第十九話 オーク族の戦間期
北東部に置けるハイオークの拠点『コモンスヌーク』では、その主であるカロリーネが椅子に座ってスラリとした長い足を組み、珍しく不快な表情を浮かべていた。
彼女には嫌いなものが三つある。
一つ目は舌にぴりりと辛味が走る、ハルガスの実。
二つ目はハリアー川で取れる生臭い魚、クリウオ。
そして、三つ目……上記の二つ以上にオーク族の魔王候補、フォルクマールが大嫌いであった。
伝令のオークはそのフォルクマールからの伝言を届けに来ていたのである。
オーク族の間では彼女のフォルクマール嫌いは有名であったが、不幸なことにそれを魔王候補に伝える度胸のある者はおらず、不毛な片想いは続いていた。
そんな彼女はオークからの連絡を受け取った後、彼女は秀麗な眉をひそめながら、不機嫌そうに黙り込んでいる。
他のハイオークとは違い、そこから暴力には発展しないが、連絡したオークの表情は完全に青ざめ、生気がない。
「あいつめ……余計なことを……死んでくれたらいいのに……」
「カ、カロリーネ様っ!」
静かに……しかし、深い怒りに満ちた様子でカロリーネは呟く。
伝令役のオークが慌てて周囲を見るが、彼女がそれを気にする様子はない。
「フォルクマールは本当に私を愚弄するのが上手いわ。ここまでくると感心するくらい」
「あ、あのお方はカロリーネ様を心配しておられるのです」
「余計な心配」
忌々しそうにカロリーネは吐き捨てる。
魔王候補であるフォルクマールの命令を彼女は断ることが出来ない。
以前、妻になれと言われた際には、『命令』を使えば自害すると宣言したために事なきを得ていたが……それも何時まで持つのか。
無理矢理、意思のない眷属にされてしまうかもしれない。
「コンラートの中央への召還とは。血迷ったとしか思えない」
今回の件で一番怒りを感じているのがこの件である。
アードルフが死んだ今、戦力、勢力も減少しつつある状況で、死の森北部と連絡の取りやすい『サーフブルーム』を抑えており、相手の手口も理解しているコンラートに対し、懲罰を与えるとして引き戻した理由。
明らかに下種な勘ぐりをされた……彼女はそう考えていた。
それでいて彼女の誇りを尊重していると言わんがばかりに、北部からの援軍を出さないことを告げている。
しかも、その代わりとして、一度負けたら占領地を放棄してでも中央に戻るようにとのおまけ付きである。魂胆は透けて見えていた。
カロリーネは、そんな男を自分達の長として仰がねばならない自分の立場を思い出し、歯軋りしながら立ち上がると、伝令のオークを睨みつける。
「フォルクマールに伝えなさい。コンラートはアードルフが失陥した地を取り戻した功績がある。功績に報いないなら、私もそれ相応の対応を取る……と」
「わ、わかりましたっ!」
伝令のオークが姿を消すと、彼女は大きく息を吐いた。
カロリーネはコンラートが何かを企んでいることはわかっていたが、戦闘という同じ趣味を持っており、からりとした性格の彼のことは嫌いではなかった。
死の森北部を収めているコンラートの妹とは友人関係でもあるため、彼女も何とかしたかったが、出来ることはフォルクマールの八つ当たりで彼が殺されないように釘を刺し、配慮するくらいだった。
性格はともかくとして、魔王候補とハイオークでは実力に差があるのだ。
借り物の力ではあるが。
「ま、一戦だけでも出来ることは喜ぶべきかしらね」
カロリーネはすぐに不快な出来事を脳裏から追い払うと、今後に控えている楽しみについて考えることにした。
「さて、どうするか……」
負けは許されない。と、なれば相応に考えなければならない。
無策で力攻めをすれば……アードルフのように負ける。
「うううう、もう! 面倒ね! がーっとやってばーっと終わらせられればいいのにっ!」
十秒程考えた後、彼女は艷やかな自慢の黒髪を掻きむしった。
今まで力尽くで敵を倒してきた彼女にとって、そのことは理解できても対策を考えることは残念なことに苦手だったのである。
「攻めてくる様子もないし」
基本的に仕事もしないために暇な彼女は、たまに一人でウィペット要塞に攻めてくる様子があるかどうか、今か今かとわくわくしながら確認しに行っていた。
だが、要塞にそんな様子はまるでなく、戯れに狩りを行っているコボルトを掴まえて色々聞いてみたりもしたが、難しいことは幹部が考えているらしく、何も知らなかった。
ちなみに情報を得た後は無益な殺生をせずに放っている。
その結果、わかったことは食料を蓄えている……ということだけであった。
「やっぱり、コンラートにバセットちゃん貰っておくんだった……」
部下もいない自室でカロリーネは一人腕を組みながら唸る。
彼女は自分が難しいことを考える程、頭は良くないことを自覚していた。
そして、彼女の部下であるオークもその点に関しては頼りない。
そんな風に悩んでいると、部屋にノックが響く。
「誰?」
「は、はい。その……新しい服が出来ましたので」
「入りなさい」
中に入ってきたのは、茶色い毛並みのコボルト族の少女だった。
カロリーネはこの拠点に赴任してから、初めてコボルト族が実際に織物を作るのを目の当たりにし、奪ったものを着るのではなく、自分用に自分好みのものを作って貰うことを思い付いたのである。
女性らしく着飾ることも好きだったカロリーネは彼らの仕事に満足しており、それが自分が治める地域での寛容さにも繋がっていた。
「……うん。今回のも素晴らしいわ。紅い華の刺繍を入れてあるのね」
「は、はい。カロリーネ様には、明るい花がお似合いです」
「ふふ、好みをちゃんと把握しているわね。あ、小さく髪を飾るのとかは作れる?」
恐縮しているコボルトに彼女は身を乗り出すように詰め寄る。
「えーっと……はい。大丈夫です」
「アマーリエにも何か贈って上げましょう」
友人が喜ぶ姿を想像しながら、カロリーネは満足そうに頷き……ふと、目の前の彼女もコンラートの部下、バセットと同じコボルトであることを思い出す。
お針子の少女をまじまじと見つめ、彼女は少しだけ思索に耽る。
(バセットちゃんと同じ種族。あの子は特別だろうけど……)
「な、な、な、なんでしょう」
「うーん……貴女は戦いに向いてなさそうだしねぇ」
黙り込んだカロリーネをコボルトの少女が不安そうに見上げた。
だが、明らかに戦闘とは無関係な少女を、唸りながらカロリーネは見つめ続ける。
しばらく悩み、少女が恐怖でぺたんと座り込んでしまった頃、カロリーネは、ぱん! と大きく手を叩いた。
(敵の魔王候補はコボルト族なんだし、コボルト族ならいい考えが思い浮かぶかも!)
それがあまりにおかしければ自分が止めさせればいい。
決定権は自分にあるのだから……カロリーネは自分の思わぬ名案に、
(私って天才じゃないかしら)
と、自我自賛しながら妖艶に微笑み、座り込んでいるお針子に手を貸して立たせる。
「ハウ。『コモンスヌーク』にいる全コボルトに連絡を」
「は、はい!」
「コボルトみんなでウィペット要塞の落とし方を考えなさい」
ハイオークであるアードルフが全力を尽くし、敗死した鉄壁の要塞である。
お針子の少女は一瞬ぽかんとして、
「ええーっ!」
あまりの驚きに、カロリーネの前であることも忘れて大声を上げた。
「出来なくとも罰しはしないわ。とにかくやりなさい」
「わかりました……」
余りにも無茶な主人の要求に、お針子の少女はしょんぼり肩を落としながらも命令を実行するべく、コボルト仲間に声を掛けることになった。
「面白くなってきたわね」
自分の考えに目付のオークリーダーやオーク達は不満を抱くだろうとカロリーネは考えている。だが、そんなものは小さなことだ。
彼女にとって大事なのは楽しい戦いを行うことであり、その困難を全て排し、歯ごたえのある相手から価値のある勝利をもぎ取ることにある。
無茶な命令を受けたコボルト族達は、生真面目に命令に対して取り組み、要塞をつぶさに観察し、喧々諤々の話合いを行いながら幾つかの提案を考えていく。
その職人気質な仕事ぶりはカロリーネを満足させ、軍議において彼らの提案をベースに用い、準備を整えてから攻めることを告げる。
モフモフ帝国における収穫期の一ヶ月前の出来事であった。