逆襲の章 プロローグ
────第一次オッターハウンド戦役について
帝国歴三年秋、モフモフ帝国は北東部のハイオーク、カロリーネを降伏させる事に成功し、北東部、東部、エルキー領の南部は完全に連携できる体勢が構築された。
移動や物資の輸送能力を上げる為に道が引かれ、ガルブン山脈からの輸出入の量も格段に増加、この頃にモフモフ帝国の国力は一気に増大している。
だが、敗北を続けているオーク族も黙っているわけではない。
帝国歴五年春。エルキー族との戦いでの敗北時に負った傷を完全に癒したオーク族は、本格的にモフモフ帝国を滅ぼすべく動き出した。
死力を尽くした戦いを続けていた東部、北東部と異なり、首都エルバーベルグを始めとするオーク族の領土は戦火には晒されておらず、モフモフ帝国の全戦力700に比べ、オーク族は2000以上と彼我の戦力の差は圧倒的であった。
また、この戦争の際にはオーク族も戦闘訓練の重要さに気付いており、ハイオーク、コンラートの主導の下、厳しい訓練が行われ、戦力の質の面でもある程度モフモフ帝国に近付いている。
そして、指揮官も北部を守るハイオーク、グレーティアを除き、魔王候補フォルクマールを含む全員が参加している等、まさに総力戦の様相を示していた。
だが、このオーク族の動きもモフモフ帝国大元帥、クレリア・フォーンベルグは予測しており、迎撃の計画を着実に進めていたのである。
諜報活動に当たっていたブルー、ヨークの両名から報告を受けたクレリア大元帥の行動は迅速だった。
北東部の守備にクーンを抜擢し、中央に北東部司令官『剣聖』キジハタを呼び戻すと第一軍司令官に任命、同じく北東部副司令官であったオークリーダー、タマを第二軍司令官に任命。第三軍に元魔王候補、ハイケットシーのブルーを任命。第四軍を本軍としてクレリア大元帥が指揮を行うよう軍を編成すると即座に軍本拠地を首都ラルフエルドからオッターハウンド要塞に移している。
そして総司令官は皇帝シバが務めることになった。
これにはクレリア大元帥を含む、全ての幹部が反対したが皇帝は戦場から離れる事を良しとしなかった。この戦いがこれまでで最も厳しいものになることを理解しており、安全な場所で待つことに耐えられなかったのである。
皇帝シバは全ての幹部の集まる会議室で立ち上がると表情を引き締めて言い放った。
“フォルクマールを迎撃する! 僕達の楽園を守るために!”
『モフモフ帝国建国紀 ──逆襲の章── 二代目帝国書記長 ボーダー著』
オッターハウンド要塞は北東部にあるウィペット要塞の後に、その設計思想を応用して建てられた堅固な要塞であり、死の森中央部東側に位置する、ラルフエルドの楯とも言える要塞であった。
その重要性は全ての者が周知するところであり、ウィペット要塞での戦闘記録も要塞建築の第一人者であるコボルト、レオンベルガーの手によって活かされ、他の集落よりも優先的に改良が施されている。
オッターハウンド要塞会議室に集まる幹部達は、当然にこの要塞で篭城する事で敵を受け止めるものと殆どの者はそう考えていた。
司令官であるキジハタ、タマ、ブルーは今回会議では口を閉ざしており、副官達による話合いを聞く姿勢を取っている。彼等には彼等なりの腹案はあったが、次代の幹部育成も同時に進めていくためのクレリアの案であった。
副官達の話し合いは如何にオッタハウンドー要塞で上手く防衛するかに傾いており、その防衛計画で話し合いは纏まろうとしていた。
「籠城しては勝目がありません」
会議の流れを断ち切ったのは、ブルーの第三軍に配属された参謀、シルキーである。彼女はコボルト技師が作成した死の森の地図に駒を置き、細い棒で要塞を指した。
「北東部での防衛が成功した要因は、カロリーネとアードルフの二人の指揮官が別々に行動したことが大きいです。今回は魔王候補であるフォルクマール、要塞の戦いを知るコンラートを始め、多くのハイオークが戦闘に参加します」
「だが、この要塞であれば守りきれるのではないか?」
質問したのは新しいタマの副官、ハウンドである。彼は政務官から軍人に転向した珍しいコボルトで、正確な計算を得意としていた。幹部の中でも若いグレーと同期のコボルトであり、彼とはライバル関係でもある。
彼の疑問は大多数の幹部と同じものであり、多くの者が頷いていたが、シルキーは首を横に振る。
「敵はこちらよりも多いのです。我らと同数を抑えとして置き、一例ですが迂回してラルフエルドを陥落させられれば、我等の補給は止まってしまいます」
「むむ……だが、敵は目の前の要塞を放置し、そのような手を取るだろうか」
茶色い毛並を触りながら、ハウンドは悔しそうに唸る。理屈は理解出来るが、納得できていない様子で。だが、シルキーは冷静に言葉を返した。
「敵は優秀です。何時気付くのかそれはわかりませんが、落とすのに時間が掛かれば必ず敵は気付き、何らかの手を打ってくるでしょう」
シルキーはそう締めくくり席に座る。その様子を同じ軍に配属されたハイオーク、カロリーネや第二軍司令官であるタマは愉快そうに見詰めていた。
今回の戦争で実質的に総指揮を取るクレリアは会議の様子を黙って聞いていたが、他に意見が出なくなると口を開く。
「防御とは要塞に置いて守ることだけを言うのではない。ハウンド、我々は戦争が始まる前にどんな準備を行っている?」
「中央部の臣民の安全確保の為にゴブリンの東部、北東部への移住、物資の輸送を行いました。東部や北東部に土地の余剰があったため、無事完了しています。あ……」
戦争が始まる前に、モフモフ帝国の中央部に置ける準備をクレリアの命令の下に進めていたのはハウンドだった。彼には実務的な能力が有り、クレリアを助けていたのである。
彼はそれが意味することを理解し、小さく声を上げた。
「自分で気付いたか。そう、死の森中央部は大規模な戦場になる。お前達の話合いで出ていたオッターハウンド要塞での攻防は先の話。まずは」
皇帝シバの隣に座っていたクレリアは立ち上がり、シルキーから棒を受け取ると、ハリアー川の内側にありながら、未だにオーク族の支配下にある二拠点、ガベソン、ゴブラーを指し示す。
「相手はまだ準備に時間が掛かる。こちらの三倍の戦力を用いるのだから。この時間的余裕を利用し、まずはこの二拠点を攻め落とし、ハリアー川を利用した防御体制を構築する」
「退屈しないで済みそうだな」
軽口を叩くタマに、クレリアは微笑んで頷く。彼女によって固くなっていた会議上の空気はそれで穏やかなものとなり、全員の表情が落ち着いたものへの戻った。
普段の会議から雰囲気を変えるのは、常に彼の役目である。時には叱責され、特には空気を和らげる。そしてそれを彼は気にすることなく、飄々と受け止めていた。
怒られるのが上手いというのが、彼と付き合いの長いキジハタの言である。
「タマ。そんなお前には、一番難しい任務を与える」
「ま、無理と無茶は何時ものことだしな。わかった。何でもこなして見せるぜ」
「タマの第二軍はシバ様と共にゴブラーを落とし、南から攻めてくるオーク族を抑えて時間を稼げ。死守する必要はないが、こちらへの連絡は欠かすな。頼むぞ」
「腕が鳴るな」
豪快な笑い声をタマは上げ、自信満々で頷いた。
オークリーダーであるタマに皇帝を託すことに、少しだけ会議場はざわめいたが、皇帝であるシバや死線を共に越えた幹部達は当然といった雰囲気で黙って座っている。
「残る三軍はガベソンを落とし、ここでハリアー川を利用した防衛を行う。此方には恐らく敵の主力が攻めて来るだろう。可能な限りここで損耗させる」
「承知」
「了解……」
キジハタとブルーは、それぞれ短く答えた。
それを確認すると、クレリアは頷いてシバを見る。細かいことは命令書に書いた物を、それぞれの副官に渡す手筈になっている。議論は最早必要が無かった。
シバはクレリアに頷くと立ち上がり、全員を見回す。
「今回の目的は守りきること。オーク族は強いし、大変な戦いになるけれど、みんなで力を合わせれば勝てる準備は出来ている。だから……勝つよ?」
「「「「「了解っ!」」」」」
会議場の全員が立ち上がり、皇帝の言葉に答える。
モフモフ帝国とオーク族の本格的な総力戦、オッターハウンド戦役が今、幕を開けようとしていた。