む全ての種族が奏でた歌は、オーク族の魔王候補、フォルクマールの元にも届いている。オーク族の本陣で、多くの幹部が動揺する中、彼は顔色一つ変えずに押し黙りながら、心の中でそう感嘆していた。
同じ魔王候補であるが故に、目の前の出来事の困難さを、フォルクマールは誰よりも理解していたのかもしれない。ただ、それでも彼は落ち着いている。
そんな魔王候補を周囲の者達は全て、いや、ただ一名を除いて困惑しつつ、取り巻くように見ている。
諦観しているわけではないことは明らかだった。
フォルクマールの瞳には苦戦しているにも関わらず、狂気すら感じさせる力が込められており、以前の冷徹で有能だが、ともすれば無気力にも見えていた主とは明らかに異なる、覇気に溢れる微笑を浮かべている。
どちらかの魔王候補が屈服しない限り戦いは終わらない。
フォルクマールの表情は、周囲の者達に恐怖を与えるのに十分なものであった。