第七話 ゴブラー防衛戦 後編
オーク族の総攻撃が開始されて二日目、怒りに任せた狂熱的な攻撃を繰り返すクレメンスとは異なり、ベルンハルトは自らの部下に、クレメンスの援護に徹するように命令している。もちろん、臆病風に吹かれたわけではない。
「やはり固いな。北東部のことは運ではない」
十数度目の攻撃が弾き返されるのを目にしながら、ベルンハルトは眉ひとつ動かさずに小さく呟く。感情のこもらない冷めた口調ではあったが、彼としては最大限の賛辞だ。
ゴブラーは倍の戦力の攻撃を一日凌ぎきっている。まさに奮戦であった。
「私は教官としては無能なのかもしれないな」
小さく微笑んだベルンハルトを見た周囲のオークリーダー達が唖然とする。彼が笑うことなど、教えを受けた者達にとってはあり得ないことであった。
ベルンハルトにとっては自嘲の笑みである。
彼が自分が育てた中で優秀だと考えているのはたった四名しかいない。
コンラート、カロリーネ、コンラートの妹でもある北部の領主、グレーティア、そして、魔王候補であるフォルクマール。ルートヴィッヒなど、眼中にもなかった。
そのうち、コンラートは帝国のクレリアに敗れ、カロリーネはルートヴィッヒに敗れている。しかも、帝国で優秀なのはルートヴィッヒだけではない。
部下らしき若い幹部達も巧みな指示で、攻撃を防いでいる。
戦闘に参加している者達だけではない。先日襲った補給部隊も見事な撤退だった。不意を打ったにも関わらず冷静に荷を捨て、整然と逃げたのだ。その後、補給部隊は姿を見せていない。
後続と連絡を取り合っているのだろう。
相手は各々が自分の役割をこなしている。ベルンハルトはそう考えていた。
「ベルンハルト様、クレメンス様より伝言です」
二日目の攻撃が始まる前に、コボルトの伝令がベルンハルトの元に駆け込み、膝を付いた。
「共闘して欲しい。と、言ったところか」
「え……」
驚くコボルトに立つように指示し、ベルンハルトはクレメンスの伝令の内容を当てる。
自分が敗北していることを、クレメンスは受け入れられないのだ。そう、エルキー族が相手ならともかく、コボルト族に負けるなどということは。
ベルンハルトは生徒の性格からそう予測しており、それは当たっていた。
驚いているコボルトにベルンハルトは頷くと、クレメンスに伝えるように命令する。
「私の指揮下に入れと伝えておけ。命令だと。私に考えがある」
「はいっ!」
飛び上がって走り去っていく伝令には一瞥もくれずに、ベルンハルトはゴブラーを見る。
彼はこの集落を見ていなかった。本当に落とさねばいけないのは、その遥か奥、オッターハウンド要塞である。それはこんな集落など問題にならないほどに堅固であるのは間違いない。
そのために、ここで余計な被害を受けるわけにはいかなかった。
そもそも、ここを落とす必要性を彼は感じていない。
確かに魔王候補を殺せば戦争は終わる。だが、やすやす死なせるほどに敵の頭が悪いとは、ベルンハルトにはどうしても思えなかったのである。
クレメンスが指揮下に入ることに同意すると、ベルンハルトは攻撃を始めた。
力押しではない。間断なく攻めているが、地道に道を広げ被害を極力抑えながら、無理な攻めはせず、矢を楯で防ぎながらゴブラーを攻撃する。
彼が選んだのは持久戦であった。
「補給は断った。矢を使い切らせば労せず落ちる。後、二日もあれば十分だろう。お前はゴブラーから奴らを逃がさないことを考えておけ」
いきり立って全力攻撃を主張するクレメンスを、ベルンハルトは静かな、だが、有無を言わせぬ口調で押さえつける。
事実、昼を過ぎた頃から徐々に放たれる矢の数が減っており、クレメンスもベルンハルトの正しさを認めざるを得なかったのである。
二日目の日も暮れ、オーク族の軍は大きな被害を受けていた。
だが、モフモフ帝国も最後の数時間だけは殆ど五分の損害を被っている。矢の援護が無くなれば、地の利が相手にあったとしても、オーク族は有利であった。
視界の悪い夜に逃げられないよう、ベルンハルトもクレメンスも周囲は警戒している。
「明日には落ちるな。朝の攻撃が最後か」
ベルンハルトは淡々と呟く。
(ルートヴィッヒは善戦しているが、最後に物をいうのは数の力。包囲を続ければ、魔王候補も逃げられない。魔王候補を逃がす方法は一つ)
コボルトの魔王候補に直接戦闘能力はない。ならば、余力がある内に、強引に突破するしか方法はないが、それをさせるつもりはベルンハルトにはなかった。
しかし、夜が明け、攻撃を再開したベルンハルトは驚きで目を見開くことになる。
ベルンハルトが到着し、倍以上の戦力となったオーク族を二日に渡って退けたタマ達だったが、当然、余裕があったわけではない。
クレメンスの猛攻に全力で対処させられ、続くベルンハルトの持久戦で物資は完全に尽きた。積極的ではないものの、様々な手を打ってくるベルンハルトにモフモフ帝国の戦士達も疲労の極みにある。
タマや副官達は疲れを部下には見せず、治療を指示しているが彼らとて限界は近かった。
言葉にはしないが全員が考えていたのである。
明日は無理だろうと。
タマは一通りの指示を終えると、シバが瞑想しているはずの一軒の建物に入る。
シバは既に瞑想を止め、立ち上がっていた。
「ぼろぼろだね。タマ」
「いやーめんぼくねえ。シバ様。三日しか持たなかったわ」
「十分だよ」
落ち着いた様子でシバはタマに微笑む。
タマも安心したように笑った。
「明日は逃げるよ」
「包囲されてるんで、突破しないといけなさそうですぜ」
「随分手ごわい敵みたいだね」
タマは頭を掻いてシバに頷く。
彼も強くなったと自負していたが、初めて敵対したベルンハルトは想像以上であった。
常に的確な手を打ち、こちらの弱みを完全に見抜いている。突破も読まれているとタマは考えていた。
だからこそ、彼は一人でここに来たのだ。
「いざとなったら俺と決死隊に『命令』を使って逃げて下せえ」
非情の戦術である。だが、魔王候補であるシバだけは死なせるわけにはいかない。
タマには他に手段を思いつかなかった。
だが、シバは首を横に振る。
「逃げるのに誰も死なせるつもりはないよ」
「いや、しかし、狼一匹逃げられる状況じゃないですぜ? 空を飛んで逃げるしかないくらいに、あいつら警戒してやがるんで」
「本気で逃げさせたらコボルトに適う種族はいないよ」
「でも、どうやって逃げるんで?」
困惑しているタマにシバは答えず、黙って指を地面に向けた。
逃げる方法があるなら、後は簡単である。
身の回りのものを持って全員で逃げるだけだ。集落から脱出できれば、幾つか用意してある補給地点に行けば物資は補充できる。
「瞑想って、これ掘ってたんですかい」
「うん。空は飛べないからね」
木の根があちこちに飛び出た地下通路を歩きながら、呆れるようにタマは肩を竦めた。
シバがやったことは単純だ。タマ達が稼いだ時間で魔力を回復し、逃げることが出来る程度に地下道を掘ったのである。地上に出れば、後は闇夜に紛れて逃げればいい。
「時間を稼いでくれたタマ達のお蔭だよ。まあ、こんな小細工が使えるのは一回だけだろうけど」
「だろうなぁ。シバ様も言ってくれれ……いや」
逃げ道があることがわかっていれば、三日目は耐えきれなかった。
タマはそう考えて言葉を切り、浮かない表情で軍の最後尾を歩くシバの顔を見る。
戦争が始まる前にも考えていたが、タマはシバは変わったな……と思う。
出会ったころは無邪気な少年のようだったが、最近では中々そういう面を見せなくなった。自分に対する態度は出会ったころから変わってはいないが、若い者達の前では超然と振る舞っている。
「姐さんが心配ですかい?」
「えっ?」
考えがあるのだろう。合わせるべきなのかもしれない。
タマはそう考えていたが、自分だけはそれはするべきではないと思い直す。だから、陽気な態度で口から出した言葉は、極めて個人的なものだった。
シバはその質問にきょとんとして、タマを見返す。
「いやー、シバ様がなんか心配そうだったんで」
「クレリアは大丈夫だよ。僕達は自分達の軍のことだけを考えないと」
真剣な表情でシバは言い、前を歩く傷ついた帝国の戦士達に視線を向ける。だが、タマは笑いながら首を横に振った。
「ははっ! そりゃあ違いますぜ。どんな厳しい戦争だろうと、惚れた女が心配にならないわけがないんですから」
「中々言うね。タマ」
シバは否定はせず、タマをたしなめて微笑む。タマも申し訳ないと頭を下げた。
「タマ。僕とクレリアはそれを見せるわけにはいかない」
「なんでですかい?」
「僕達はこれから大勢の死を看取ることになる」
「今更じゃないですかい?」
「戦争だからじゃないんだ。戦争に勝ってもそうなる」
シバは足を止め、軍から少しだけ距離を取る。
タマも合わせるように立ち止まり、首を傾げながらシバを見た。
「帝国が出来てから数年。若い臣民の中には、子供のころから、そして生まれた頃から僕が魔王候補だった、という者も増えてきている。それはすぐに全員になってしまう」
「ああ……」
シバは目を細めて、戦士達の背中に視線を向けながら寂しそうに笑う。
タマは彼が変わっていく理由がようやく、少しだけ理解出来ていた。
「僕達は永遠に魔王候補であり、眷属であり続けなくてはいけない。みんなを導いて行かなくてはいけないからね」
厳しいシバの言葉にタマは頬を掻いていたが、しばらく目を閉じて考え、笑みを浮かべる。
「前に姐さんが言ってましたが、人間には結婚ってのがあるそうですぜ」
「知っているけど……」
言葉の意図がわからず、シバはぽかんとしていたが、気にせずタマは続ける。
「でもって、皇帝の嫁さんは皇后って言うそうで、どの国にも絶対に必要なんだそうです。シバ様は魔王候補である以前に、モフモフ帝国の皇帝であらせられるわけで」
「タマ……」
冗談っぽく、大げさに手振りをしながら話すタマにシバは非難の視線を向けたが、それも気にせず、片目を瞑る。
「ま、細かいことはいいじゃないですかい。代が変わっても、その代の奴らは自分達で何とかしますって。若い奴らは優秀ですし。シバ様と姐さんが『いつも通り』、堂々といちゃつく暇くらいは作れますぜ。それに」
からかうようにタマは笑い、少しだけ顔を赤くしているシバを見た。
「早く姐さん『つがい』にしないとエルキーに持って行かれますぜ。あいつらも寿命が、とんでもなく長いんですから」
「むっ……」
一瞬唸り、息を飲んだシバに吹き出しそうになったが、タマはそれを我慢して続ける。
「コリーの爺様やキジハタの旦那、そんで俺達、本当のシバ様を知ってる面々が生きてる間に盛大にやりましょうや。結婚式。『つがい』になれば、心配しても誰も何もいいませんって」
「で、でも、クレリアが嫌がらないかな?」
少しだけ動揺し、不安そうに見上げたシバの背中をタマは軽く叩き、親指を立てた。
「当然、そこはしっかりシバ様が男を見せないと!」
「他人事だなぁ。酷いよタマ」
「だははっ! でも、まあ、こればっかりは仕方ないですぜ」
シバは表情を緩めて困ったようにタマを見上げ、苦笑いする。
「戦争が終わったら、タマの助言通り頑張ってみるよ」
「それがいい。シバ様一人で抱えることなんてないんですから」
「うん。ありがとう、タマ」
二人は笑みを向け合った。彼らは数年来の付き合いがある。
暗い地下通路で種族を超えて笑いあう二人の笑顔は、友人に向けるそれであった。
朝、ゴブラーに攻撃を再開したベルンハルトとクレメンスを待っていたのは、もぬけの殻になったゴブラーだった。クレメンスは自分の部下を引き連れ、即座に追撃を指示する。
だが、ベルンハルトはクレメンスには同調せず、別の指示を出す。
「川沿いに攻め上がり、アルトリート殿を援護する」
「よろしいのですか?」
部下のオークリーダーが心配そうにベルンハルトを伺う。命令は直接オッターハウンド要塞を狙えというものだ。だが、ベルンハルトは首を縦に振った。
「ルートヴィッヒがオッターハウンドに入れば、私とクレメンスだけでは落とせない。この集落……この異常……」
秀麗な顔に苦い表情を浮かべながら、ベルンハルトは呻く。この集落のあり方は、ベルンハルトの常識にはないものだった。
「集落のゴブリンが一名たりとも残っていない。信じがたいがこれは敗北を前提とした、予定された敗北なのだ。つまり、その程度の集落でこの固さ。防衛戦は敵に有利。ならば……我等が取る最善の手はただ一つしかない」
集落の建物の一つに置かれていた、オーク語で『ざまあみろ!』と書かれたタマの手紙を握り潰しながら、ベルンハルトは自分の部下に告げる。
「要塞に入られる前に奴等を各個撃破する」
モフモフ帝国の最前線の集落、ゴブラーは陥落した。
それと引き換えにオーク族は大きな損害を出し、三日という時間を費やしていた。
モフモフ帝国、オーク族移動経路
①クレメンスの移動
②ベルンハルトの移動
③アルトリートの移動
④フォルクマール本隊
⑤モフモフ帝国本隊
⑥七話終了後、ベルンハルトの移動
⑦?
⑧タマの撤退、クレメンスの追撃
⑨タマの移動