第二十五話 第三次ウィペット要塞攻防戦 後編
「無数の屍に民からの畏怖の視線。これが魔王だよ。コーラル」
敵対する者は全て地に伏し、咄嗟に武器を離したゴブリンは助かりはしたものの、打ちひしがれるように座り込んでいる。
オークリーダーの持っていた槍には自分の身体で押さえ込んだゴブリンが突き刺さり、無数の武器がその代わりとして巨体に突き刺さっていた。
『命令』が解けた帝国の民はシバに対し、畏れの視線を向けている。
そんな視線を受け、少年のように見えるシバは哀しみの表情を浮かべながら、それでも、超然と顔を上げて無数の屍の上に立っていた。
「驚いたな。これが敵にもいるわけか」
「魔王の力は民の数次第。フォルクマールはもっと強いよ」
一人、魔王の民では無いために冷静でいたコーラルは、それまでただの甘い少年だと考えていたシバが、目の前の光景を躊躇なく作り出した事に驚きを隠せないでいた。
ただ、それを認めるのが嫌で、冷静に彼は振舞っている。
「巨龍ガルブンやエルキー族が何故中立なのか、理解出来た気がするな。魔王の部下をやるには俺達の寿命は長過ぎる」
頭を掻き、苦笑しながらコーラルはシバに近付いて背中を叩く。
「俺は寿命までお前とクレリアにずっと付き合ってやる。そんな泣きそうな顔をするな」
「コーラルの寿命までだと、相当長生きしないといけないね」
「ああ。途中で負けるなんて許さん。まずはここを勝つ」
照れるような顔で腕を振り上げ冗談を言うコーラルに、シバは仕方なさそうな笑みを返し、守備の責任者であるグレーの方を見た。
「これからどうするかは考えてる?」
「は、はい! みんなで第二防衛線の配置に付きます!」
「タマは苦戦してるんじゃないかな。怪我人は治療を、残りは準備を急いで」
「了解です!」
シバはグレーに細かい指示を任せ、自らは無事な者達を引き連れてタマが戦っている前線へと歩いていく。防衛戦を続けている仲間を助ける為に。
要塞前面で攻撃を防ぎ続けているタマは後方の戦況を知ることも出来ず、カロリーネの軍を相手に必死の防衛戦を続けていた。
兵力で倍、遠距離攻撃を一方的に出来る有利はあるものの、近接戦闘を行う戦士の数だけであれば約四倍の差があるため、全く気を抜くことも出来ず、背中を気にする余裕もなかったのである。
「よし! 返したな。今のうちに木材で入口の補強だ」
既に様々な手段で侵入しようとする敵ゴブリンによる攻撃を幾度も退けている。
だが、被害がなるべく出ないよう相手の動きは慎重で、落とされる恐怖感は少ないものの、その不自然な攻撃にはタマは疑念を抱き始めていた。
「また来やがったか。休ませてはくんねーか」
「タマ様! ハイオークが来ますっ!」
「ちっ……これからが本番ってわけか。勝負所だ。全員踏ん張れよ!」
オーク族を中心とした部隊が、要塞に入る場所の柵を打ち倒す為の槌を持って、土嚢を駆け上がりながら突進する。
「防げっ! 押さえ込めっ!」
「甘いわよ!」
「ぐっ……くそ……全員散れっ! カロリーネが来るぞ!」
一度の突進では柵を壊されることはなかったが、全員の意識がそこに向かった隙を狙い、カロリーネが先頭を走っていたオークリーダーの背中を蹴って要塞内部へと飛び込み、両手剣を力任せに横薙ぎに振るう。
タマの警告でゴブリンは退避していたが、二名がその剣風に巻き込まれ、両断された。
そして、その間に、はい登るようにゴブリンが内部に侵入し、オークも勢いを付けた攻撃で柵を壊すべく、一度引いていく。
「盾を持った者は前列に。この場所を確保するわよ。数が不利なうちは守りなさい」
「よう、カロリーネ。えらい遅かったな。待ちくたびれたぜ」
戦いは乱戦になりつつある。
カロリーネ側は巧みに膠着状態を作り出し、侵入地点を橋頭堡にするべく、内部に次々と侵入する部下に、足場が良くて戦いやすい場所を確保させていた。
そして、彼女自身はタマと対峙して笑みを浮かべ合い、得物を突きつけ合っている。
「ご機嫌ようルートヴィッヒ。殺しに来てあげたわよ」
「俺はタマだって言ってんだろ」
「……こうして目の前に立っても強気でいられるなんてね」
「褒めても何も出ないぜ。それともご褒美でもくれるのか?」
タマは不敵な笑みを浮かべながら、腰を落として槍を構える。
そんなタマからカロリーネは口だけではない覚悟を感じ取り、気を引き締めていた。
「私に勝てたら何でも聞いて上げるわ」
「そりゃいいな。やり甲斐があるってもんだ。ゴブリンは近づくなよ。コボルト弓兵隊! 援護は頼むぜ。悪く思うなよ。こりゃ戦争だからな」
「いいわよ。それくらいで丁度いいわ」
先手を取ってカロリーネが動く。
鉄の塊のような巨大な両手剣を軽々と振るい、タマの頭を割ろうとするが、彼はそれを鋼鉄の槍で受け流した。
「相変わらず早いな」
「防いだか。やるわね!」
カロリーネが攻撃し、タマがコボルトの援護を受けながら粘り強く防ぐ。
不用意な攻めには転じず、隙が出来たときに牽制するように攻撃し、自らは隙を作らないように注意しながら彼女を自分に引き付け続けている。
「守ってばかりじゃ私には勝てないわよ」
「同じことをアードルフも言ってたぜ。生きてる奴の勝ちなんだよ!」
時間が流れても二名の戦いは続く。コボルトの援護は敵に阻まれて次第に少なくなっていき、それに伴ってタマは徐々に後ろへと下がり、追い詰められていった。
戦況そのものも不利なものへと変わっていき、数に劣るゴブリン達は第二防衛線の狭い入り口でかろうじで踏み留まり、コボルト達はその後ろで矢を打ち続けている。
ラウフォックス達も必死に魔法を使い続けている。
タマにもカロリーネの攻撃が掠り始め、彼の巨体は血で赤く染まっていた。
「タマ。褒めて上げるわ。私相手にこれだけ持つなんて。貴方が初めてよ」
「自分より強い奴とは戦い慣れてるんでね。お前にゃないだろ。そんな経験」
「なるほどね」
それがタマが実力に勝るカロリーネを相手に耐える事が出来ている理由だった。
クレリアを初めとしてキジハタ、アードルフと強敵相手に何度も訓練と実戦を積み重ねており、ボロボロになりながらも生き延びた経験が、彼の耐える上手さに結び付いていたのである。
鋼鉄の槍を杖のように地面に付きながら、それでも瞳には戦意を灯らせて、タマはカロリーネを一歩も通すまいと、立ち塞がっていた。
そんなタマをカロリーネは哀れむように見詰めている。
「だけど、もうそれ程耐えられないでしょう。勝負は付いたわ。降伏なさい」
「甘いな。これは戦争なんだぜ。最後まで何があるかわかんねぇ」
「背後からもそろそろ私の部下が来るはず。別の場所の侵入ももうすぐだし……この残酷な戦争も終わり。私の勝ちよ」
「あー……そういうことか」
今までのカロリーネの消極的な攻め、グレーの準備が終わらない理由、それらの理由をはっきりと理解してタマは大きく息を吐き、そして……大声で笑いだした。
「くくっ……ははは!」
「……何がおかしいの?」
「つくづく運がないな。カロリーネ。運が良ければお前の勝ちだったろうよ」
タマは笑いを堪えるように口を閉じ、力を取り戻したように槍を再び構える。
「何故か知らんが、うちの皇帝が援軍で来ているんだ。負けるはずないだろ」
「コボルトの魔王候補は戦えないのでしょう。結果は変わらない」
降伏する気はないのだと理解したカロリーネは、タマに止めを刺すべく、剣を構える。
「そりゃあどうかな。あれで中々、胆が座っているんだぜ」
「羨ましいわね。死になさい」
カロリーネも疲労はしているが、タマ程ではない。
彼女は一気に決着を付けるため踏み込もうとして……第二防衛線の奥から連続で上がった悲鳴で立ち止まり、表情を歪ませる。
対峙しているタマも何事かと後方へと耳をそばだてた。
「……ディルクの悲鳴……?」
「なんだなんだ?」
尋常ではない絶望感と恐怖の混じった凄まじい悲鳴に、全ての者が戦いを止め、その場に立ち尽くす。
明らかにおかしい叫びだった。
「何が……起こったの?」
「川から攻めてきた敵は全部倒したよ」
高めの位置にある第二防衛線の柵の側にシバは立っていた。
カロリーネは落ち着いた様子のハイコボルトの方を見て、顔をしかめる。
シバの側にはエルキー族のコーラルも立っており、同じように彼女を見下ろしていた。
「エルキー族まで。あいつが……いや、エルキー族でもあんな恐怖は……」
「おい、カロリーネ。どうすんだ?」
タマは油断せずに槍を構えながらカロリーネを伺う。
彼女はその言葉ではっと我に返ると、後方に飛び下がる。
「勝負は預けて置くわ。部下を無駄に死なせられないしね。全員退却!」
「ずるいぞ。俺の勝ちだろうが! ……ったく」
カロリーネはそれに答えず、自らが攻め上がった場所から迷うことなく引いていった。
敵が全て引いたのを確認すると、シバはタマの側まで駆け寄ってくる。
「タマ。ご苦労様。大丈夫?」
「なんとか。手間掛けてすんません。助かりやしたぜ」
タマは屈んでシバに恐縮しながら、礼を伝える。
だが、直ぐに背筋を伸ばした。
「要塞を暫く頼みます。俺は無事な奴を連れてカロリーネを追撃するんで」
「わかったよ。無理は駄目だよ?」
「なあに、嫌がらせするだけなんで。戦ったらやばいし無理しないつもりでさ」
タマはそう言って槍を肩に載せ血塗れの顔で朗らかに笑う。
彼はカロリーネが引いたのが、シバとコーラルへの警戒もあるだろうが、それ以上にキジハタ達が帰るまでに落とせないと判断したからだと考えていた。
だから、なるべく邪魔をする。
「じゃ、俺は北東部の戦いを終わらせて来るんで」
「任せたよ、タマ。ご馳走を用意しておくから」
「おー! そりゃ楽しみだ。部下の分もよろしく」
「うん。任せて」
そして、戻ってくるはずのキジハタ達と挟撃する。
向こうにはシルキーがいるため、何かしら考えているだろうと、彼は考えていた。
上手くやれば要塞攻めで疲労している相手を完全に倒す事も出来るだろうと。
「よっしゃ聞いたな。動ける奴は付いてこい!」
痛みを少しも見せずにタマは大声を張り上げる。
そして、動ける戦士達を手早くまとめると、彼は駆け出した。
闘いの幕引きを行うために。