第二十二話 宣戦布告
ウィペット要塞を守るタマは、状況の変化を敏感に察していた。
「森の様子がおかしいな」
探索を続けているコボルトからの報告はまだ彼の元には届いていないが、常に最前線で戦い続けている彼は大人数の移動に伴う森の変化を感覚で覚えていたのである。
現状、彼の元に残る戦力はゴブリンが60名、コボルトが70名、ラウフォックスが10名と、決して少ない戦力というわけではない。
だが、それに指示を出す幹部がタマしかいない。
タマは自分が指揮官というよりは『戦士』であり、柔軟な指揮が出来ない事を自覚していた。
迷ったのは一瞬。
近くを歩いていたコボルトをひょいっと掴み上げ、彼は決断を下す。
「おい、確かグレーって言ったな。お前ちょっとサーゴに援軍を要請してこい」
「え、え?」
「敵だ。カロリーネかコンラートか……どちらかはわからんが……本気で落としにくるぞ。援軍は戦士じゃなくても構わん。『帝国を守りたい奴は誰でも来い』これでいい」
「えーっ!」
黒い毛並みの若いコボルト、グレーは宙で揺れながら大声で叫んだ。
「援軍は第二防衛線で待機。お前が指揮を取れ」
「そ、そ、そんな無茶な!」
「訓練通りやれば問題無い。要塞にいる亡命者にも伝えろ。やる気のあるやつだけでいい」
そこまで命令を出してタマが手を離すと、しゅたっとグレーは身軽に足を降し、不安そうにタマを見上げる。
彼はこの要塞でも一番最年少であり、指揮の経験などはない。
当然の不安だったが、タマは畳み掛けるように続ける。
「ここが落ちれば、攻めている奴等はどうなる。全滅だ」
「で、でも、僕は……」
「無茶はわかってら。だが、出来るかどうかは聞いていない……やれ。思い出せ。お前は初めの帝国人だろうが……守りたくねえのかよ」
「え……」
「俺は守りきるぜ。意地でもな。お前はどうすんだ?」
意地の悪そうな笑みをタマが浮かべると、グレーの表情から怯えが消え、耳もピンと立て、毛並みも力を取り戻していく。
瞳には決意の光があった。
「やります! 絶対守り切ります」
「それでいい。時間がねえ……急いで準備しろ」
「了解です!」
元気のいい返事と共に、グレーは駆け出していく。
そんな彼の後ろ姿を眺めながらタマは苦笑を浮かべていた。
「若ぇっていいな。さて……援軍が来るか、味方が戻るか……」
表情を引き締め、敵がいるであろう森の奥を厳しい表情で見詰める。
「我慢だな。どっちが相手か知らねえが……」
ふん、と鼻を鳴らし、部下全員に戦闘準備を行うよう伝えると自らも鋼鉄の槍を手に取り、一度力強く振った。
「簡単に落とせると思ったら大間違い。俺達はしぶといぜ」
タマは陽気に笑う。それが部下の不安を除くことを知っているから。
アードルフとの戦闘経験のお陰で、防衛戦術の種類は増えている。
それに残るゴブリンとコボルトの半分は歴戦の戦士だ。
それでも厳しい戦いになる。
彼はそれを理解しながらも、不安など一切感じさせないように明るく振舞っていた。
完全に防衛の準備を整え、ウィペット要塞は相手の出方を待ち構える。
歴戦の要塞の戦士にはタマの判断を疑う者はいない。
戦場に慣れた者は多かれ少なかれ、タマと同じ判断を下していたのである。
そして、静かに戦争は始まる。
ウィペット要塞に一人で近付いたハイオーク、カロリーネによって。
要塞を守る戦士達が全員彼女を見つめ、タマも眉をひそめる。
「そちらのリーダーは出て来なさい!」
よく通る実力に裏打ちされた自信に満ち溢れた高い声。
アードルフとは違い、そこに暗さはない。
彼女は身体の大きなタマの姿を見つけると、好戦的な笑みを向ける。
「ルートヴィッヒ! 殺りがいのある、いい男になったらしいわね」
「おう、カロリーネ。相変わらず美人だな。わざわざ愛の告白に来てくれたのか?」
柵の内から彼女にタマは強気の笑みを返した。
基本的に種族内での上下関係は絶対だ。
だが、オークリーダーである彼は今、ハイオークであるカロリーネと高い場所から余裕の表情で……対等の立場で見つめ合っている。
「無駄な死者は出したくないわ。昔のように地に頭を付けて謝れば、命だけは助けてあげるから大人しく降伏しなさい」
「断るぜ。お前より怖ぇ女がこっちにゃいるからな。それに、俺はルートヴィッヒじゃねぇ。モフモフ帝国の幹部、要塞司令官代理のタマ様だ!」
タマは槍の柄を地面に強く叩きつけ、ふふん、と笑う。
「カロリーネ。お前の本当の望み通り相手になってやるぜ」
「ふふっ……面白い変わりようね! 臆病者のあんたが」
「うちの大将はフォルクマールとは格が違うんでな。やる気も出るってもんだ!」
カロリーネは愉快そうに笑みを浮かべる。
要塞にいるタマもまた、彼女に気後れすることなく堂々と真っ直ぐに立つ。
「交渉は決裂ね。直ぐにその首、落としてあげる!」
「交渉? わははっ! 宣戦布告の間違いだろ!」
「……楽しい戦いになりそうね」
最後にカロリーネは小さく呟くと背を翻し、味方が待つ場所へと歩いて戻っていく。
去り際に一瞬だけ、タマに対して羨望の表情を向けて。
一方、その頃グレーは川を渡り、全力で走り続けてウィペット要塞から一番近くの集落、サーゴへと辿り着いていた。
東部においてパイルパーチが陥落した後、この集落は三つの集落に繋がる重要拠点として、急速に整備が進められている。
北部から持ち込まれる商品とモフモフ帝国の生産品も集められるため、一年の間に首都やパイルパーチとはまた違った発展を遂げていた。
「ふむ……援軍か」
「はい。戦士でなくてもいいとタマさんが」
「なるほどな」
サーゴでは幹部達が集まって相談を行っている。
その中には、収穫後のサーゴの方針を考えるために訪れていた生真面目なエルキー族の青年、コーラルの姿……そして、もう一人。
普段はここに居ないはずの者が、彼を護衛として共に視察に訪れていたのである。
「で、どうするんだ。皇帝」
「当然、行くよ」
「非戦闘員まで総動員……相当まずい状況だと思うが……それでもか?」
「だからこそ……だよ」
長身の青年からの問い掛けに、皇帝……穏やかな表情の少年、シバは迷いなく頷く。
「コーラルは残っていいよ。約束は国内での護衛だし」
「馬鹿言え。そんな格好悪いことが出来るか! お前が行かなくても俺は行く」
きつそうな印象を与える切れ長の目でコーラルはシバを睨み、強い口調で言い切った。だが、シバはそんな彼に少しだけ困惑した表情を向けて首を傾げる。
「エルキー族で問題になるんじゃない?」
「あー……そう……だな。そ、そう! 戦争の視察だ。後で役に立つ」
強引な言い訳に、シバはくすりと笑い、コーラルはばつが悪そうにそっぽを向き、照れたように頭を掻いた。
「たまには良い所も見せたいよね」
「お、俺は別にあいつは関係ないぞっ!」
「誰にとは言っていないよ」
「……何かお前、俺にはきついよな」
腕を組み、いたずらに成功した少年のように笑っているシバをコーラルは苦々しく見下ろす。しかし、すぐに顔を見合わせて頷いた。
「グレー。今からみんなに声を掛けるから、すぐに動ける人と先に行って準備を」
「は、はいっ!」
「後は……ラルフエルドとパイルパーチの戦士達に伝令を」
シバはテキパキと指示を出していく。
皇帝としての経験が彼の中にも生きていた。
「コーラル、後でクレリアに一緒に怒られてね」
「怒られるのは不条理だな。だが、軽蔑されるよりはましか」
苦笑しながらコーラルは頷く。
「ありがと。それじゃ、僕達の仲間を守ろう……怖いけど」
シバは小さく手を震わせながら、静かに宣言する。
その場にいる様々な種族の幹部達は、皇帝に頷きを返した。
第三次ウィペット要塞攻防戦の最大の特徴は、双方共に予想外の要素を持っていたことにあった。
カロリーネはコボルトを活用することにより相手の意表を付き、守備側のタマは自分の戦力だけで守りきることを諦め、援軍を要請している。
そこにパイルパーチの視察を終え、続けてサーゴの視察を行った皇帝が滞在していたことは、どちらにとっても不測の事態であったのである。