第十二話 ハリアー川撤退戦 クレメンスの追撃
「対処が早い。楽には勝たせてくれねえか」
絶妙のタイミングで、相手の側面を突くことに成功したタマ達帝国第二軍だったが、相手は混乱することもなく、さらに前面に出てきたオークの部隊に攻撃を阻まれ、苦々しく舌打ちしていた。
防御を選択したベルンハルトは、膂力に優れるオーク族の部隊を集中的に使うことで壁替わりにし、残りの部隊をキジハタに当てている。
「お前ら! 敵はもう一息で崩れる! 踏ん張れっ!」
しかし、キジハタの第一軍とタマの第二軍を合わせればベルンハルトの戦力を超えており、事態が推移すれば、勝利は自ずと手に入る……タマはそう考え、必死に味方を鼓舞していた。
だが、攻撃はすぐに中断されることになる。
原因は、タマ達のさらに後方から襲いかかったクレメンスだった。
後方からの悲鳴で、タマは逆に挟撃を受けたことを悟ると、声を張り上げる。
「雑魚はどけぇ! ルートヴィッヒ! どこだぁっ!」
「撤退だ! エツは先頭に行け! 殿は俺がやるっ! ちっ……たく、しつこいぜ」
暴れるように槍を振るうクレメンスの姿を背中に確認し、タマは苦笑いして悪態を吐いた。クレメンスの軍は少数になっていたが、将である彼は戦いを諦めず、執念で追撃を続けていたのである。
モフモフ帝国軍が撤退すると、オーク族は追撃を開始した。
帝国第二軍を後方から襲撃したハイオーク、クレメンスは即座には追撃をせず、ベルンハルトの副将、オーバンの後ろに付いている。
「よろしいのですか?」
「くくっ。奴らを狩り尽くすのは俺だ。これで正しい」
「はっ……?」
困惑している自らの副官に、クレメンスは口の片端だけを吊り上げ、絶対の自信を込めてそう答える。彼の表情には復讐への悦びの色が濃く表れていた。
「わからんか? ルートヴィッヒの部下の犬どもが僅かしか戦場にいなかった」
「あっ……!」
ベルンハルトを襲っていた帝国第二軍との戦闘を思い出したオークリーダーが驚きの声を上げ、クレメンスは結論を続ける。
「待ち伏せだ。同じ手に何度もやられてたまるか」
「オーバンに伝えなくては」
「馬鹿を言うな。あいつらがやられている間に犬を狩るぞ」
木々の隙間を縫うように走りながら、クレメンスは自分の部下だけに待ち伏せへの警戒を伝え、後方で静かに味方を追う。
森の中の僅かに開けた地点にオーバンが侵入した瞬間。
「撃てっ!」
先頭を走るオーク達に無数の矢が集中し、数名のオークが悲鳴を上げながら倒れる。この瞬間を待っていたのはクレメンスも同じだった。
「こいつらの要はルートヴィッヒじゃねぇ……あいつだ。ゴブラーで小賢しい動きをしていたコボルト……」
彼はオーバンに集中するタマを放置し、大きく迂回してコボルトの射手を狙う。クレメンスは射手隊に命令を下している、落ち着き払った茶色いコボルトを獲物と定めていたのである。
寸でのところで何度も攻撃を防がれ、自らに屈辱を与えた相手の顔を彼は決して忘れてはいなかった。
「舐めるなっ! 犬っころどもがっ!」
「なっ、クレメンスっ!」
先陣を切り、他のコボルトの矢を槍で打ち払いながら、クレメンスはハウンドに迫る。両手で彼は勢いよく槍を振りかぶり、頭を割らんと振り下ろした。
一瞬の出来事にハウンドは恐怖で立ち尽くし、小さく声を漏らす。
「……ぁっ!」
ハウンドの視界が赤に染まる。だが彼に痛みはない。
出血の元を慌てて彼は探る。
ハウンドの顔の前には、ラウフォックスの少女の苦しそうな笑顔があった。
「ハウ君……無事……よかっ……」
呆然と立ち尽くすハウンドの前でブリスは崩れ落ちる。
邪魔者に舌打ちしつつも、再度ハウンドを狙ったクレメンスだが、今度はゴブリンの斬撃に、槍を止められた。
「馬鹿な。何故ブリスが……僕を……」
「ハウンドっ! しっかりしろ! ブリスを連れて逃げろっ!」
異変を察し、部下のゴブリンを連れてエツはハウンドの援護に入る。
だが、ハウンドは動けない。
「ブリスを殺す気かっ! 諦めるな……ここは俺が食い止める!」
「あ……エツ……くそっ!」
迷ったハウンドだったが、歯を食いしばって頷き、仲間のコボルトと共にブリスを担ぐと森の奥に向かって逃げる。
「逃がすかよぉ。散々好きにやってくれやがって。皆殺しだ!」
「お前は正しい。あいつを狙うなんてな。ハウンドは武器を振るうしか出来ない俺より遥かに優秀だ」
クレメンスの槍をエツは木々を利用しながら避けていた。身体の小さいゴブリンが、オーク族と戦う場合の基本。キジハタの教えを忠実に彼は行っている。
「あいつは、お前達にとって死神になるだろうさ」
「手前を殺して、どこまでも追いかけて殺してやる。安心して死ね」
「そりゃ、無理だな。ハウンドは凄いんだぜ。なんせ俺の戦友だからな。最高のチャンスに殺せなくて残念だったなぁ! くははっ! あいつが逃げ切るまで、俺に付き合ってもらうぜ!」
憎悪で顔を歪めながら槍を振るうクレメンス。
エツは自信に満ちた笑みを浮かべながらそれを迎え撃つ。
「ゴブリンがなんで犬っころのために体張るんだ!」
「ふん、仲間のために命を賭ける。それが俺達、剣士の生きる道だ!」
「おおおおおおおっ!」
コボルト達の退却を助けるためにエツと共に切り込んだ十数名のゴブリンが、同調して鬨の声を上げる。率いるエツの言葉が正しいと肯定するように。
一時間後、タマ達はキジハタとの合流地点に先に辿りついていた。
追っ手は既にない。
弓による不意打ちに乗じてタマが指揮官であるオークリーダーを打ち取ったこと、クレメンスに特攻したエツの奮闘がそれには影響している。
タマは、混沌とした戦場でエツの苦境には気付けなかったことを知り、己の失敗を悟って顔をしかめていた。追撃するオーバンを討つことに集中していた彼は、倒すや否やクレメンスが現れる前にと予定通りに撤退の指示を出し、軍をまとめて引いてしまったのである。
エツの姿は小休止を取る彼らの中にはない。
退却の声も彼らは無視し、彼等は最後まで敵を食い止るために戦場に残り、消息を絶っていた。
ラウフォックスのブリスも右腕が半ばからなく、太腿まで大きく切り裂かれている。
足も皮一枚、かろうじで繋がっているだけ。明らかに重傷であった。
「キジハタの旦那に位置を知らせるついでに、ビリケ族を呼んだ。ブリスはラルフエルドに移す。あそこにはエルキーの医者がいるからな」
力無くブリスの傍に座り込んでいるハウンドの肩をタマは叩き、軍の再編のために離れていく。だが、ハウンドは全く反応しない。
ハウンドは仲間を失うことには慣れているはずだった。
だが、自分の失敗で仲間を失い、また、命に係わる重傷を負わせることになってしまったことに対して、彼は平静ではいられなかったのである。
「ハウ君……私駄目かな……」
「馬鹿! 僕の応急処置は完璧だ。絶対にラルフエルドまで持つ」
寝かされているブリスは、脂汗で毛並みを濡らしながら微笑む。
「でも、この腕じゃ……ぎゅっと出来ない……ですね」
「戦争に勝ったら僕が幾らでもやってやる」
「それは楽しみ……かな? 泣かないで。期待してます……から」
「もう寝るんだ」
最後にブリスの手を握り、布を被せて衛生兵に後を任せ、ハウンドは立ち上がる。
「ブリス、有難う。後は任せて。ブリスの分は……僕が働くから。生き延びて待ってろ」
ハウンドの眼には実際には涙は流れていない。
彼女の視界がぼやけているのだろうと彼は思う。
それとも……もう、目が見えていないのかと。
「エツ……お前も絶対生き延びていろよ」
祈るような気持ちでハウンドはその場を後にし、タマを追いかけた。
キジハタと合流するまで時間は後僅か。
その合流は追撃するベルンハルト、アルトリートとの戦闘の再開も意味している。
「ハウンド、もういいのか?」
「はい。時間がありません。作戦を修正します。退路に用意してある罠地帯を利用し、オッターハウンドまで駆け戻るのが当初の作戦でしたが……」
気遣わしげなタマに、ハウンドははっきりと頷き、先を続けた。
オーク族に対する憎悪の色がないことに、タマは内心で安堵の息を漏らす。ハウンドの瞳には曇はなく、ただ、強い意志の光だけが存在していた。
「これを利用して迎撃し、相手の攻撃を遅らせ、クレリア様を支援します。補給部隊にはそのために必要な矢を各所に用意してもらいます」
「ふむ……」
「キジハタ様にコボルト部隊の再編を頼みます。グレーには前線指揮を頼み、僕は彼に攻撃地点とタイミングを指定します。後、シルキーには広い視野の戦略を任せます。キジハタ様、タマ様は近接部隊の指揮に集中を」
「わかった。ま、確かに姐さんの方に行かれても困るしな」
落ち着いた様子のハウンドに、タマはにぃ……っと不敵な笑みを見せ、休む味方に明るい声色で命令を指示していた。
ハイオークの中でも最も老練な二名から追撃を受けたモフモフ帝国第一軍、第二軍は、大きな損害を出しながらも、この二名を戦場に釘付けにすることに成功する。
タマの副官、ハウンドはこの戦いにおいて、百名近いコボルト達を手足のように操り、粘り強く撤退戦を戦い抜き、オーク族の戦士達に毛並みの色合いから『樹木の亡霊』と、その名を刻みこんでいた。
モフモフ帝国、オーク族戦図
①タマの撤退、待ち伏せによるクレメンスへの攻撃
②キジハタとアルトリートの前哨戦
③キジハタとベルンハルトの戦い。タマの攻撃。その背後からクレメンスの襲撃
④撤退するタマへのクレメンス、オーバンの追撃
⑤キジハタ達の合流地点
⑥グレーティアとブルーのにらみ合い
⑦クレリアとフォルクマール
⑧クーンのゲリラ戦