第六話 ゴブラー防衛戦 前編
ゴブラーに敵の軍を誘き寄せる。
これは作戦段階でクレリアが最も苦慮した点であった。
ハリアー川を渡りきった場所に存在しているゴブラーは、それなりの規模の集落ではあるが、地理的に重要かと考えるとそうではない。
そんなゴブラーのモフモフ帝国側最大の利点は、ガベソンからもオッターハウンドからも遠い、その距離にある。
要するに敵を分散させることが目的であった。
加えてゴブラーは守り易い。元々弓は森の中での乱戦より、ある程度開けた場所の方が集中的な運用が出来る。守勢はコボルトの得意とするところであり、集落は優位を生かしやすい地形だった。
この拠点防御戦術によりモフモフ帝国は戦力の差を埋めようと考えていたのである。
だが、敵が来なければ意味がない。
その解決法は結論としては単純なものであった。
「流石に気付かないわけがないな。とすれば、全力で来るか」
タマは敵を目を細めて眺めながら、鋼鉄の槍で自分の肩を叩く。
要塞化していることまでは予想していなかったのか、クレメンスの軍に専用の道具は無い。だが、ゴブリン隊、オーク隊共に大きな楯を所持している。
土袋だけは、かさ張らないために用意していたのだろう。楯を持つ敵の後ろでは、重そうな土袋を地面に置いて待機しているゴブリンやオークが控えていた。
始まりは静かなものだった。
クレメンスは執念深いが多弁ではない。上げた右腕を振り下ろしただけである。
「距離を測れ。角度を付ければ防ぎ切れない」
「私達は普段通りに撃ちなさい。ハウンドと連携します」
落ち着いた様子のハウンドとブリスの声にタマは口の端を上げた。
タマは今回の戦いでは、危なくなるまでは副官三名の援護に廻るつもりである。
鬨の声を上げながら迫るオークとゴブリンに、冷静にコボルト達は矢を放つ。
跳べば超えられそうな空堀。腰までしかない柵。障害物のない平地。
その簡単な防備を超える事が出来ず、クレメンスの軍は数を減らしていく。
だが、彼らの軍もただやられているわけではない。
浅い堀を埋めて幾つも道を作り、柵を鍵爪の付いたロープで引き倒し、ゴブラーに侵入していた。
「ゴブリン隊! オーク隊! ゴブラーに入れるな。押し返せ!」
必死の表情で弓を射続けているコボルトを援護するように、近接部隊を指揮するエツが熱い大声で激を飛ばし、自らも穴を防ぐために敵オークと正面から剣を交えていく。
激戦は数時間に及んだが、クレメンスはゴブラーを落とせずに一度引いた。
「おい、戦果と被害はどんなもんだ」
「敵は死者40程度。此方は死者8、重傷3、軽傷13」
「結構死んでしまったな。戦力差を考えると五分と言ったところか」
「それよりも予定していた補給部隊が集落に入れず、引き返したようです」
「クレメンスがいねぇと思ったが、そちらを警戒したか」
渋面な表情のタマに淡々とハウンドは報告する。
個人としてのコボルトは臆病で感情豊かなのに、集団としてのコボルトはタマが驚くほどに醒めており、個を殺して集団としての効率を優先している。
オーク族には無い強さだ。それはタマ自身ががかつて嫌っていた相手に似ている気がした。
「フォルクマールか……」
「は?」
タマは苦笑いして首を横に振る。考えても仕方がないことだった。
今考えるべきことは他にある。
「いや、なんでもねぇ。何日持つ?」
「今日の調子なら三日」
ハウンドの答えに、タマは頷く。
内心では、そこまでは甘くないだろうと考えながら。
翌日のオーク族の攻撃は前日とはうって変わって散発的なものとなった。
楯に篭もり、辛抱強くオーク族は前進する。
道を広げ、不用意には攻め込まず、攻める素振りを見せては引いていく。
クレメンスは前に出ず、その様子をただ見ているだけだった。
「物資が尽きるまでは守りきれそうですね」
「ふむ……」
安堵の息を漏らすハウンドに、小さく頷きつつもタマは厳しい表情を崩さない。
ここで初めて、タマはこの戦いで動いた。
「ハウンド、全軍に通達。敵の攻撃が緩い内に交代で休ませておけ。矢も温存しろ」
「何故ですか? ここで敵を減らしておけば」
「敵の性格は良く知っているからな。そっから来る俺の勘だ。理由付けは頭のいいお前が後で考えろ。俺は馬鹿だからな」
ぽんぽんと、ハウンドの頭を叩いてタマは豪快に笑う。
ハウンドにはタマの命令の意味は理解出来ていた。しかし、彼は納得がいかないように押し黙っていた。何故タマがその答えに行き着き、確信を持っているのかは理解できていなかったのである。
「了解しました。敵の総攻撃に備えます」
彼に出来ることは上司の命令を忠実に、完璧にこなすことだけであった。
その日の昼過ぎ、タマの勘が当たっていることを全員が理解することになる。
ゴブラーを守っている全ての将兵が目を疑った。
「信じられません。ここにこれだけの敵が来るなんて」
「なんて数だ」
戦闘は一時的に止んでいる。それは嵐の前の静けさだった。
ラウフォックス族の少女、ブリスは怯えるように身体を震わせ、キジハタの弟子である剣士のエツも呆然としている。
ハウンドは上司が漠然としてであっても、状況を把握していたことに驚いていた。
そして一人、タマは平然と倍近くに増えた敵を眺めながら微笑んでいる。
「不利な戦い……か。ようやく俺達の戦いらしくなってきたじゃねぇか」
「援軍を読んでいたのですか?」
「クレメンスは性格は悪いが無能じゃねえからな。戦いぶりをみたろ。補給を潰し、俺達を逃がさないように位置取りにも気を付けてやがる。蛇みてえな野郎だ」
不思議そうにしているハウンドにタマは答えた。
「戦争も案外性格が出るもんさ。相手を知っておいて損はない」
「なるほど」
「さあて、誰が来たのかね。挨拶がてら呼んでみるか」
えっ? とハウンドは思わず声を上げ、他の者も信じられないといった顔をしながら、楽しそうに新しく現れたオーク族の軍の前に出たタマを思わず注目する。
「おいっ! ど無能のクレメンスの尻拭いに来やがった野郎は誰だ!」
クレメンスへの挑発を入れながら、タマは大声で叫ぶ。
「私だ。久しいな。ルートヴィッヒ」
彼の声に答えたのは、女性に見紛う程の容姿を持つハイオークの優男だった。
だが、甘い風貌とは裏腹に、声色は静かで物腰は落ち着いている。
「げ、先生……じゃなかった。ベルンハルト……一番嫌なのが来たな。よく考えれば当たり前か。クレメンスを抑えられるのは爺さんかこいつしかいねぇ……」
ばつが悪そうに鼻を掻きながら、タマは呻く。
ベルンハルトは中位種以上の幼年者の教官であり、ハイオークでありながら知識の収集が趣味である変わり者だった。当然、見た目以上の歳である。
フォルクマールも含めて若いオーク族幹部の師でもあり、魔王候補としてフォルクマールが選ばれた後は、彼を支え続けている。アルトリートと双璧を為す、オーク族の重鎮だった。
ベルンハルトはアルトリートとは違い、軍事にも政治にも興味はなく、自分の意見を主張していないため、若いオークからも煙たがられてはいない。
彼はただただ命じられた仕事を完全にこなすことに専念していた。
「出来の悪い生徒だと思っていたが、見事に育ったな」
「いやー、それを知るのはこれからだぜ」
本気で感心している様子のベルンハルトにタマはニヤリと笑う。
「堅物の先生に悪戯するのは生徒の特権だからな」
「すぐに減らず口も叩けなくなる。魔王候補と一緒に死んでもらうぞ」
ベルンハルトは面白くも無さそうに、そう吐き捨て、自分の部下の軍へと戻っていく。
「こっからが本番だ! 時間を稼げば姐さんがなんとかしてくれる」
「おおっ!」
明るい言葉に、気持ちが萎えかけていたゴブラーのモフモフ帝国軍の戦士達の瞳に光が戻る。
タマは大きく息を吸い込むと、大声で吠えた。
「俺達の楽園を守るのは俺達自身だ! 奮闘しろ」