第十話 交渉
ラウフォックス族は魔王領だけでなく、人間領においても広く分布している種族である。
草原、森林、山奥……その住処は様々だが、『死の森』に住んでいる者は少なく、魔王候補も『死の森』にはいないため、その勢力は弱かった。
だが、彼等は情勢を把握し、オーク族に与することで自らを守っていたのである。
「いやはや、コボルト族に似ているのに、実に強かではないか」
「似ていない。我らは狼だ。奴等は狐」
土を盛り、穴を掘ってそれを住処としているラウフォックス達の集落を見ながら嗤うターフェに、黒い毛並みの『隠密』ヨークは非難の声を上げる。
「ふふ……気持ちはわかるが仲良くな」
「む……」
実のところ、コボルト族とラウフォックス族は仲が悪かった。
以前にシバが小部族にオーク族の侵攻を知らせ、避難するように伝えるために色々廻った際、捕まって売られそうになったからである。
その売られそうになった当人は相手が逃がしてくれたこともあり、全く気にしていなかったが、シバに付いていたヨーク達、お人好しなラルフエルド出身者もさすがに根に持っていた。
それだけでなく、何故か気が合わない。
このあたりは種族としての性格に関わることでもあった。
コボルト族はどちらかというと群れることを好むが、ラウフォックス族はどちらかといえば、同行しているクーン達ケットシー族の性質に近く、単独行動を好む。
また、似た種族でありながらコボルトが疑うことを知らないような真っ正直な種族であるのに対し、ラウフォックス族は賢く自分の利益になることを第一に考える種族であった。
「しかし、あれですねい。本当に可能なんですかい?」
「今回は恐らくな」
三毛柄のクーンの疑問に、ターフェは頷くと二人を連れて真正面からラウフォックス族の集落へと歩いていく。そして、籠を持って歩いているラウフォックス族の女性を見つけると、歩みを止めた。
「む……小さい、もふもふ、鼻が長い、毛並み綺麗。おおぅ……尻尾が大きいなぁ……くくっ」
俯いて低い笑い声を上げるエルキー族の美女を見た、その女性は怯えて籠を取り落とす。
そして、逃げ出そうとして……ターフェに服を掴まれ、宙にぶら下げられた。
「実にいい。利口そうだ。コボルト達のようなのもいいが、これはこれで……」
「ななななな、なぜエルキー族が」
その問いにターフェは口の端を少しだけ持ち上げて笑い、答える。
「後ろの者を見ればわかるだろう。責任者のところに案内しろ」
「う、わかりました……」
ぱっと手を離すと、黄土色の毛並みを持つ狐の女性は涙目になりながら走り去っていった。それを確認し、ターフェは後ろの二人の方を向く。
「見たか。私はエルキー族。つまり、中立であるはずの我々が帝国に協力していることを理解させる。これだけで今後の対応において優位を取ることが出来る」
「むむ……なるほど」
ターフェは『死の森』を巡る情勢を二人に説明しながら対応法を例示し、教えこんでいく。
「優位にある場合には真実を告げたほうが良いこともある。ま、そうでもないときもあるから相手を見て判断するといい」
話をしながら待ち、しばらくすると先程のラウフォックス族の女性が戻り、集落の族長の下へと三人を案内した。
ラウフォックス族の族長は、黒い毛並みの初老のラウフォックスだった。
コボルト族と同じ程度の体格の彼は、屈んでいても背の高いエルキー族であるターフェを目をそらさず、しっかりと見上げている。
「族長のロルトだ。エルキー族の方、何用かな?」
「ご老人。まあ、少し話をしに来たのだよ」
ラウフォックスの土を掘った家は天井が低く、時折頭を打ちそうになったターフェはゆったりと干し草の上に腰を下ろして微笑む。
「さて……ご老人はコボルト族についてどう思われる?」
「真面目だが、悲しいかな力が弱い種族だ」
「そう、彼等は弱い。だが、実に誠実で恩義には報いる種族だ」
ふむ……と黒い狐の魔物、ロルクは髭を触り、腰を下ろす。
「信用に足ると言える。だからこそ、魔王の友である中立のエルキー族はモフモフ帝国と盟を結んだのだよ。そして今、私はここにいる」
「エルキー族がいなければ、東部を統治することは出来なかったのでは?」
「私達は一切手を出していない。帝国の独力と言っていいだろう」
多少のアドバイスはしたがね。と、ターフェは彼に説明したが、ロルクは半信半疑の様子で唸っている。そんな二人を、同行している二人は黙って見守っていた。
「重要なのはコボルト族が皇帝だということだ。彼を信じる様々な種族の者達が協力し、自分達の国を作る為に必死に戦っている。支配だけのオークとは違うところだな」
「結局支配するのは同じでしょう」
「そうなるかは、帝国の臣民達の心掛け次第だろう」
「何を言っても我々の答えは変わらない。中立だ」
ここでターフェは後ろに立っている二人を不意にみる。彼等はダメか……と諦めた表情をしていた。その顔を見て、彼女は爆笑する。
「はははっ! 可愛すぎるぞ。君達。まだ『交渉』していないぞ?」
きょとんとした二人にターフェは「ここからだ」と片目を瞑った。
「いやー悪いねご老人。まあ、話を続けよう。我々に協力したほうがいいことを伝えねばならんからな。中立を選んだのは、オーク族が勝つと思っているからだろう」
「……そうだ。倍以上……いや、三倍以上の戦士がいるのだ」
「正直に言おう。君達がどちらに付こうが、モフモフ帝国は勝利する」
「なっ!」
驚くロルクをターフェは満足そうに見つめ、話を続ける。
「東部でのコボルト族とオーク族の差は、北東部の比ではなかった。それでも勝利したのだ。たかが三倍程度の相手に負けるはずがないだろう? 一時は引かねばならぬ事もあるだろうが、最終的な勝者は明らかだ」
「油断していたのではないか?」
「ならば、最新の情報を出そう。ウィペット要塞にアードルフが攻めたのは知っているな。その結果は気にならないか?」
ロルクは腕に力を込めて震わせながら、硬い表情で頷く。
「オーク族、死者43名、投降15名。モフモフ帝国、死者4名、負傷者7名」
「え……?」
「くくっ……傑作だろう。半数以上失いながらアードルフは逃げたのだ。ああ、勿論私はいないぞ。首都で軟禁されていたからな。ま、調べてみるがいい」
事件を知っているケットシー族のクーンが呆れるような表情で頷く。
「信じられん……幾らなんでも……」
「中立というのは構わない。少ない一族を守らねばならないことも理解できる。だが、オーク族の味方をし、都合のいい時だけ中立と言って身を守る。お人好しの皇帝はともかく、帝国臣民の全てがそれを許すと思うかね?」
笑みを納め、ターフェは静かな表情でラウフォックス族の族長を見つめる。
「皇帝は君達を許している。君達はどうする?」
「……一日考えさせてもらってもいいだろうか」
「くく。いい返答を期待しよう」
がっくりと力無く肩を落としたロルクに、ターフェは小さく喉を鳴らして笑い、頷いた。
が、ターフェもそこが限界であった。
「ああ、出来れば泊まる場所は、ラウフォックスの子供がいる家がいいのだが……ああ、やはり最高だな。可愛すぎる。ガックリ老人でも可愛い。駄目だ……抱きしめたい……限界が……」
「あー……うちらがちゃんと見張るんで」
必死で心の底から沸き上がる衝動を堪えて壊れたターフェの背中をクーンとヨークは押し、族長の家から出て行く。
翌日、ラウフォックス族は皇帝と話をしてから最終的な決断を下すことを決めた。