第二十八話 選択
轟音と共に木に掛けられた的に矢が突き刺さる。
間隔を開けずに、二度、三度。
後になる程、中心に近い場所に矢は命中している。
矢を射ていたのは、茶色の髪の一見ハイコボルトに見える少女。
彼女は大きく息を吐き、自分の背丈の半分程はある長大な弓を持った腕をゆっくりと降す。
緊張した面持ちでその光景を見ていた真っ白な毛並みの中年のコボルトが、試射が終わったことを確認し、彼女へと駆け寄った。
「クレリア様。どうだ?」
「最後の弓は中々。ただ、コボルトにこれは扱えない。力が必要」
「いいんだ。まずは威力と射程。もっとこれよりも威力と射程を上げて、その後、徐々にコボルトにも扱えるように調整する。色々と武器の実験をするためにも、まずは出来る事で結果を出さねえと、鉄を廻してもらい難いからな」
左手をだらんと垂れさせている白いコボルト、マルは豪快に笑う。
彼は新しく発足したばかりの武器開発班の主任であり、その試作武器第一弾の試験を行うため、クレリアのいるオッターハウンド要塞に足を運んでいたのである。
「マルさん、量産っすか! 量産ですよね! 量産しましょうっ! すぐしましょう!」
そして、副主任の黒い毛並みの青年のコボルト、テリーが目をきらきらさせて、マルの腕を掴んだ。そんな彼の頭をマルは動く右手で叩く。
「馬鹿やろう。威力と射程を可能な限り維持して軽くしてからだ!」
「うう、そんな殺生な」
怒られてしょんぼりとしているコボルトを見て、クレリアは苦笑いする。
彼はアードルフの治めるサーフブルームで普通のコボルトとして暮らしていたのだが、ウィペット要塞攻略のための準備を短期間で何度も無茶振りをされる内、変な覚醒を起こして、日常生活を送ることが不可能になったコボルトだった。
何でも同じものを際限なく大量生産したがるので、クレリアは悩んだ末、マルと組ませることにしたのである。開発そのものには向いてないので、普段はマルの命令で色々と必要な小道具を量産していた。
「噂には聞いていたけど、見事な腕ね」
「貴女がカロリーネね。報告は受けている」
途中から試写の様子を見ていた長身の美女、カロリーネはクレリアに対して拍手を送り、ゆっくりと彼女に近付く。
特徴だけ見ればハイコボルトに見えるが、カロリーネは見た瞬間、この小さな少女がコボルトではなく、違う何かであることを察していた。
所作には一切の無駄がなく、コボルトにしては表情が鋭すぎる。
長大な弓を簡単に引く膂力もコボルトには有り得ないものだ。
「ええ。初めまして。コンラートから聞いていた以上に強いみたいね。貴女」
賞賛されたクレリアは、表情を変えずに背の高いカロリーネを見上げて答える。
「私は眷属だからな。シバ様の力が増せば、当然強くなる。ただ……」
「ただ?」
「個人としての強さはそれ程重要ではない」
クレリアは持っていた弓を興味深そうにそれを見ていたカロリーネに渡し、彼女に弓を引かせる。その瞬間、マルの表情が険悪なものとなったことにクレリアは気付いていたが、無言で肩を一度だけ叩いて納得をさせた。
結局、射た矢は明後日の方向に飛んで行き、カロリーネは苦笑いを零す。
「私には弓は向かないわね。使えれば便利そうなのに」
「貴女なら慣れれば引ける。だけど、オーク族は基本的に弓は向いていない」
「そうね。皆、正面からの殴り合いを好んでいる。だけど、弓も重要なのよね」
弓を受け取りに来たマルにカロリーネは礼を言って弓を渡し、考え込むように腕を組んだ。だが、クレリアは首を横に振る。
「勝敗を決めるのは手持ちの戦力を扱う方法。そして……何より『数』」
「数とは意外な答えね。常に少数で相手を打ち倒しているのに」
「徹底した戦闘訓練とオーク族の油断のお陰。どちらも、そろそろ気付くでしょう」
「そうね」
カロリーネは頷きながらも内心驚いていた。
奇跡にも思える勝利を手にしても、クレリアは全く驕っていない。それどころか喜んですらおらず、当たり前のこととして、その勝利を受け取っていることに。
その驚きを隠し、微笑みながらカロリーネはクレリアを見下ろす。
「全て貴女の予定通りってことかしら?」
「いえ……キジハタ達は私の予想以上だったわ。そこに隠れているタマ、貴方もね」
クレリアは微笑み、その後ろの建物の陰に視線を向けた。
すると、がたっと大きな音を鳴らし、タマがばつが悪そうな表情をして身体を竦めながら、すごすごとそこから出てくる。
「や、いやあ。姐さん、お褒めに預かり、こ、光栄だぜ」
「覗き見の罰として、貴方がオッターハウンド要塞の案内を彼女にしなさい」
「しょ、承知いたしやしたっ!」
ビシッと直立不動の構えで返事をしたタマを見て、カロリーネは笑い声を上げた。
「ウィペット要塞でのふてぶてしさと、全然違うわね」
「あーいやもう、条件反射でな……」
クレリアも困ったような笑みを漏らし、そして、真剣な表情に引き締めてカロリーネを真っ直ぐに見詰める。
「これからオーク族のフォルクマールも本気になる。戦争は激しくなり、両軍共に今までとは比較にならない程、多くの者が死ぬでしょう。だから、強制はしない。貴女も自由に決めなさい」
「ふふ、貴女も皇帝と同じことを言うのね……ねえ、質問してもいいかしら?」
ふと、カロリーネはクレリアが魔王候補の眷属であることを思い出し、同じ女である彼女にしか聞くことが出来ない問いがあるのを思い出していた。
「好きでもない異性の眷属になる……としたら、貴女ならどうする?」
クレリアは質問の意図を掴みかね、返答に詰まったが、少し考えてから彼女に答える。
「シバ様の眷属になった事を後悔した事はないが、昔、好きでもない相手から強引に迫られたことはある。大貴族……魔物で言うところの魔王候補だと思ってもらえればいい」
「それで……どうしたの?」
興味津々のカロリーネに、クレリアは笑って答えた。
「丁重に断ったわ。相手の顔が原型を留めないくらいに」
「……それ、問題にならなかったの?」
「国を丸ごと敵に回したわ。だから私は今、此処にいる」
カロリーネが呆れるような表情になり、タマはうわぁと呻いて顔をしかめる。
「そんなに嫌だったの?」
「心底嫌だった。好みじゃなかったし、脅迫してきたしね」
「なるほど……ね。でも、貴女にも仲間はいたんじゃないの?」
クレリアはその質問に対しても、ふふ……と小さく笑みを返す。
「仲間達もまた、私とその強者とで天秤に掛けるのよ。その結果、全てが敵に回ったわ」
「そうなるわよね」
フォルクマールがもし自らを望めば、他のハイオーク達は逆らわないだろう。
そうは思ったからこそ、彼女は一旦は死を選ぼうとしたのだ。
だが、クレリアはそうではなく……全てを敵に回してでも……そのことが招く結果を理解していても相手を徹底的に拒絶した。
「私は後悔していない。全ては自分で選んだのだから」
「思ったより無鉄砲でとんでもないわね。貴女」
「そうかしら」
カロリーネは自分の胸くらいの背丈しかないクレリアに、少しだけおかしな敗北感を覚えながらも、楽し気に笑った。
「ね。その大嫌いな馬鹿男殴った時、どんな気分だった?」
「最高の気分だったわ」
微笑んでいるクレリアにカロリーネは頷く。
思えば強者を相手にして逃げ回ることは自分らしくない。
自分は何故、フォルクマールに逆らってでも拒絶しなかったのかと。
「それは楽しみね」
強い相手もオーク族になら無数にいる。
退屈しない相手も多い。戦いたくない相手もいるにはいるが……。
カロリーネは拳を握り締める。
彼女はこの時、心の中で今後の生き方を決めていた。