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もふもふ帝国犬国紀  作者: 鵜 一文字
三章 逆襲の章
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第二十話 第一次オッターハウンド要塞攻防戦 要塞外の戦い




 森の空気が変わったことを、その場にいる全ての者が理解していた。

 八十名程のゴブリンと、十名のコボルト、全体の軍から見れば僅かな部隊。それがモフモフ帝国の中で最も戦歴を持つ『剣聖』キジハタの全戦力である。



「始まったな。良かったのか? お前が要塞に行かなくて」



 迷彩服を着込み、覆面を付けた黒い毛並みのコボルト、『隠密』ヨークは傍で巨木の根に腰を掛け、目を閉じているキジハタに問い掛けていた。


 キジハタはモフモフ帝国で皇帝とクレリアを除けば、最も名が通っている。


 ハイゴブリンどころかゴブリンリーダーですらない彼は、『ただのゴブリン』では有り得ない個人的な武芸を持っているが、それだけでなく当初のクレリア計画では、オッターハウンド要塞での司令官を務めるのも彼に決まっていたくらいに、軍を率いる能力も評価されていた。


 しかし、彼はその席をタマに譲り、彼自身は要塞の外で闘う遊撃隊に志願している。

 その部下達は選別された手練であったが、彼が率いるには僅かな数と言えるものであった。


 ヨークの疑問にキジハタは答えず、装飾の入った鞘に収められた剣を手に黙って立ち上がると、一言だけ呟く。



「拙者は自身の最善を尽くすのみ」

「なるほど、その最善がこの場所なわけだ」



 ヨークは腕を組み、小さく笑う。

 彼の部下である十名のコボルトは周囲の探索を続けている。



「敵にはパイルパーチ出身の者もいる。そいつらを自由に動かさせないためか」



 彼らの待機している場所はオッターハウンド要塞の南東。一度、首都であるラルフエルドに戻った彼は部下を再編成し、自らが率いるものと要塞に向かう者とに分けた。


 そして、要塞が守りに集中できるよう、今の場所で待機している。



「しかし、来ると思うか?」

「コンラートは必ず来る」



 断定する。キジハタの戦士としての勘は、間近に敵は迫っているのだと告げている。

 そして、彼はそれを迎撃することに神経を集中させていた。


 別働隊として、攻め込んでくるならば土地勘が必要。

 ならば、来る相手は予測は出来る。


 一剣士として、かつては剣を交える前に明白に負けていた相手との再戦は、剣に生きるキジハタにとって、心躍るものであるはずであった。

 だが、今、彼の心は自らが困惑するほど凪いでいる。


 強者との戦いに気持ちが動かない。

 確かに寿命の短いゴブリンにとって五年の歳月は長く、彼は老い始めている。しかし、強さへの渇望は若い頃よりも遥かに強い。


 もっと早く、もっと効率的に。

 もっと正確に、もっと洗練させる。


 剣の追求には果てはなく、毎日が発見の日々。

 なのに、『使う』ことには何も感じない。


 キジハタがタマに司令官としての職分を渡したのは、自身にそんな迷いがあったからである。そして、そんな個人的な迷いを持っているからこそ、自身よりタマの方が大軍を率いるのに向いている……そうも考えていた。

 それ以上に、あのカラッとした陽性の性質はキジハタには持ち得ぬモノであった。



「結局のところ、拙者はただの剣士なのだ」

「昔から変わらず……か。お前を新しい族長にって声も上がっているのにな」



 ヨークが声を殺して笑う。彼らの付き合いも早数年になる。

 コボルトとゴブリン、種族を超えて彼らはお互いを認め合っていた。



「おっと、見つけたか。流石の読みだな。こういう戦いも久しぶりだ」



 時を置かずしてヨークの部下から遠吠えが上がる。



「援護は任せる」

「ああ、俺達コボルト探索隊が偵察だけじゃないってところを見せるぜ」

「知っている。行くぞ」



 キジハタは気負うことなく部下達に出発を促す。

 オッターハウンド要塞の攻防の影で、もう一つの戦いの幕も静かに上がっていた。



 オッターハウンド要塞の攻防から離れ、子飼いの部下を率いて後方攪乱を行おうとしていたハイオーク、コンラートは先行する偵察隊の位置から上がった遠吠えを聞き、その任務が容易なことではないことに早々に気付いていた。


 彼に付き従う参謀のコボルトリーダー、バセットは相手の厳重な警戒に驚きつつも、冷静に偵察隊に一旦退くよう、合図を送っている。だが、その主であるコンラートの表情は固い。



「間に合わねえだろうな。生き残りは救出する。急げ」



 一撃離脱。相手の眼となる偵察部隊を狙い、本隊の位置を把握しながら相手の戦力を削る。それがキジハタの戦術であった。

 バセットは相手の思惑に気付くや、囮や罠を張り巡らせ、優位な条件で直接対決に持ち込もうとしている。だが、両者共の忍耐強く慎重に動いており、多大な損害を出さぬよう、神経を削り合っていた。



「後方の襲撃の備えはそれなりの奴が来るとは思っていたが、当たりを引いたな」

「手強いです。不用意に進めば引き釣り込まれます」



 表情を消したまま、コンラートは呟く。ただ、その声色は難敵との戦いを前にした高揚からか、愉快そうな色が混じっていた。



(これだな。間違いなく、俺が求めているものは)



 部下を率いての集団戦。

 どちらにとっても敗れるわけにはいかない戦いだ。

 モフモフ帝国としても、オーク族としても、この戦いの結果如何で優位が動く。


 小規模ではあるものの、数年前、クレリア・フォーンベルグに敗れてから求めてやまなかったもの。自らが主導する神経を削り、一瞬の油断で死地に陥る緊張感溢れる戦い。


 彼自身の生きる意義。



(これが俺の本当の始まりだ)



 コンラートは口の端を僅かに上げる。

 ハイオークとして生まれ、才に恵まれ、そしてそれに飽いていた。そんなコンラートが生まれて初めて抱いた渇望。それが戦争であったことを彼は心の底より感謝していた。



 一両日以上続く、幾度もの小規模な戦いの後にようやくコンラートは敵の指揮官と対峙していた。

 お互いの部下は大きく数を減らし、無傷の者は半数を切り、それでも尚、戦い続けている。



「有能な敵だとは思っていたが、お前だったか。久しいな」

「拙者の勝ちだな。コンラート」

「ほう……」



 小柄なキジハタは巨体のハイオークであるコンラートに対して正眼に剣を構え、静かにそう、宣言した。コンラートは困惑するでもなく、楽しそうに声を漏らす。



「最早、残る戦力でラルフエルドを落とすことは出来まい」

「さて、どうかな。何もお前らの首都に固執する必要はないしな」



 一定の距離を取り、コンラートは大剣で肩を叩きながら笑う。


 遠い間合いはキジハタに不利。

 キジハタの傍に立つヨークはそう判断し、コンラートの傍に控えるバセットを牽制しながら、キジハタを援護するべく、隙を伺っている。


 だが、キジハタは迷うことなく相手の間合いに踏み込んだ。

 狙いは喉。



「むっ!」



 必殺の突きを大剣の柄でかろうじで弾き、コンラートは自らの油断を悟る。

 容易には反撃に移れぬ防戦。かわし、払い、受ける。


 一撃一撃、鋭く、的確に急所を狙う。

 キジハタの剣の切先が首筋を浅く裂き、頬を掠めた。


 間合いは既に零に近く、小柄な彼が巨体を誇るコンラートを相手に優位に持ち込んでいる。

 無数の斬撃を繰り出してもキジハタの姿勢は崩れることなく、その所作に隙はない。



「……っ」




 バセットが思わぬ主の窮地に、叫ぶのを押し殺す。彼女はそれでも、ヨークから眼を離さない。僅かな隙が致命傷になりかねないと気付いたから。


 コンラートは冷たい汗を背中に感じながらも、笑みを零す。



「非力なゴブリンに生まれさえしなければ、俺にも勝てたものを!」



 切り上げた一撃をコンラートは受け止めると、剣を引かれる前に力任せに吹き飛ばした。キジハタは勢いに抵抗せずに受身を取り、体勢を整えて剣を構える。

 その構えに揺らぎはない。



「拙者は非力に生まれたことを感謝している」



 最早コンラートも油断は捨てている。

 両手剣を構えて真っ直ぐに向かい合い、お互いに隙を伺う。



「生まれや才能など関係はない。それを証明することが出来るのだ」

「ふふ、なるほどな。その身で体現しているお前であれば、その言葉も納得できる。だが、お前は一つ忘れていることがあるぞ」



 目の前のゴブリンがある種、自分と同じ渇望を持つ者であるとコンラートは考えていた。

 形は違うが飽くなき強さへの想い。


 仲間を見るかのような好意の笑みを見せながら、コンラートは続ける。



「証明するためには強者を倒さねばならん。今、この死の森において現時点で最も強い者は誰だ? アルトリートか? ベルンハルトか? 俺か? 違うな。フォルクマールとクレリア・フォーンベルグだ。だが、フォルクマールの力は所詮は借り物。剣技という点では稚拙というより他はない。お前が剣を磨き、最強を目指すのであれば、倒さねばならない相手はただ一人」



 魔王候補の眷属としての能力と圧倒的な剣技、軍を率いる能力を兼ね備えた女。

 モフモフ帝国を作り出した者。



「クレリア・フォーンベルグではないか。キジハタ。お前は俺の部下になれ。俺に仕えるならば、奴と一番に闘う権利をくれてやろう。お前は自らの最強を証明しろ」



 かつてキジハタ自身が破れた相手。

 彼はようやく気付いた。


 己自身の望みを知らなかったことに。

 そして、その中身に。


 キジハタはコンラートにただ、微笑んだ。



「愉快な冗談だ」

「俺は本気だ。俺にはお前が必要なのだ」



 相手の目を見据え、コンラートは重ねてそう言った。

 だが、キジハタの表情は動かない。



「拙者の剣は正の剣。正しき道を指し示す為の剣」



 夕刻の光が森の木々の隙間から漏れ、キジハタの剣を紅く照らす。

 長く彼を惑わせていた迷いは澄渡る空のように晴れていた。



「お主に正道はない。あるのは全てを死に誘う、死霊の道だけだ」

「それの何が悪い? 戦いこそが我々戦士の生きる意味ではないか」



 キジハタは首を横に振る。



「師は人でありながらゴブリンである拙者にこの剣と技を残した。ならば拙者は正統を受け継ぐ者として、錆の無い、曇りなき心を持ってそれを後進に伝える義務がある」



 かつて、錆を落とした剣と共に受け取った言葉だった。

 彼はそれを信じ、己を鍛えてきた。



「ゴブリンの寿命は短い。拙者は恐らくクレリア殿を超えることはないだろう」



 その言葉に卑下はない。

 自信に溢れるその言葉に、コンラートは静かに聞き入っている。



「だが、全ての同胞達に希望を……修練を積めば不可能などないことを教えることは出来る。それこそが拙者の役割。曇りなき剣の道。生きる意味。敵ではなく、己に克ち続けることこそに意義がある」



 勝負を決めるべく、キジハタは腰を落とす。

 先ほどの攻防で決着できなかった時点で、不利は承知していた。


 それでも、キジハタに退くという選択肢はない。



「何れ我が心を受け継ぐ者の中から、クレリア殿を超える……いや、魔王すら倒す剣士が生まれるであろう。拙者の剣はそのための土台なのだ」



 目の前のゴブリンが己とは似て非なる存在であったとようやく理解し、コンラートは苦笑して距離を取る。相打ち狙いに付き合う気は毛頭彼にはなかった。



「正道を歩まぬ者に仕える気は無い」

「くくっ……つまらん奴だ。バセット、時間と兵力の無駄だ。一旦退くぞ」



 意図を挫かれたにも関わらず、コンラートには悔しさはない。

 モフモフ帝国の主要幹部を釘付けにしていることには代わりはなく、それだけでも要塞戦に影響はある、そして隙あらば倒せばよい。


 猶予はある。そう彼は考えていた。




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