第九話 軍事と外交
ウィペット要塞に到着するとシバは投降した敵の戦士達に面会し、確認すると彼らの中でも北東部で戦いたい者、戦いたくない者とに分け、命令を出した。
その後、シバはキジハタ達から詳細な報告を聞き、ターフェも交えて会議室で作戦の検討を行っていた。
クレリアではなく、皇帝であるシバが要塞に来たことに一同は驚き、困惑する。
北東部が現在危険であることを理解しているからだ。
彼は戦闘向きではないというのは、モフモフ帝国では常識なのである。
「くくっ……お前達は勘違いをしているな」
口々にシバに対して危険だと諭す幹部達に対してターフェは口の端を歪めて笑う。
「クレリアは交渉に関しては無能だ。だから、私が来たのだ」
「てめえ、姐さんを馬鹿にするつもりか!」
怒りの声を上げたのはタマだ。だが、彼女は笑みを崩さない。
「でかいの。まだ、お前の方が向いているな。怯えて何も言えない者に変わって、本心で思っていない声を上げる。周りの者がよく見えていないと出来ぬことだ」
「ぐっ……本当、やなやつだな。相変わらず」
ターフェは一度言葉を切り、白衣の裾を直すと皇帝に頭を下げる。
「皇帝。彼女の話を聞く限り、クレリアは万能ではない。それを覚えて置くといい。軍事における能力を100とするならば、政治は精々30。交渉は5と言ったところだ。彼女は軍人なのだから、それで当然なのだが……そして、彼女自身、そのことを理解している」
「ねえ、ターフェ。その基準で僕の交渉力はどれくらい?」
顔色一つ変えずにシバは微笑んでターフェに問い返す。
彼女はニヤリと笑って応えた。
「-500くらいだな。ただ、皇帝は今のままでいいと私は思う」
「そ、そうなんだ」
シバとしては、クレリアのことは理解していたが、自分の事に関しては少しだけショックだったらしく、吃りながらも頷く。
「うう、私の作戦間違っていたんでしょうか。楽そうかなって思ったのに」
ラウフォックス族の勧誘を考えていたシルキーがしょぼんと肩を落とすが、ターフェは首を横に振った。
「間違っているのは作戦ではない。クレリアを送り込んで勧誘しようとしたのが間違いなのだ。そして、奴もそれを信じる辺り、交渉を苦手としているのがわかる」
「では、どうすれば?」
「コボルト族は誠実だ。皇帝はそれでいい。だが、臣民たる我々はそれではいけない」
エルキー族の美女はくくく……と低い笑い声を上げ、慣れている皇帝やキジハタ、タマ、シルキー以外の者達を震え上がらせる。
「皇帝に危険なことをさせる必要はない。相手にここまで来させればいいのだ」
「しかしどうやって……前回の時も、結局中立を押し通されちゃったのに」
ううむ……と、シルキーは唸る。
だが、ターフェは事も無げに答えを言った。
「決まっている。脅すのだよ」
「お、お、脅す?」
「ふふ……力で脅すわけではない。現実を教えてあげるだけでいい。そう! 真実という猛毒の一滴は彼等に決断を迫ることになるだろう。ふふふ、右往左往が目に見えるようだな」
ターフェの過激な発言に会議室が大きくざわめく。
「もうちょっとわかり易く説明してくれるかな。ターフェの言葉はどこまでが本当かわからないから。ブルーの事も嘘でしょ」
落ち着いた様子で座っているシバが微笑むと、ターフェは面白そうなものを見る目でシバを見て、小さく頷き、全員を見回す。
「まあ、言葉が過ぎたな。交渉とは戦争だ。ならば駆け引きが必要となる。我らが女神がそれを得意としない以上、誰かが身に付けねばならん。それはわかるな」
その言葉には全参加者が頷く。ウィペット要塞の幹部達は彼女に頼らずとも、自ら国を守るために戦えることを証明しようとしているため、理解は早かった。
「ただ頼むだけが交渉なのではない。粘り強く、ありとあらゆる手を用い、相手の譲歩を引き出すのが交渉だ。さらにその結果において、目的を達成しつつ、相手に恨みが残らなければ最善か……そこは皇帝のお手並み拝見というところだな」
「交渉についてはわかった。具体的に拙者達はどうすればいい?」
過剰な身振りをしながら説明しているターフェに、キジハタは落ち着いた口調で質問する。
「今回は私が行く。だが、私も忙しい。交渉が得意といえばビリケ族だが、彼等は商売人だからな。シルキーの計画のようなことには向くまい」
そこで……とターフェは続ける。
「今回はヨークとクーンに付いてきてもらおう。後はその結果から話し合っていけばいい。弟も貸そう。暇そうだからな」
シバは彼女の弟、生真面目なエルキー族のコーラルは戦後復興効率化の研究のためにパイルパーチでコボルトよりも真面目に働いていたような……と思ったが、不確かな記憶だったので口には出さなかった。
「じゃあ、僕は待ってたらいいのかな」
「ああ、ある程度交渉が纏まればヨークに手紙を持って走ってもらう」
シバに対してターフェは頷き、こみ上げる笑いを押さえつけるように、くっくと喉を鳴らす。
「ふふ……はぁ……今から可愛い狐達の涙目が目に浮かぶようだ……いやいや、震えてその円らな瞳で私を怯えるように見上げてくれるのだろうか……」
「相変わらずとんでもねえ変態だな」
頭を掻いて呆れているタマにキジハタが同意するように頷く。
「だが、言っていることは理解できる。敵中でも彼女であれば、危険はない」
「一応、ハイオークより強い……らしいですけど、本当ですかね?」
シルキーは看護の講義を受けているが戦闘に参加しているのは見たことはない。本人は医者が正面から戦ってどうする……と、説明していた……が。
キジハタはうむ。と返事を彼女に返した。
「弟のコーラル殿が、屈指の強さだと言っていた。彼は嘘を吐くような男ではない」
「そんなもんですか」
そのコーラルとは面識のないシルキーは、ターフェの弟なら似たようなとんでもない変態なんだろうな……と関係ないことを生返事しながら考えていた。
「それじゃ、ターフェ。今回はよろしく頼むよ。ヨークとクーンは同行するように」
「ふふ……任されたよ。皇帝」
シバはターフェに命令し、彼女は恭しく一礼する。
その姿を見ながらキジハタは別の事を考えていた。
(彼女は長命……力も知恵もある。その強さを振るわないことには、意味があるに違いない。巫山戯ているのも擬態ではないか? ……皇帝もクレリア殿も何も言わぬ。どうしてなのか)
息子の出産にも立ち会ってくれている彼女を疑ってはいないが、もう少し知恵の廻る頭が欲しかった……そう、自嘲しつつもキジハタは、会議の終了が皇帝から告げられると、自分が出来る事……仲間への訓練を行うために歩きだした。
全員が出ていくと、ターフェは交渉に出掛ける前にシバに問いかける。
「私のやり方をどう思う?」
「助かるよ」
シバはターフェに透明な、無邪気な笑顔を向ける。
彼女はそれを確認して笑うと、彼に背中を向け、ラウフォックスの集落を目指して駆けて行った。