第二話 オーク族の魔王候補
「嘘を付くな! 奴等が攻めて来ただと? そんなわけがない!」
「ほ、本当ですっ! このままではガベソンは陥落……」
伝令のコボルトの胸倉を掴みながら、褐色の肌に長い黒髪を持つ、細身の筋肉質な中年の男は怒鳴り散らしていた。ガベソンは彼の本拠であるバードスパインの目と鼻の先にある。
モフモフ帝国軍がガベソンを包囲したとの報告は、オーク族の兵力集結地点であるラインドスパインで軍議に参加している元魔王候補、ハイゴブリンのガリバルディにまでその日の内に届けられていた。
驚いたのは彼だけではない。列席していた者達は大なり小なり反応を見せている。
この場で平然と座っているのは兵権を取り上げられ、オーク族の魔王候補、フォルクマールの護衛を務めているハイオーク、コンラートと魔王候補であるフォルクマールのみであった。
「座れ。ガリバルディ。対応を話し合う余裕くらいはあるだろう」
「くっ!」
死の森西部、クローネを治める老年のハイオーク、アルトリートが有無を言わせぬ厳しい口調で、ガリバルディに座るように促す。彼の茶色の髪は白髪混じりになっているが、弱々さは一切ない。
アルトリートは歴戦の勇士として、またオーク族の長老として、フォルクマールの後見役も務めている男だった。この場に座っている魔王候補以外の五名のハイオーク、そして同数のハイゴブリン達も彼には一目を置いている。
ガリバルディが早々に下った理由、それはフォルクマールと引き分けたとしても、アルトリートと対する事の出来る存在がゴブリン族にいない事が理由にあった。
ゴブリン族は数は多いが上位種は少なく、短期決戦に持ち込まれた事もあり、彼の指揮するオーク族相手に全く勝負にならなかったのである。
勝利したフォルクマールはガリバルディ自身の助命とハイゴブリンの優遇を約束した。この件に関してはオーク族は反発したが、フォルクマールはこれを押し切っている。
「フォルクマール様」
アルトリートは上座に座るフォルクマールに対し、恭しく頭を下げる。元来ハイオークとして、最も必要とされる実力が中の下しかないにも関わらず、統率を取ることが出来ているのも、彼のこうした姿勢の影響が大きい。
「アルトリート。作戦は?」
「ラインドスパイン南東を渡河し、前線拠点を構築。オッターハウンド要塞、並びにラルフエルドを陥落させるのが確実かと」
「ふむ……コンラート。お前はどう考える?」
フォルクマールに問い掛けられたコンラートは、内心意外に思いつつも頷いて立ち上がる。彼は今となってはハイゴブリン以下の末席に置かれており、軍議に参加する機会を与えるとは考えていなかった。
(何を考えてやがるのか)
自分を嫌う筈のフォルクマールは死刑にする様にと提言するアルトリートを退け、軍権こそ取り上げたものの、コンラートの対モフモフ帝国の提案を全て取り入れている。
それが魔王候補としての力以上に不気味であり、コンラートを困惑させていた。
「ご老体に付け加える事はない。正攻法こそ相手が嫌う戦術の筈。ガベソンは一時落ちたとしても、ハリアー川を渡りさえすれば、数に劣る奴らに維持する事は不可能だ」
会議に参加している者達の侮蔑の視線を受けながら、コンラートはそれを無視して腰を降す。フォルクマールは無表情で頷くと、次にガリバルディの方を向いた。
「ガリバルディ。お前は?」
「アルトリート殿の作戦は臆病というより他ない。ガベソンの敵を正面より撃破し、渡河すればよい。そうすれば最短の距離で相手を倒すことが出来るはず!」
神経質そうな顔に憎悪の表情を浮かべ、ガリバルディはアルトリートを睨みつける。ガベソンは彼の領土であり、それを見捨てるという選択肢は有り得ないものだった。
しかも、ガベソンが奪われれば、彼の本拠は目と鼻の先にあるのである。
彼の提言は己の利益を考えてのものであったが、アルトリート、コンラートに反感を持つ、若いハイオークやハイゴブリン達はガリバルディの意見に同調するように頷いていた。
ハイゴブリン達には中央部は自分達の領土であるという思いが強く、ハイオーク達は己の力に自負心を持っている為に、安全な場所に迂回していくという作戦は、臆病なものと見えていたのである。
フォルクマールは三名の意見を聴き終えると静かに立ち上がった。
茶色の髪を持つ彼は、ハイオークの中では小柄で線が細い。
フォルクマールは理知的な顔に、僅かに苦悩を滲ませながら全員に告げた。
「作戦を変更する。敵、正面を突破する」
「なっ! それでは多大な被害が!」
「アルトリート」
「は。出過ぎた発言でした」
周囲から嘲笑が漏れる。だが、フォルクマールは一切を意に介さない。
(意外だな)
コンラートは目を細め、よく知る筈のフォルクマールを見詰める。彼はお世辞にも勇猛というタイプではない。どちらかというとハイオークには珍しい慎重な性格だ。
若いハイオーク達の作戦よりも、アルトリートの作戦を好むはず。被害を抑え、確実に勝利しようとするのが、彼のやり方だ。
今のコンラートは、昔程にフォルクマールを過小評価していない。臆病と取られかねないそのやり方は、反面、部下の死を極力抑えるやり方でもあるからだ。
事実、エルキー族との戦いに敗れた際も的確な指示で被害を押さえ込んでいる。
あの戦いは不要なものであり、フォルクマールは内心反対だっただろうと、今ではコンラートは考えていた。それを表に出せないことが彼の不幸でもあるのだが。
そもそも自分が手を抜かなければ、彼は五年前に確実に死の森の覇者となっていた。そう思うとコンラートは苦笑いするしかなかったが、後悔はしていない。
「シャイムリッツから此方に向かっているクレメンスに、ゴブラーに向かうように伝令を出せ。ガベソンが狙われた以上、此方も狙うかもしれん」
「はっ」
「ベルンハルト。お前の軍はラインドスパイン南東から渡河しろ。ゴブラーでクレメンスと合流し、オッターハウンド要塞を狙え」
「了解。お任せを」
「残り全軍は盟友の集落、ガベソンを救出する」
フォルクマールが若者達が望む正面対決を選んだことで、熱気に沸く会議上の中、一人コンラートはフォルクマールの意図を先程の言葉でようやく掴んでいた。
戦準備の為に全員が去った会議室で、魔王候補であるフォルクマールを護衛することだけが仕事となっているコンラートは、酒を飲むフォルクマールの側に控えながら、抱いている疑問を投げかけた。
「フォルクマール。どうして俺を殺さなかった?」
「無駄な事だからだ」
「無駄?」
「ああ。俺を馬鹿にしているのは何もお前だけではない。お前を殺しても、何も変わりはしない。戦争で不利になるだけだ」
フォルクマールは席を立ち、もう一つジョッキを用意すると、コンラートに放り投げる。
同じ年である二人は、何かと比較される存在だった。
魔王が死に、戦乱が始まるまではコンラートは若手のハイオークでは最も優秀であると持て囃され、逆にフォルクマールはオークリーダーにも劣ると蔑まれて生きてきた。
しかし、結果的に魔王候補にはフォルクマールが選ばれている。
「結果を出せば変わると思っていたが、苦戦せぬ戦いは勝って当然。ということらしい。力を見せても魔王候補としての強さ。無意味だった」
疲れた様にフォルクマールは自嘲気味に笑い、息を吐いた。
「部下の圧力に負けてお前を呼び戻し、アードルフとカロリーネを失った時、俺は思ったのだ。これは魔王候補としての俺を認めさせる最高の機会なのだと。奴等はオーク族ですら苦戦するほどの敵なのだと。そうだろう。コンラート」
「手強いのは間違い無いな。俺もボロ負けだった」
用意された酒を手酌で自分のジョッキに注ぎ、コンラートは笑う。陰気に沈んでいたフォルクマールも己の失敗を隠さないコンラートに少しだけ笑みを返した。
「罠と知りながら援軍を出したのは、ゴブリン共を離反させない為か」
「そういうことだ。クレリアという女、そこまで考えていると思うか?」
「間違い無いな。奴等はその手の策略を得意としている。アードルフはそれを甘く見て死んだ。裏の意図に気が付いているのは、アルトリートの爺さんくらいだろうよ」
「そうか」
陰気な男だと、酒を煽りながらコンラートは思う。オーク族は死の森において、最も強い一族であるが故に、深く物事を考える者はいない。
だからこそ、単純に腕力が弱く、考え込む癖があるフォルクマールは魔王候補となった今でもその手腕を疑われ、誤解を受け、嫌われている。
だが、コボルト族との戦いを経てきたコンラートは、フォルクマールの取ってきた戦略の正しさは認めていた。若いハイオーク達が彼を信じてさえいれば、戦争など起きる事なく終わっていただろう。
オーク族は己の魔王候補を軽んじた代償を血で贖おうとしている。コンラートはその最大の原因を作りながらも、それを幸運だと考えていた。自身でも救い難いと考えながらも。
これからの大戦争を思うと血が滾るのだ。それを主導しているのが己ではなく、フォルクマールであることを彼は残念には思っていたが、勝利の為に手を抜くつもりはなかった。
「俺達のガベソン攻撃への対処は整えているだろう。それはどうする?」
「既に落ちていると思うか?」
「俺との闘いの時、奴等は今より少ない戦力で、三つの集落を一日で落としている」
「なるほど。手を抜いている……か」
フォルクマールは自嘲の笑みを浮かべる。罠と知りながらも、部下を止める事が出来ない自分に。だが、敵の思惑に乗り続ける訳にはいかない。
彼はしばらく酒を飲む手を止めて思考し、纏まるとジョッキをテーブルに置いた。
「俺の手でも犠牲は抑えられるが、もう一手欲しいな。確実に勝つ手が」
落ち着いた様子でフォルクマールは呟く。犠牲が出るというのは当然の姿勢。大多数を助けるため、少数を躊躇なく切り捨てる。これも彼がオーク族で嫌われる原因でもあった。
コンラートは悩むフォルクマールを哀れむように見る。
(コボルト族に生まれていりゃ英雄だったろうに)
最善の手を考える事が出来、そのために王として、犠牲を割り切ることもできる。生真面目で慎重であり、多面的に物事を把握する能力もある。
そして、それが故に彼は誰からも認められない。
皮肉な事だとコンラートは思う。魔王候補を定める『大いなる意思』は、何故オークらしい者ではなく、彼を選んだのかと。
「予定に無い手を打つのなら、北部のグレーティアを使えばいい」
「お前の妹か。守りはどうする?」
「あいつの所には、コボルト族と戦い続けてきた俺の部下を預けている。細かい命令は必要ない。『好きにやれ』と言っておけば、相応に助けになるだろうよ」
フォルクマールは疲れの見える表情で、明るく笑うコンラートをしばらく見つめていたが、息を吐いて苦笑いを零し、頷いた。
「コンラート。お前は俺と同じ、最悪の立場に落ちても偉そうなのは変わらないな。正直に羨ましい。俺は他人を妬んでばかりなのに」
「負けることで理解することもある。お前の場合は勝てばわかるさ」
「そうありたいものだな。何にせよ、この戦いは短期間で終わらせる必要がある」
決意するようにフォルクマールはもう一度頷くと、具体的な作戦を検討するための話へと切り替える。オーク族の魔王候補、フォルクマールの部屋の明かりはコンラートが退出し、夜半になっても灯り続けていた。