第二十一話 第一次オッターハウンド要塞攻防戦 託された命の重み
戦場、オッターハウンド要塞では夜が明け、二日目を迎えている。
途切れることなく戦っているわけではないが、両軍昼夜を問わず戦い続けており、どちらにも疲労の色は濃い。
「まさか、こっちが先に一枚抜かれちまうとはな」
「申し訳ありません」
「ハウンド、お前は良くやっている。流石はアルトリートの爺さんってことだろ。伊達に歳は喰ってねえな。やっぱ」
第二防衛戦で頭を掻きながら苦笑いするタマにハウンドが頭を下げる。コボルトの射手であり指揮を主に担当しているハウンドには怪我はないが、タマは鎧もボロボロ、無数の傷を負っていた。
だが、それでも尚、歯噛みしているハウンドに比べれば彼の表情には生気が満ちている。
くぐり抜けた死線の数々は確実に危地に対する耐性を彼の身につけさせていた。
「しかし、シバ様の力を借りてしまったのはまじいな」
「何故ですか? フォルクマールに比べて、シバ様は能力を温存していらっしゃいます」
疑問を口にしたハウンドにタマは小さく首を横に振る。
「これまで能力を使っていないフォルクマールに比べて、シバ様はゴブラーで俺達を助けるために力を使ったからな。あれは言ってみれば誤算。誤魔化しちゃいるが相当消耗しているはずだ。だから、この戦いでは全力はだせん」
「あ……」
「気にするな。完璧な作戦なんてねえんだ。だが、今度は俺達の番だぞ」
「はい」
神妙に頷いたハウンドの背中を叩き、タマは満足げに笑うと、眼を細めてオーク族が守りを固めている第一防衛線を見つめた。
「問題はハイオークか。こちらに来ているのはギルベルトとルーベンス。そして、爺さん。ルーベンスは未熟だが、ギルベルトは厄介だな。奴が前線にいると士気が違う」
「どちらのハイオークも慎重です。こちらの思惑に中々乗りません」
「どっちかというと猪突な性格だと思ってたんだがなぁ」
タマが裏を掻かれたのは、過去のハイオーク達を知っていたのも原因である。
ギルベルトとルーベンスがクレリアに遭遇したということを、彼は知らなかった。彼らはクレリアという恐るべき例外を知ったがために、慢心を捨てていたのである。
そのことにより彼らは積極性を失う代わりに、戦場における冷静さを身に付けていた。
「大丈夫です」
淡々とした口調でハウンドは呟く。
彼も疲労の色が濃いが、瞳は澄み渡っていて、茶色の毛並みもしおれておらず、耳もピンと立っていた。
「カロリーネの予備部隊が到着次第、反撃に移ります」
「ふん……なるほどな。何か考えがあるんだな?」
「相手の最大の強みは最大の弱点と成りえます。チャンスは一度」
「よし、任せる」
簡単に打ち合わせをすると、タマは今にも崩れそうな最前線へと身を躍らせていく。
そんなタマの背中を見送りながら、ハウンドは自分を庇ったラウフォクスの少女から、要塞の守備隊を通じて託された短剣を握り締めた。
ハウンドもコボルトの例に漏れず、根本では臆病である。
しかし、彼はこの激戦でも萎縮することは一切なかった。
(負けることは許されない)
結局、彼女はこの要塞までしか持たなかった。
力なく横たわる彼女と対面し、短剣を受け取った時、ハウンドは腹を括ったのである。
「嘘吐きのブリス。大バカのエツ……お前らが約束を破っても僕は約束を守るからな」
かつての同僚達の命の重みをハウンドは感じていた。
そして、それだけの価値が自分にあることを証明するために指揮を取り、策を練り続ける。彼らが帝国に必要な者だというならば、命を託された自分はそうならなくてはならないのだ。
「ここからだ。まずはあいつ」
彼の視界にはルーベンスの軍勢と戦っているタマの姿が映っていた。傍には余裕の表情のハイオークの美女が彼の指示を待っている。
「カロリーネ。ルーベンスを狙え。ただし……」
「ただし?」
「殺さないで欲しい。でも、奴に苦戦させてくれ。なるべく動きを小さくしながら……難しいかな?」
戦力の偏った運用。
脅威の薄いルーベンスへの攻撃の集中。殺すなという指示。
「理由はわからないけれど、任せなさい」
カロリーネはハウンドの真意を理解できず、きょとんとしたがすぐに頷いた。
彼女が去ると、ハウンドは伝令のコボルトにある命令を下す。
(感情を利用する外道な手だ。だが、僕は勝つためならなんだってやってやる)
それが済むと、彼は苦戦するであろうギルベルト側の戦士を抑えるために、指示の出し易い前線へと駆け出した。
タマの指揮するルーベンス側の前線では小さな穴から侵入を図ろうとするオーク族と、帝国との間で激戦が繰り広げられている。
ここもまた、フォルクマールの能力で攻め口が作られているが、彼の能力の使用回数にも限界がある。自然、攻められる場所は少なく、その場所は両軍の魔物で溢れることになる。
そんな中、帝国に所属するある背の高いオークリーダーとゴブリンもまた、必死の戦いを続けていた。二名とも軽傷は多いが、余力は残している。
「エーゴンの旦那、えらいやる気だねえ。おっとありがとう」
「カダヤシ。無駄口叩いている暇はなさそうだぞ。体力も無くなる」
「いやいや、そうしないと逆に死にますって」
黙々と槍を振るう巨体のオークリーダー、エーゴンが、カダヤシを側面から襲おうとしたゴブリンを叩き、吹き飛ばす。
カダヤシは礼を言いながらも軽やかにキジハタ仕込みの剣を振るっていた。
彼ら二人は元々コンラートの部下だったが、パイルパーチの陥落時に降伏している。
その際、カダヤシは帝国軍に志願したが、エーゴンの方はごく最近、軍に志願していた。後に違う立場で再会した二名は共にタマの部下として、激戦をくぐり抜けている。
エーゴンが軍に参加しなかった理由は単純なものだった。
ただ、同胞と殺し合うのが嫌だったのである。帝国がそれを許したこともあり、彼は農作業に従事し、戦争が終わるまで静かに過ごすつもりであった。
だが、彼は戦場に立ち、武器を振るっている。
(何をやってるんだかな)
そうもエーゴンは考える。今相手をしているルーベンスは彼にとっては同郷のハイオークで、所属する集落の長の息子だった。
特別、この少年に親しみも恨みもない。というより彼がパイルパーチに赴任した時、ルーベンスは幼少であり、付き合いもなかったため、どんな思いを持つこともなかった。
ただ、先頭に立ち、必死に味方を鼓舞している少年を見ると、いいリーダーに恵まれたなとは思う。場合によっては少年を助けるべく、彼も戦っていたのかもしれない。
「むっ!」
「裏切り者がっ!」
ゴブリン達を掻き分けて憎悪に顔を歪ませたオークが槍を振るう。
だが、エーゴンは落ち着いてそれを払い、逆に突き返した。
幾度もの戦闘を生き抜き、気が付くと煩かったカダヤシが黙っている。
それを心配し、ちらりと彼のいた方向を向くと、カダヤシのいる場所にルーベンスが突貫し、彼の命を刈り取ろうとしていた。
身体は勝手に動いていた。即座に駆けつけると、ルーベンスの剣を槍で受け止める。
新手の登場に少年のハイオークは一度距離を空けた。
カダヤシは武器を落とされており、エーゴンが動くのが数瞬遅ければ、命を落としていたに違いない。仲間を助けられたことに、エーゴンはホッと息を吐く。
だが、状況は好転していない。
周囲の味方は少なく、それでも突破されると他の仲間が窮地に陥る。
(敵わないな。さすが、ハイオーク……っ)
子供でも膂力は高く、身のこなしも恐ろしく速い。
エーゴンは必死に相手の剣を防ぐ。
状況は更に悪化していく。ルーベンスを守らんと、配下のオーク達が奮闘を始めたのである。それにより、エーゴン、そして戦死者の剣を拾い、戦闘に復帰したカダヤシの援護をする者が減っていった。
一撃一撃が重い。悲鳴と咆哮、剣戟の音が響き渡る戦場でエーゴンは生き延びるために、痺れて感覚が無くなりつつある腕を必死に動かす。
「僕……俺は……負けない! 裏切り者のオークリーダー、死ね!」
「ぐぅぅっ!」
ルーベンスがエーゴンよりも小さな身体を活かして懐に忍び込み、膝を入れる。
踏み込みも深く、エーゴンは大きく吹っ飛ばされた。
仰向けに倒れ、激痛と嘔吐感で咳き込みながら、エーゴンは諦めて眼を閉じる。
(そうか、同じなのか。コボルト族も同胞を殺している。嬉しさなど何もない戦いになることも覚悟して……『あいつ』はそれでも守りたかったのだろうか)
瞼の裏に亡き友の姿を見ながら、その時を待っていた。
だが、死の感触はいつまで経ってもこない。
エーゴンに死を与えようとしていた少年のハイオークは、彼と戦っていた時以上に厳しい表情で新しい敵手と剣を交えていた。
「久しぶりね。ルーベンス。腕は上がったかしら?」
「く、カロリーネっ!」
目が覚めるような明るい赤髪の美女は、無造作に巨大な剣を振るいながらエーゴン達に一度退くように指示し、自らの部下を代わりに入れ替えていく。
休息を取っていた元気な援軍に、今度はルーベンスの手勢が押され初めていた。
カロリーネとルーベンスの戦いもカロリーネの優位に進んでいる。
(カロリーネ様はあんなものではない。遊んでいる?)
しかし、それを見ているエーゴンは何か腑に落ちぬものを感じていた。彼女は戦いを楽しむが手を抜いたり遊んだりする者ではない。
不自然な優勢は続いていく。カロリーネがルーベンスに向かっているにも関わらず、ギルベルトも上手く守られ、攻めきれてはいない。
「エーゴン、気をつけろ。来るぞ! げ、逃げろっ!」
「ギルベルトっ!」
カダヤシの悲鳴でハイオーク、ギルベルトの接近に気付き、その獲物である鉄棍をかろうじで避ける。
「どけ! 邪魔だ。一度退くんだ! ルーベンスっ!」
ギルベルトはエーゴンを無視すると、そのままカロリーネの方へと走っていく。
彼は短時間で突破できないことを悟ると軍はそのままに、単騎で追い詰められているルーベンスに助勢し、態勢を立て直すことを狙ったのである。
エーゴンは焦っていた。カロリーネといえどもハイオーク二名を相手には出来ない。
「カロリーネ様! ギルベルトが!」
「おい、エーゴン!」
命令通りに退いていたカダヤシに目もくれず、大声でカロリーネに声を掛け、彼女を援護するべく走る。だが、彼女は余裕の笑みを浮かべ、距離を空けたルーベンスを放置して、力任せの鉄棍の一撃を受け止めた。
大剣と鉄棍の間に火花が散る。そしてその瞬間。
「ガハッ! グァァァァァァァァッ!」
ギルベルトが悲鳴を上げる。
エーゴンはその光景に唖然としていた。
死を振りまく圧倒的な実力を持つハイオークが苦悶の表情を浮かべている。
当然だ。
「なるほど、そういう意味だったのね。ルーベンスは餌で本命は……この角度なら確かに私には当たらない」
カロリーネが悲痛な表情を浮かべ、無抵抗なギルベルトの首を落とす。
彼の背中からは通常の矢よりも遥かに巨大な、まるで槍のような矢が斜めに貫通していた。
完全に予測されたバリスタによる狙撃の一撃は正確にギルベルトを貫いていたのである。
基本的にオーク族は親密な部族同士で軍を構成している。
ハウンドは降伏した者達から情報を集め、そうした部族関係やそれぞれの幹部の性格を把握していた。
彼は様子を見て、ギルベルトが動かなければルーベンスをそのまま殺させるつもりであった。
ハイオークは目立つ存在であるが故に、自らの居場所の隠蔽が困難であり、ハウンドはその不利を最大限利用したのである。
二日目の防衛戦に置いて、ハウンドはようやく罠を成功させ、ハイオーク、ギルベルトを戦死させた。だが、アルトリートが前線に出てギルベルトの部下を即座に掌握することで、戦線の崩壊を防いでいる。
ブルーの守備する第一防衛線は、ベルンハルトの攻撃により陥落。こちらも第二防衛線に戦場を移していた。
その第二防衛線でもいつ陥落してもおかしくない薄氷の防衛を続けている。
ハイオークが倒れても戦闘は終わらない。
激戦は夜が更けてもまだ続いていた。