第八話 遅延戦術
死の森の地表で複雑に絡み合う巨大な木の根に腰掛けながら、タマの副官、政務官出身の茶色いコボルト、ハウンドは不機嫌そうに顔をしかめながら、腕を組んでいた。
彼の傍ではタマも他の仲間達も、揃って賑やかな寝息を立てている。
「ハウ君、怖い顔ですねー噛みついちゃ嫌ですよ?」
「名前を略すんじゃない。ブリス」
「まあまあ、いいじゃないか」
ラウフォックス族のブリスは高い声でくすくす笑い、ゴブリン族のエツは抗議の声を上げているハウンドをなだめていた。
副官の三名だけは、この休憩中に体を休めつつも顔を合わせている。
タマ達第二軍はシバが掘った地下通路を使って逃走し、点在するカモフラージュされた補給基地で食事を取り、物資を補充し、さらにはそこからも離れて『一仕事』を終え、休憩を取っていた。
「で、ハウ君が不機嫌な理由は何かなぁ。はい! エツ君」
「タマ様がいつもハウンドの提案の反対を行くからじゃね?」
「ぐっ」
「お、これはエツ君、中々の感触です!」
エツの指摘にハウンドは呻き、その反応を見たブリスがはしゃぎ声を上げる。
怒鳴ろうと考えたハウンドだったが、思い留まり、長い溜息を吐いて首を横に振った。
「まずは揃って生き残ったことを喜ぼうか」
ハウンドが力なく肩を落とす。先ほどまで楽しそうにはしゃいでいたブリスもエツも、一瞬で黙り込み、疲れた表情で同意して頷いた。空元気だったのである。
「そうですね。もう、一生分戦いました……あははは……はぁ……」
「剣振るってればいいってもんでもないんだよな。仲間の指示は大変だ」
彼ら三名はタマの手足となって戦場を駆け回り、お互いをフォローしながら戦い抜いていた。そんなゴブラーから続く死闘の数々を振り返り、ブリスは虚ろな目で乾いた笑い声を漏らし、エツは肩が凝ったとコキコキ関節を鳴らす。
「僕もああなるとは思いもしなかった」
戦闘の途中からはエツが近接戦闘を担当し、ブリスが遠距離を担当、ハウンドが物資補充、その他サポートを担当といった具合に、咄嗟に役割まで変えてしまっていた。
戦闘が始まった当初は、それぞれに部下がいるという形であったのにだ。
「どこで計算を間違えていたのだ」
「んーそれが、ハウ君のさっきの怖い顔の理由なわけね」
政務官出身であるハウンドは、戦争に対しても自信を持っていた。相手の損害、自分達の被害を正確に計算し、効率の良い作戦を常に考えている。
事実、戦術面では自信相応の活躍を見せており、ゴブラーの防衛においてもハウンドは激戦の中、冷静に命令系統を簡略化した上で、的確に相手の思惑を防ぐ指示を出していた。
だが、それは机上で考えたものではない。
咄嗟のアイデアだった。それが彼には気に入らない。
それに重要な判断においては幾つか予測を外しており、それに関しては上司であるタマが機転を利かせて、致命的なミスを防いでいた。
「真面目だなあ。ハウンドは」
「仲間の命が掛かっているのだから当然だ!」
耳とふさふさの尻尾をピンと立て、ハウンドはエツに怒鳴る。
どれほど上手く指揮をしても、一連の戦闘で多数の死傷者を出していた。
事前準備に漏れがなければ、自分がもっと上手く戦いを指揮できれば、被害を抑えられたのではとハウンドは考えていたのである。
「でもさーハウ君」
「なんだ?」
思わず立ち上がっているハウンドに、ブリスはコボルト族より幾分長い鼻を一度鳴らし、黄土色と白の毛並みを整えてから、落ち着いた様子で微笑む。
「上手くやってくれましたよね。有難う。私、内心、慌ててましたから」
「あ……う、いや、問題ない。僕の役目であるからな。それにすぐに立ち直っていた」
ブリスがそう礼を言うと、ばつが悪そうにハウンドは髭を触り、木の根っこに座りなおした。
ハウンドが咄嗟に担当を変更したのは、大規模戦闘の緊張で、ブリスが接近戦を行う戦士達を上手く指揮出来ていなかったからだ。
エツも弓隊の指揮は拙かったが、コボルト達はそもそもが群れでの行動を得意とする種族であるため、それほど問題は出ていない。それでも、激しい攻撃に対応するには厳しいものがあった。
普段は信じない直感による判断であったが、ハウンドは迷わずにタマに進言し、戦闘の指示も行いながら編成をし直している。
それからは二名とも想定以上に、それぞれの役割を必死に果たしていた。
(何でも出来ると考えるのは思い上がりか)
ハウンドはゴブラーを思い出し、首を横に振ると先ほどから感じていた後悔を振り払った。
しばらく三名とも沈黙していたが、エツが「そうだった」と、声を上げ、ハウンドの方を向く。今度は真剣な表情で。
「しかし、今回の作戦……ハウンドの意見は違ったろ?」
「ああ。僕は敵の追撃を振り切るために、怪我人は補給基地に隠して、オッターハウンドまで退くことを提案した。だけど、タマ様は違った」
「私もハウンドは間違っていないと思いましたよ」
うんうんとブリスは頷く。ハウンドの予測は、怪我人を抱えてオッターハウンド要塞に退却すると考えているであろうオーク族が、全力で追撃してくるというものだった。
それに対するハウンドの対策は補給基地に怪我人を隠し、オッターハウンド要塞まで逃げ切るという無難で、安全を第一としたものだった。
だが、ハウンドから彼の予測を聞いたタマは、笑みを浮かべて首を横に振り、ハウンドの考えとはまるで違う選択肢を選んだのである。
「いやー本当に俺も信じられない。まさか、この状況で」
両手の指を絡み合わせながら、エツは唸る。
「逃げるんじゃなくて反撃するとは」
「結果としてそれは成功した」
タマの答えは休息を取り、怪我人をシバと共にオッターハウンド要塞に送った上で、追い掛けて疲れている敵を倒すというものだった。
作戦としては単純なものである。中央各地に散って情報を集めているコボルト特殊工作隊からの遠吠え信号で敵の位置を把握し、ハウンドが足の速いコボルトを指揮して陽動、伏せたコボルト達が矢を浴びせ、他は接近戦を挑むというものだ。
戦力差が殆どなかったこともあり、態勢を整えるまで戦闘は優位に推移し、クレメンスは仕留められなかったものの、こちらが撤退するまでには相応の被害は与えていた。
戦力を立て直すまで、クレメンスからの追撃はない。そう判断し、今度こそ、オッターハウンド要塞に帰還することを提案したハウンドに、タマは再び首を横に振ったのである。
「何故タマ様は、こんなことを思いついたのですかね?」
「心当たりはある。クレリア様の軍事論に確か……そう、遅延戦術」
様々な目的から退却しながらも組織的に反攻を行うことで、相手に警戒させ、行動を鈍らせる戦術。それが遅延戦術である。タマはベルンハルトの軍が追撃していないことを知ると、相手の行動予測をハウンドにさせ、逆に追撃を指示していた。
予想外の横撃を防ぎ、味方の後退を援護するために。
「さすがハウンド、よく覚えてるなぁ」
「実戦では僕は思い付きもしなかった。いや……そうか……」
感心するエツにハウンドは首を横に振る。
「僕は勝つことだけを考えて、負けるということを、真剣に考えていなかったのかもしれない。でも、タマ様……そして、シルキーもそれを考えていた。それが僕との差か」
この時、ようやくハウンドは戦争が始まる前のクレリアの作戦の意図を、本当の意味で正しく理解することが出来ていた。それが故に同時に高い壁を感じ、目を細める。
「僕はまだまだ、本当にまだまだだ」
それは悲観でも後悔でもない。
事実を事実として捉えた、淡々とした呟きだった。
「まあいいじゃないですか。生きているのですから」
「そうそう、次があるぜ。頼むぜ、ハウンド」
同僚であるブリスとエツは、軽い調子で笑う。
厳しい表情をこれまで崩さなかったハウンドも苦笑いし、「そうだな」と頷いた。
彼らは軍の幹部の中では最年少であり、その思考は未来へ向いていたのである。
「それよりハウ君」
「なんだ?」
ブリスは彼女のラウフォックスらしい面長の顔に満面の笑みを浮かべ、ハウンドに声を掛けると自分の肩を抱きしめた。
「さっきの寂しそうな顔、きゅんと来たんですが、抱きしめていいですか?」
「駄目だ」
「いけずー。本当にお堅いんですから」
「この女狐が」
「女狐ですけど?」
「わははははっ!」
これからまた、厳しい戦いが続くことになる。
ハウンドもブリスもエツもそれを痛いほど理解していた。
敵の数は多く、要塞戦以外は相手に優位があるのだ。
三名の種族が異なる副官達は、激戦の中に僅かに出来た休息の時を楽しんでいた。
仲間をどれだけ失うのか……という不安を紛らわすように。
死の森の戦況は刻一刻と動いていく。
戦いは次の段階へと進み、新たな局面を迎える。
戦争の主導権はモフモフ帝国からオーク族へと徐々に移ろうとしていた。




