第十八話 軍事と政務
数日後、モフモフ帝国ウィペット要塞会議室には緊迫した空気が漂っていた。
原因は要塞の責任者であるキジハタの隣に座る、犬耳の付いた冷たい印象の小柄な女性……彼女の存在にある。
彼女……彼等全ての上司であるクレリア・フォーンベルグは死の森中央部のオッターハウンド要塞の構築に一段落が付き、周辺集落の協力を取り付けたことで短い間なら時間が取れるようになったのだった。
キジハタはハイオーク、アードルフの撃破と『サーフブルーム』の奪取と失陥を報告し、クレリアの反応を黙って伺っていた。
繊細な氷の彫刻のような彼女に、慣れていない者達は圧倒されている。
慣れている者でもシルキーなどは青ざめており、タマの影に隠れられるような席に逃げていた。
第二次ウィペット要塞防衛戦に協力したラウフォックス族の族長、ロルトも、重たい雰囲気に落ち着かない様子で居心地悪そうに身体を竦めている。
クレリアはシルキーが作成した報告書を読み終えると、小さく頷く。
「みんなご苦労様。よくやったわ」
隣に座るキジハタ以外の幹部達から安堵の息が漏れる。
「シルキー」
「ひゃ! ひゃいっ!」
「『サーフブルーム』が奪還されたことは気にする必要はない」
「うう……はい」
涙目で両手を併せているシルキーを横目で見ながら、タマは呆れるように小声で呟いた。
「……姐さんには弱いんだな」
「タマ。貴方もよくやったわ。偉いわね」
「はっ! 光栄でありますっ!」
「あんたも私のこと言えないじゃないですか……」
「う、つい癖で……な」
席を立ち、直立不動で敬礼したタマにシルキーは白い目を向ける。
聞こえているのか聞こえていないのか、クレリアは二人の小声は気にせず、ラウフォックス族の族長を、目を細めてじぃぃぃぃっと見詰めた。
びくぅっと黒い毛並みのロルトは震え、椅子からずり落ちそうになる。
「クレリア殿」
ごほんと咳払いし、キジハタが助け舟を出すとクレリアは、渋々と見詰めるのを止め、彼に対して小さく頭を下げた。
「ラウフォックス族の協力に感謝する。同じ国の同士として、これから宜しく頼む」
「わかった。同胞が不当な扱いをされない限りは協力させてもらう」
よくわからない圧迫感に震えながらもラウフォックス族の族長として、彼は主張する。
クレリアはそこで始めて少しだけ微笑む。
「帝国は特性に応じて仕事をさせる。そして、平等に扱う」
「信じよう。タマ殿の扱いを見ればそれはわかる」
髭を弄りながら、ロルトは頷く。
獲物を狙う猛獣のようだ……と、内心彼は考えていたが、優秀な戦士だからだろう……そう、好意的に取ることにしていた。
「それで、クレリア殿はどう思われる?」
話が落ち着くのを待ってからキジハタがクレリアに問い掛ける。
キジハタはクレリアが中央部を離れ辛いことを理解しながらも、今回は来てもらうように頼んでいた。
彼はシルキーを信じていたが、予想外の出来事に彼女が取り乱していたため、彼女を落ち着かせる意味でも、クレリアにある程度の方向性を示してもらおうと考えたのである。
シルキーは作戦担当であるため、責任は重い。
強気そうに見えて彼女もコボルトらしく気が弱いことをキジハタは察しており、責任を分散させることで、少しでも負担を減らせるよう、気遣っていた。
もちろんそれだけでなく、降伏者の処遇や逃げてきた『サーフブルーム』の一部の住民達のことなど、様々な戦後処理も考えてのことではあったが。
「コンラートは予想外。だけど、特に問題はない」
「何故?」
「奪還はされているけど誰も死んでいない。残る住民に絶対抵抗しないように指示してから逃げたことは正しい判断ね。何より……」
クレリアはそこで一度切り、全員を見回す。
「オーク族は侮れないと、要塞の全員が考えている……これは大切なこと。純粋な戦力を考えれば我々がまだ劣勢であることは、忘れてはならない」
「なるほど。慢心してはいかんということか」
「そう。私達の負けは彼等以上に重いのだから」
納得したように全員が頷く。
この場にいる、特に士官教育を彼女から受けた者はクレリアから、相手よりも有利な条件で闘うこと、無駄に部下を死なせないことを徹底されている。
「戦うときには九割勝負が決まっているように準備する……ですね」
「理想はそうね。準備が大変なのだけど」
ようやく顔色がよくなってきたシルキーにクレリアは頷いて答える。
「今後の作戦だけれど……相手は交易は止める気はないのね?」
「あ、はい。通行を認める代わりに幾らか持って行かれていますけど」
「それなら、次の収穫……そうね。三ヶ月くらいは守備と周辺の調略に徹しなさい」
クレリアの発言にタマが太い腕を組み、むむむ、と唸る。
「もし勝機があってもですかい?」
「そうね。戦うのはリスクが高い」
「なんでだ?」
「シルキー」
首を傾げているタマに応えず、クレリアはシルキーに振る。
急に振られたシルキーの方はびくっと震えて立ち上がった。
「はっ、はい! 私達の戦力が下がっていますし、物資も減っていますし、カロリーネはアードルフよりも戦士が集まりそうだからですっ!」
「彼女は何もしていない。それは、苛烈な圧政もしていないということ」
「アードルフのように恨まれてないってことか」
付け加えるなら……とクレリアは続ける。
「政務の者からの要望でもあるわ。こことオッターハウンドは消費が多いからね。戦闘をしていない者も別の形で懸命に戦っている。忘れないであげて」
「わかったぜ。じゃあ、俺らも待つだけじゃなく、楽になるよう工夫しないとな!」
理解したタマは明るい笑い声を上げ、隣に座っているシルキーはそんな彼を煩いと叩く。
ただ、彼女も同じことを考えていたため、ばつが悪そうに顔を彼から背けていた。
「収穫期がくれば、パイルパーチも落ち着くはず。その後、追加戦力を送るから」
「了解した……何か外が騒がしいな」
話合いをしている会議室にまで若い少年と年配の男が言い争う声が聞こえてくる。
キジハタは首を傾げ、入口の方を見た。
声は徐々に近付いて来て……全員の視線が扉の方に向く。
「マルさん! まだ寝てなきゃダメだって!」
「馬鹿やろう! 離しやがれ。今日行かなきゃ何時行くんだ!」
ばたん! と扉が開き、べちゃっと真っ白なコボルトが転び、その上に黒い毛並みのコボルトが乗っかっている。
全員の視線は二人の方に自然と集まっていた。
「マル。グレー。どうしたの?」
他の者が呆気にとられている中、クレリアは二人の名前を呼ぶ。
彼女の視線は折り重なっている二名に真っ直ぐ、射貫くように注がれている。
「あわわ、す、すみませんっ!」
視線を浴びて慌てるグレーと異なり、マルはグレーを背中に載せながら、静かな表情でクレリアを見つめ返していた。
彼はグレーを退かせて立ち上がる。
そして、クレリアはちょっと残念そうな顔をした。
「クレリア様。俺は武器を作りたいんだ。そのために力を貸して欲しい」
「武器を……?」
「ああ。コボルトでもハイオークを一撃で倒せる武器を」
全員が彼の言っていることの意味を理解できずに顔をしかめる。
だが、クレリアだけは平静に彼の言葉を聞いていた。
「怪我が治ったら私の所に来なさい。詳しい話を聞きましょう」
「本当かっ! ありがてえ!」
「ほ、ほら、マルさん、医務室帰りますよ! もう……」
クレリアとて、ハイオークを一撃で倒せるなどということが出来ると思ったわけではない。
上手くいく可能性は低いと考えている。
だが、彼女は何かを始めたいと考える者を止める気はなかった。
そこから自分の常識にないものが生み出されるならば、歓迎すべきと考えたのだ。
全ての種族の可能性を彼女は信じていたのである。
────第二次ウィペット要塞攻防戦について
第二次ウィペット要塞攻防戦を語る際に同時に説明しなくてはならないのが、『ウルフファング』作戦である。
この作戦はウィペット要塞を下顎、別働隊を担う北東部司令官『剣聖』キジハタを上顎と看做し、罠に嵌った獲物を噛み殺すという作戦であった。
ハイオーク、アードルフがウィペット要塞攻略のために動き出したことを察した『剣聖』キジハタは事前に交渉を勧めていたラウフォックス族と合流。アードルフが殆どの戦士を連れて攻めた隙に、拠点『サーフブルーム』を陥落させた。
その間、ウィペット要塞は司令官代理クーンの指揮の下、アードルフの猛攻を支えきることに成功。
『サーフブルーム』から全力で駆けたキジハタはラウフォックス族と共に後方から奇襲。折しもアードルフは内部に侵入し、三方向からの攻撃を受けながらも突破しようと図っていたところであり、四方からの攻撃についにアードルフ軍の士気は崩壊した。
尚も戦いを止めないアードルフを『剣聖』キジハタは一騎打ちにて討ち取っている。
激しい戦いで負傷していたとは言え、ハイオークを倒した『剣聖』キジハタは、その勇名を『死の森』全土に轟かすことになる。
『モフモフ帝国建国紀 ──反撃の章── 二代目帝国書記長 ボーダー著』